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近頃香港で勢力を増しているマフィアがいる。大きな事件が起きる前に内情を探ってこいーー

それが今回深矢と海斗に課された任務だった。

外国の犯罪組織といえども海を挟んだ隣国である。何かの事件で日本人が巻き込まれ外交問題に発展しないとも言い切れない。念には念を。情報が多いことに越したことはない。先手を読んで布石を打つのは組織の常套手段である。


まずはマフィアの中にルーツを作ることだった。しかしそれが出来上がった頃、予想外の事件が起きた。マフィアのボスの刺殺である。

これによって事態は一変した。内部の揺らぎは相当なもので元ボスの右腕と呼ばれた男の手腕がなければ大規模な抗争が起きてもおかしくはなかっただろう(これには組織が密かに送り込んでいた冬眠スパイの暗躍もあったと海斗は言う)。


つまり現在の向こうの均衡は非常に危うく、深矢と海斗の任務は事態の鎮静化、そのための情報収集へと移ったのだった。


そこで起きる矛盾が一つ。情報収集のために黄余暉の存在は不可欠だが、内部の歪みの原因である犯人への報復もまた必須なのであった。


「私情を挟むなよ」

海斗がそう尋ねたのも、

「優先すべきが任務ってことくらい分かってる」

深矢がこう答えたのもそういうわけである。


惜しい、とは思う。黄余暉の部分を除けばザックは気の合う友人だ。その思いが漏れたのか『silver tiara』を盗む約束をしたのは少しの誤算。深矢にとっては些細な事だが、

「甘いぞ」

と海斗は警鐘を鳴らした。


「マフィアを毛嫌う奴がスパイに寛容になるとは思えない。むしろどっちも同じ裏の人間って認識だろ。そんな奴に自分がスパイだっつうのは警戒しろよって言ってるもんだ。変な気を起こさないといいけどな」


海斗は流れを読むのが得意だ。間違ったことは言っていないだろうーーそれでも。


「こうするのが正しいと思ったんだよ」


深矢を手の動きを一瞬だけ止めて呟いた。これがマイクに拾われたかは海斗の返答がないので分からない。


時刻は間もなく日付を越えようとしている頃である。ザックと約束をしてからおよそ三十時間後、深矢は美術館の内部への侵入に成功していた。海斗は外に停めてある盗難車で待機だ。

ふう、と小さく息を吐いて目の前の鍵穴に集中する。十秒もしないうちにカチリと心地よい音がして、深矢はゆっくり展示ケースを開いた。


深矢とザックが初めて言葉を交わした場所。この美術館のメイン展示物だというアジア人女性の肖像画の前は警備体制が特に厳しくなっている。この肖像画の大きさも目当ての絵と同じで隠し場所にはもってこいだと踏んだ。


赤外線センサーをオフにして静かに展示品に手をかけるーー


「……くそ、外れか」


展示してあった壁も展示品の裏もその額縁もまっさらで、何か仕掛けがあるようにも見えなかった。

ここじゃないならどこにある?


「急げよ。警備の巡回は十五分ごとだからな」


海斗の急かす声を聞いて時計を見る。そろそろ巡回の時間だった。

深矢は手早く展示ケースを閉めその場を離れる。


「本当にそこにあるのかよ」

「あいつがあるって言ったんだ。それに購買ルートも調べついてるだろ」

「確かにそこの館長が闇ルートで『silver tiara』を手に入れたとこまでは分かったけどな、だからってわざわざ人の出入りの多い美術館に置いとくか?」

「美術館に隠す理由、ね……」


『silver tiara』を手に入れた館長はそれをどうしたかったのか。稀少な絵画だ、手放したくはないだろうし美しいものは見ていたいはずーー


「……なるほどね」


とある考えに辿り着いたと同時に深矢はプライベートエリアに向かって進む。


「おい、監視カメラの映像すり替えてんのはこの展示室だけだぞ!外は出るなよ!」

「そんなにピリピリするな」


プライベートエリアの扉が開いて警備員が入ってくるのを扉の影でやり過ごし、出てきたその彼の後頭部を突く。そして手際よくその体を部屋隅に運び、一分後には深矢は警備員に扮していた。

耳元から海斗の呆れた声がした。


「んな短絡的な……十分が限度だろ」


あぁこれは機嫌を損ねたな。


「それだけあれば片付くさ」


深矢は帽子を深くかぶり、監視カメラの一つに手を振るようにしてドアの奥に消えいった。

それを見た海斗がため息とともに通信機のスイッチを切ったことは言うまでもない。


***


気配を潜めて廊下を歩きながら、深矢はもう一つのことを考えていた。ザックを救う算段である。

私情を挟むなって言っただろと海斗に呆れられるに違いない。それも分かっている。任務対象ターゲットに感情移入するのは素人のする致命的なミスだし、任務が失敗に陥る一番大きな要因だ。自分でもザックを香港マフィアの暗殺者から逃したいなどと甘い考えをしていることに笑えてくる。


だがヒカルとしてはーーザックと同類の泥棒としては、彼が一生をかけて追いかけてきた『silver tiara』を、本人が見ることができないなど哀れにもほどがあると思ってしまう。


シンと静まり返る廊下の真ん中で、深矢はその甘い考えを払うがごとく小さく頭を振った。

ザックはマフィアの暗殺者から逃れられないことを承知していたのだ。自分の末路に死が横たわっているのが見えている。ヒカルに『silver tiara』を託した時の切なげなあの表情は死を見据えた人のものだった。

だからヒカルとして出来ることは一つだけ。友人に託された宝物をその手に送り届けることだ。


いいのか、と海斗の言葉にもう一度答える。


俺は工作員として黄余暉から情報を聞き出すし、ザックの友人として頼まれた絵を盗むだけだ。


深矢は廊下の突き当たりに現れた扉の前に跪いた。そこに取り付けられた銀色のプレートには館長室と掘られている。

『silver tiara』を手に入れた館長はその絵を何としても手元に置いておきたいはずだった。それを思ってセキュリティの高い展示室に狙いを定めたが違った。

そもそも、絵画はセキュリティで守るよりも、飾って鑑賞するものである。

そうなると、比較的安全な場所かつ館長が気安く鑑賞できる場所ーー館長室が、『silver tiara』を置くに相応しい場所なのだ。

深矢は展示ケースを開けるのと同じ要領で扉の鍵を開けスルリと中に潜り込んだ。


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