夢見たのは、きっとそんな世界だ。③
もう一人のクレインを作り、それがオリジナルと同じものかを検証する――それだけでは何とも非人道的な聞こえを呈すが、小説、ないしは虚構の世界だからという理由のもとで、誰もそれを非難することはしない。一度描いた洋物のファンタジーのときとはがらりと変え、現代日本の、高校生同士で紡がれる会話の繭にクレインを押しやってみた。クレイン以外の登場人物が存在しなくなった世界、これは世界でたった一人クレインだけが存在するのとはまた意味合いが違ってくる。人はいることにはいるのだ。ただ、生きる時間が違う。細胞に流れる時間の記憶が、周囲の人とは異なるのだ。そして。クレインはクレインでいられるのか、これは本人にしか答えを出せない問いなのだ。あるいは、と祐は思う。かのモデルにしたあの少年、何者でもない自分の存在を覆い隠すために、次から次へと人の記憶を渡り歩いているかのような話しぶりをしたのではないか……そのようにも考えることができた。彼というのはある種の概念が人間の形を乗っ取っただけではないのかと。彼のビー玉のような瞳が、空と海を逆に、昼と夜を逆に見たとして、一体何の不思議があるだろう。
待ち合わせの時刻より30分早く、しかしながら何故かその時間すらぴったりと合うことになってしまったその日、星城澪と篠原祐は新たな名前で保存したクレインの第二の小説について言葉を交わしていた。
「クレインー!」
「澪ちゃんは本当にクレインが好きだね。澪ちゃんがクレインだと言えばきっとこの小説でもクレインはクレインなんだろうね」
「そんなことはないですよ。だって私、クレインの何も知りません」
文書ファイルを開き、食い入るように覗き込んでいる様からかなりの熱心ぶりが伺えるものの、澪はあくまで立場を弁えていたのだった。何よりクレインと顔を合わせたことがない、彼の話す一言一句が事実と変わらないものであったとしても、それを話す彼の口ぶりや表情というのは一切わからないのだ。同じ空間にいない以上、クレインをそれ以上に知ることは叶わない。これが彼女の気持ちを掻き立てる要因の一つであることも否めないのだが、単に思春期の少女にありがちなロマンスを求めているものだとばかり思っていた祐の目には、澪のその言葉は何とも異様な響きをもって映ったのだった。
「小説だから、って言っちゃうと元も子もないけど、私はクレインに会ったことがありません。だから、彼らしい彼っていうものすらわかりません。人伝いに彼の話を聞いているような、そんな感覚です」
「モデルの彼をもとに僕が彼を表現した言葉を澪ちゃんが読んでいるわけだから、その感覚で間違ってはないだろうね」
「それで、この小説でのクレイン……前の小説で誰かがクレインについて話したとします、クレインってこういう人だよって。それと、今回の作品の透くんが話すクレイン像って違うと思いました」
「それは見る人間が違うからそうなるんじゃないかな」
「はい。時代背景を変えると語られるクレイン像も違う、という結びつけにはできません」
「ううん……結局澪ちゃんの結論は?」
「クレインの話を聞かないことにはさっぱり」
「何だって!? それじゃあ問題解決になっていないじゃないか……」
少しだけ、ほんの少しだけ期待していた自分が馬鹿だったと祐は澪に気付かれないように祐は心の奥底で一言漏らした。