夢は夢でしかないと知っていても③
「夢は、今いるこっちの方だろう。俺はお前とは違う。一緒になるつもりは毛頭ないんだ」
圭の発言をすっかり予期していたかのように、クレインと名乗る青銅像は含んだ笑みを湛えた。クレインの背後ではフィルムのように、映されては消え、消えては映されていく風景。その一つ一つに圭が懐かしさを感じてしまうのは、それらが恐らく前世に通ずるものであったからだろう。
景色の残像に気をとられ、圭は思わず自身の目を疑った。先まで全身同一色だったクレインが、うっすらと色味を帯びてきていたのだ。この調子だと人間と違わぬ見た目になりかねない、そんな有様である。そんな圭の無言の焦りを知ってか知らずか、クレインが口を開く。
「人生、曰く不可解……。過ぎ去ってしまえば人は何でも美化するようにできているようだけれど、それはどうかと僕は思うよ。この世の大半の出来事には、何の意味もないものさ。勝手に人間が、自分に良いように都合をつけているだけだろう? そもそも意味なんて概念自体が人間のものなんだから」
「……」
「ただ前へ、未来へ進まなければいけないという理由のためだけに、過去を手放す必要はあるのかな。ここぞという時を迎えたら、そこが肉体の死すべきときなのさ。誰もがそうであれとは言わない。感性に正直に生死を繰り返す生き方だってありだろう、つまりはそういうわけなんだ」
「俺は、死にたいとは思わない」
「君がこのまま生き続けていれば、確実に今の澪ちゃんはいなくなるよ。それでも?」
「そのときには今の俺だっていないはずだ」
「……言い方が悪かった。今の、澪ちゃんに恋する君がいなくなってしまうよ。それでもいいのかって言っているんだ。後々君は、君自身によって君を消すんだ」
「今死んだって、消えるだろ……」
錯雑としたその空間では、嘯く太陽に沈黙の月、水を吸って肥大した緑草がここぞとばかりに辺りを覆い、乾ききった大地の苦悶の表情を罅割れた地面が代弁していた。名も知らない鳥の鳴く声が遥か遠くで聞こえ、折り重なる雲はさながら白蝋、その場で固まったまま動くことはなかった。
「クレイン、お前の言うことがわからないわけじゃない。とても寂しいことだと思う。だが、それなら逆に今俺が死んだとして……今の俺が残るかといえば残らないよな。人が抱え込める記憶ってのは限られてるんだ。覚えているもの、忘れてしまったもの、そこに優劣の差はなくて、それこそお前の言う通り意味なんてないんだよ」
「大切なものだから覚えている、そうでないから覚えていない。意識の持ちようじゃないか! 今この瞬間、最高に昂るこの感情をどうしてそのままにしておきたいと思わないんだ? 止まって欲しいくらいさ、時間ってやつに!」
光も闇も、空気も自分もいるその場所で、現実と違って欠けているものがあるとすれば「時間」だと圭は思った。まるで死んだ人間と話をしているみたいだと。クレインは、既に止まってしまった時間を追いかけているものと思い込んでいるのだ。クレイン自身の足も止まっていることに気付かずに。
「お前だって過去を美化する人間たちと変わらないぜ。刹那の感情は時の狭間にすっぽり埋まってしまうから、みんな夢中になっちまうんだ。たとえ何遍でもその刹那を繰り返すことができると言われようが、俺は応じない。俺は未来が見たいんだ。その最中に死ぬこともあるかもしれねぇ、それでも時間の行く先を見たいと思う。何もかもを忘れても、自分が誰かすらも忘れても」
すっかり生身の人間のように着色が施されたクレインだったが、圭が思い描いた通り、クレインがその場から足を踏み出すことはなかった。滑らかな表情から溢れ出る饒舌たる言葉、きっとそこにはある種の「意識」もあるに違いない。
段々に圭は地に立っている感覚を失いつつあり、世界から鮮やかな境界線が消え始めていた。徐々に混ざり合って混沌の様を呈しつつある視界を前に、圭は夢の終わりをうっすらと感じ取った。
「クレイン……」
圭は閉じゆく世界に手を伸ばす。
「俺たちが意識しなくたって、繰り返されるものは繰り返されるんだ。だけど……どの未来にも自分は一人しかいない。自分を意識する自分は一人しかいないんだ」
ただ一言寂しいって言ってほしかった、それだけ。




