エピローグ
あの島にいた数日間、あの夜の出来事は一年経った今でも鮮明に覚えている。
おそらく忘れることもないだろう。
それもそのはず。あの夜のことは島内では大きな話題となったのだ。
島唯一の私立美術館にて爆破事件。何者かによって館長室を爆破され、身元不明の死者が一名。犯人も見つからなかった。そして何より、館長室に飾ってあった絵画が跡形もなく消えていた。
当時の館内の監視カメラの映像はすり替えられており、館長室から離れた展示室で気を失っていた警備員は「展示室に繋がるドアを開けた瞬間に殴られた」と話した。もう一名の警備員は事件直前のことについて「巡回が帰ってこないので警備室から出たら館長室で物音がした」と供述した。それらの点から犯人の狙いは館長室に飾ってあった絵画とみられるが、爆発との関連性は判明せず――これが事件を担当した警察の見解だ。
あの事件が一人の泥棒と中国マフィアの暗殺者によるものだということは誰も知らない。ましてやそこに日本の工作員が関与していたことなど。
まさに真相は闇の中。人目についてはいけない工作員としては当然の結果である。
そして後に残ったのが『silver tiara』。
爆発を凌いだ深矢がなんとか持ち去ったのだ。
火薬や煙で黒ずんではいたが、深矢達の所属する組織の科学技術班の手によって修復が進められ、同時にその絵に隠されているという皓月による米国の国防情報の解読も進められた。
しかし出てきた情報はすでに組織が掴んでいたもので、それも今では改変され意味のないものとなっていた。
「意味のない絵のために死にかけたとはな」
海斗がそうぼやいて天を仰いだ。
その言葉は深矢に向かってかけられたものだったが、深矢は敢えて答えずに目の前に立てかけられた美しい女性の横顔を眺めていた。あの事件で重傷を負い全治三週間だったことは記憶に新しい。
そんな事件から一年後の同じ日、同時刻。
深矢と海斗は再び常夏の島に降り立ち、あの美術館のあった敷地に忍び込んでいた。
天候は生憎の曇り空で湿気が立ち込めており、生温い風が深矢達を追い越していく。
あの事件の後、館長は美術館を移転し元の建物は取り壊してしまった。残ったのは真っさらになった土地のみ。
深矢は館長室のあった辺りに瓦礫の残骸を掻き集めて小さな山のように積み上げ、そこに『silver tiara』を立てかけた。
みすぼらしいが、ここで亡くなった身元不明者の墓石のつもりだ。
事件の後、ザックという名で各国の情報機関や警察の持つ犯罪者リストを漁ったが、どこからもその名前は出てこなかった。黄余暉でヒットしたのも香港警察だけだった。
あの数日間のことは幻だったとでもいうように、その正体は掴めなかった。彼は一体誰だったのだろうか――
一つだけ確かなのは、彼がこの『silver tiara』を人生をかけてまで追い求めるほど愛していたということだ。
「渡すのが遅くなったな」
深矢は墓石に向かって手を合わせた。頭に浮かぶのは彼が最期に見せた、熱く哀しげな表情。
『絵を守ってくれ』と言われたような気がしたのだが――思い過ごしかもしれない。
「お節介だったかもな。けどこの絵はアンタのもんだろ」
ゆっくりと目を開ければ、銀の髪飾りを付けた女性が安らかに微笑んでいる。まるで安息の地に辿り着いたと言わんばかりに。
「絵も喜んでるだろうよ。アンタみたいな奴に求められて」
汚れを嫌い、美しさを貪欲に追い求めた怪盗。
今まで会ってきたどんな犯罪者よりも単純で愚直なポリシーの持ち主だった。
「アンタとは一度でいいから仕事してみたかったな」
出会ったのがここでなかったなら、彼が嫌う工作員としてではなく、泥棒として出会えていたなら。
――手と手を取り合えたのだろうか。
「……来世に期待、かな」
「らしくないこと言うなよ、寒い」
それまで黙っていた海斗が耐え切れなくなったように口を挟んだ。気を利かせて気配を消していたのだ。深矢が今回の任務対象に過剰なまでに同情しているのを理解している。
任務対象に感情移入してはならない。工作員なら当たり前の掟を黙認してくれているらしい。
「……もういいか?」
あぁ、と深矢は短く返事をして立ち上がった。
じゃあな。
深矢は心の中で挨拶をし『silver tiara』を目に焼き付けるように眺めてから、墓石とその美しい女性の絵に背を向けた。
***
――深矢達が去ってからおよそ六時間後。
事件のあった美術館の跡地には人だかりができていた。
事件時に盗難された館長私有の絵画がふいに現れたのだ。
それも爆発に巻き込まれたとは思えない、傷一つない状態で。
以降、その絵画――『silver tiara』は、新しくなった美術館においてメイン展示として飾られることになった。
「舞い戻った奇跡の絵画」
そう呼ばれるようになったその絵画は、その呼び名に相応しく美しい微笑みを讃え、銀の髪飾りは白い輝きを放ち続けたという。
最後までご覧いただきありがとうございます。
初の投稿。そしてスパイと泥棒の話でした。
ひとつの物語を完結させる、というのはこれが初めてに近いです。なので温かい目で見送ってくださればと思います。
ちなみに今回登場した深矢と海斗は、別作品(『スナイプ・ハント』)にてもっと色濃く描いていくつもりのキャラクター達です。
最後に、拙い文章に最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました。
少しでも面白いと思っていただけたら幸いです。




