綺麗な嘘、癒えない創傷
◇
「圭君と連絡がつかなくなった? それは一体どういうことなんだ」
篠原祐の声には呆れが交じり、澪は申し訳なさそうにその場で縮こまるしかなかった。休日の午後、しかしながらさして都市部でもないこの街の喫茶は人で溢れかえるということはあまりない。そういった事情もあってか余計に祐の声は澪の耳に響いたのだった。
「それは私が聞きたいくらいですよ、篠原さん……。ここまで順調、これからも順調ってときにですよ!? 泣きそう」
「真顔で「泣きそう」なんて言われても説得力ないからね? 二人で僕を置いて出て行ったときはとてもお似合いだったじゃないか」
「こんなときに皮肉を言わないでくださいよ! あっでも……あの日別れ際に、西崎君、どこか思いつめたようなことを言ってました。特別喧嘩したってわけでもないんですけど……ちょっとだけ雰囲気がぎこちなくなってしまったっていうか」
「それしかないでしょ、原因」
「……私が原因?」
「え、澪ちゃんが何か言ったの」
思い当たりがない、といった様子で澪は首を傾げる。むしろ不安な気持ちに煽られたのは自分の方で、圭から連絡を絶ってくる理由になるとは思い難いのだった。罰ゲームのような展開のもとでの交際とはいえ最近では圭と澪のどちらかが一方的になることはほとんどなく、これという事件もなければ発展もなかった。あの日――圭が澪を外へ連れ出し、いくらか言葉を交わしたあの日、圭はある種の決心をしているように見受けられた。彼の「それまでの自分を殺す」という言葉が澪にとっては受け入れがたく、つい表情にも出てしまったのだ。
いきなり連絡を絶たれるほどに、失礼なことは言っていません。そう澪は続けた。でも傷つけるような真似をしてしまったかもしれません、とも。暫し口を開くのを躊躇った祐がそれに応える。
「一概に澪ちゃんだけが原因とも限らないな。もしかすると僕も、何か悪い影響を与えてしまったのかもしれない。実を言えばね、圭君の考えって僕に似ているんだ。……そんな顔せずにまぁ少し聞いてほしい。
クレインのモデルの少年のことは話したよね。僕は彼について明確な情報を得るのは避けたんだ、意図的にね。僕は彼が羨ましかった。彼は僕が追い求めているものを持っているような気がしたから。話をしていてピンときたんだよ……まるでいくつもの人生を感性のままに生きてきたような、そうして連続した生の流れに身を置いているような彼は僕の目には眩しかった。あの出会いは僕の中だけに留めておくはずの、いや、留めておくべきものだったんだ。でも。圭君は僕に会ったことがあるような気がすると言ってきた。
こんなことを言うと格好悪いと思うかもしれないけどね、僕は内心焦ったんだよ。だから彼につい攻撃的な態度をとってしまった。もし彼の話が本当なら、彼は僕にとって羨望の対象であり、嫉妬の対象なんだ」
澪が口を挟む間も与えずに祐は心のうちを晒した。どれだけ冷静に装うことに決め込んでも、クレインの存在が祐を惑わせ、調子を狂わせるのだ。当初は澪の根拠のない推測だったにしろ、今や西崎圭とクレインの間には何があってもおかしくない事態だ。そんな最中で圭からの連絡が途切れたというのは、やはり祐にとっても他人事とは思えないのだった。
「圭君がクレインとどのくらい相関があるのかは僕もわからない。ただ、澪ちゃんが圭君にクレインの匂いを感じ取っているのがただの偶然でないように思えてきたんだ。もし圭君に何かあったとしたら、それは……よろしくない事態ということも大いにあり得る。僕の思い過ごしだったらいいんだけど」
苦虫を噛み潰したような祐のその表情は澪にとって初めて目にするものであり、かすかに漂う深刻さは窓越しの光を遮っているかのようだった。一度も訪ねたことはないとはいえ、澪は圭の家の場所を知っている。自身の手首の腕時計を一瞥し、澪は祐に礼を言って店を後にした。外に出たなら乾いた空気、どこからそれほどの寂しさを運んで来たのかというほどに風は乾ききっていた。足を止めている暇はないと澪は前を向く。何より時間はそれほどない気がしていたし、このままでは二度と圭と会うことは叶わないような気がしていたのだった。




