09 真珠が武器ならミツハは兵器
「旦那様、ミツハ様を御案内致しました」
「うむ、席に御案内してくれ」
先程の形式張った貴族の顔合わせとは違い、今は非公式な家族の食卓と、そこに招かれた友人、という形である。仰々しい言い回しの必要はない。
そしてシュテファンに案内されて食堂にはいってきたミツハを見て、ボーゼス家の5人は息を止めた。
輝く純白のドレス、煌めくエナメルの靴。首には値段も判らぬ大粒の真珠のネックレス。白のドレスと漆黒の髪のコントラストに、この世に存在するはずのないネックレス。しかしそれさえも、ただ少女の美しさを引き立てるだけの脇役に過ぎない。
まるで時間が静止したかのように、無音の時がただ過ぎてゆく。
カツン!
シュテファンがわざと立てた靴音に、一瞬ビクッとしたあと、クラウスが再起動した。続いて他の者も動き始める。ぎこちなく。イリスの眼はネックレスに向けられたまま視線を外さない。
「お招き戴き、ありがとうございます」
ミツハはカーテシーで軽く挨拶し、席に座った。
「う、うむ、歓迎する。これは家族の団欒だ、形式やマナー、言葉遣い等をあまり気にする必要はない。気楽に食事を楽しんでくれ。でないとせっかくの食事がまずくなるからな」
クラウスの言葉に、ミツハはにっこりと微笑んで了解の返事を返した。
食事中は、当たり障りのない会話が続いた。先程の顔合わせで妻や子供達の紹介すらしなかったクラウスがミツハに詫びて家族の紹介をしたり、ボーゼス領の特産物や美味しい名物料理の店の話等、それなりに楽しい話が続いたのだが、遂に食事も終わり、テーブルの上がお茶と茶菓子、お酒とつまみだけとなった。いよいよ本題が始まるのだ。ミツハを含め、全員が緊張に包まれていた。
「あ~、ミツハ嬢」
「は、はい!」
クラウスの言葉に、ミツハの声がうわずる。
「いやいや、別にとって喰おうってわけじゃないから、気楽にしてくれ」
「はい…」
気楽にしろと言われても、無理なものは無理である。
「君はいったい何者なのかな。出来れば正直に答えて欲しいのだが…」
さて、いよいよ本番である。
「はい、この大陸とは違うところから来たのは本当です。伯爵様に会って戴くために家名を名乗りましたが、国を出てこの大陸に渡った今となっては祖国での身分も立場も何の意味もありません」
全て本当である。ミツハはこの大陸以外の場所から来たし、伯爵に会うために家名を名乗った。それが本当の名かどうかは別にして。
「国を出た理由は、まぁ、後継者問題と言いますか…。
父が病で亡くなりまして、優しく聡明な弟が跡を継ぐのが当然ですのに、なぜか弟ではなく私が継ぐべきだと主張する頭の悪い方々がおりまして。その方々が私を担ぎ上げて何やらしでかす前にと、書き置きを残して家を出ました。恐らく、私を担ぐ方々は、私が継いだあとに御自分の息子とかを押しつけて簒奪を狙っていたに違いありません。近くにおりますと見つかって連れ戻されそうなので、船で別の大陸へと…。
持ち出したのは、私個人の私物の一部、そして母の形見であるこのネックレスくらいです」
ミツハは練り上げたストーリィを説明する。
あ~。この子を推そうとした人達の気持ちが分かるような気がするな。自分達のせいでこの子が国から逃げ出したと知って、転げ回って後悔してるんだろうな~。
ミツハのでまかせを信じたクラウスは、実在しない家臣を哀れんだ。
「そういうわけで、もう国には戻れませんし、出来ればこの国で生きて行きたいと思っています。母の形見のこのネックレスを売れば、そのための資金はなんとかなると思いますし」
「う、売るですってぇぇ!」
イリスが派手に喰いついた。
「あ、あなた、それが何か判ってて言ってるの!」
「あ、はい、本物の真珠なのでそこそこの値段で売れるかと…。あの、もしかしてニセモノとかですか?」
「な、あなたねぇ!」
イリスは興奮のあまりかテーブルをバンバンと叩いた。
「あのね、真珠というのは、値段がピンからキリまであるの。色、形、大きさ、真珠層の厚さ、その他色々ね。
で、そのネックレス、最大級の大きさに真球に近い形状、色の深みは層の厚さを示しているし、そもそもその粒の揃い具合は何よ!
1粒2粒ならいいのよ。いくらいい真珠があっても。せいぜい指輪かイヤリング、ヘアピンか胸飾りにできるくらいだから。でも、そんな真珠がネックレスにできるほど揃っていてたまるもんですか!
真珠がいったい何個の貝につき1個見つかると思ってるの! その中で装飾品に使えるほどのものが何割あると? それが、最高級で粒や色味が揃っててネックレス? 無い! そんなものがあってたまるもんですかあぁ~!」
バンバンバン! と再びテーブルを叩きつける。
いつもは温厚な母親のその剣幕に、子供達はドン引きである。
「あの、もしよろしければ、イリス様にお譲りしても…」
ミツハの爆弾発言に、イリスが硬直する。そして首から上だけがギギギと動いてクラウスを見た。
蒼白になったクラウスは、恐る恐る妻に訊ねた。
「い、イリス。それって、相場はいくらくらいかな…」
「相場? あるわけないでしょ、存在しないはずのモノなんだから。この世にあるはずのない、掛け値無しに世界唯一の宝物。未来永劫世界中に自慢でき、他者に越されることの絶対にないステータス。所有するだけで世界に自分の名を残せる夢のアイテム。どこかの国王とか大金持ちとかがそれを入手するのにお金を惜しむと思う?
あ、言っとくけど、オークションとかは駄目。奪い合い、殺し合いが始まって、出品者なんか、出所を吐かせるためにその日のうちに行方不明よ」
ひいぃぃぃ! 予想を超え過ぎィ!!
養殖というものが存在しない世界では高く売れると思ってはいたが、まさかそこまでとは…。地球では安くてこっちでは高価なもの、ってことで考えたんだけど、オーバースペックだったか、養殖真珠のネックレス…。
最高級クラスの130万のじゃなく、30万から50万くらいのにしとけば良かったか。それとも他の人造宝石とかの方が良かったかなぁ。
宝石類は市場の混乱と出所を探られるのは予想済み、伯爵家に引き取って貰って市場には流れない今回だけの一発勝負で拠点購入用の資金と後ろ盾を得る、という計画だったんだけどなぁ。だからこその、高額間違い無しの最高級品。
あ、そうだ!
「イリス様、それならネックレスをバラしてバラ売りすればいいのでは…、ひぃっ!」
イリスに殺人鬼のような眼で睨まれた。
「バラすですって! この至宝を! 女神様のネックレスを! あなた、神に喧嘩売る気!!」
もう、どないせいっちゅーねん……
再びの沈黙がしばらく続いた後、仕方無くミツハは強引に当初の計画をゴリ押しした。
「あの、これが売れないのなら、お金も知り合いもなく勝手の分からない国で、私詰んじゃいます。今の私に必要なのは、綺麗だけど何の役にも立たないネックレスではなく、生活を支えるお金なんですよ、お金」
「だが、それは母君の形見なのでは…」
「母上は、私がネックレスを持ったまま飢えて死ぬより、売って幸せに生きる方が喜んで下さると思うのですが…」
「う、うむ、それは確かに…」
ネックレスの売却を思いとどまらせようとしたクラウスはミツハの反論に黙り込む。
「それでですね、やはりイリス様にお譲りしたいと思うんです。伯爵家ならば無理に出所を教えるよう強要されたりしないでしょうし、市場に流れるわけでもないので混乱も起きないでしょうし」
「し、しかし金額が…」
クラウスが引き攣る。
「王都でお店を構えることができるくらいの金額で充分です。あとは自力で頑張ります!」
「ミツハさん、あなた、そんな…」
イリスが仰天する。
「いいんです。それに…」
ミツハは上目遣いでイリスを見つめて言った。
「イリス様に、持っていて戴きたいんです。そして、母を偲びたくなった時、それをお付けになったイリス様をぎゅっとさせて戴ければ……」
そう言って俯くミツハに、イリスはぷるぷる震えると目尻にじんわりと涙を浮かべた。
「ミツハちゃん!!」
椅子を蹴り倒して走り寄りミツハに抱きつくイリス。
「イリス様……」
……よし、行ける!
テレビも映画も無く、本も娯楽用のものなどろくに無いこの世界。物語など上流階級の者ですら観る機会の少ない演劇か、乳母や母の寝聞かせくらいしか触れる機会がない。つまり、免疫がないのだ。
テンプレお涙頂戴モノに、伯爵一家は簡単にハマった。決して愚かではなく、それどころかやり手ではあるものの、一家揃って人が良い。ミツハが集めた情報の通りであった。利害が絡めば話も違っただろうが、利害どころか伯爵家にとっては『利』しかない話であるし。
場が落ち着き、話も穏やかなものとなる。これまであまりの話の急展開に口を挟むことすら出来なかった伯爵家の子供達も、ようやく話に加わることができた。皆、ミツハと話したくてうずうずしていたのだ。
「ミツハ、君のその美しい黒髪と神秘的な漆黒の瞳、それは女神が君だけに与えたもうた奇跡の色…」
「あ、私の国では殆どの人がこの色です」
ボーゼス家長男アレクシス、17歳。轟沈。
女の子に声を掛けまくるが、別に悪い男ではないのだ。ただ単に『可愛い女の子が大好き』なだけで。
「ミツハ、父上が貰ったあの万能ナイフ、凄いよねぇ。何か他に国から持って来たものって無いの?」
次男テオドール、15歳。思慮深そうな知的な顔。ゲームで言うなら魔術師ポジション、って感じかな。
「あ、普通の折り畳みナイフならありますよ。はい、これです」
ミツハはドレスの裾を大きく捲り上げて何やらごそごそした後、何かを取り出してテーブルの上に置く。
「み、ミツハちゃんっっ!」
怒鳴る娘のベアトリスに、赤くなるアレクシスとテオドール。
え? 私何かした?
「切れ味いいから、気をつけてくださいね」
そう言って、カチンと刃を起こしてロックしたナイフをテオドールに差し出す。
「…凄い」
刃の鋭さ、美しさ。柄の造型の見事さ。そして折り畳みできるという携帯性の良さと安全性。テオドールはそのナイフから目を離せない。
「あ、よろしければお売りしますよ?」
「え?」
「いえ、護身用に持っているんですけど、もうひとつあるんで。金貨1枚でいかがですか」
「買います!」
テオドールは即答した。
ミツハは食事中の会話でこの国の大体の貨幣価値を聞き出していた。いや、勿論村でも聞いたのだが、あの村で聞く貨幣価値はどうもあまりアテにできないような気がしたのだ…。
それにより、金貨1枚が大体10万円くらいの感覚であろうと判断していた。仕入れ値の10倍は行っていないから良心的な価格であろう、雑貨屋『ミツハ』としては。貴族のぼっちゃんにとっては大した金額じゃないだろうし。まぁ、ご祝儀価格、というやつだ。…初期サービス、とも言う。
あ、貴族の食卓に武器を隠し持ってた、って、マズかったかな。まぁいいや、気にしていないみたいだし。
本当は、とてもマズかった。幸いにもここがボーゼス家であったことと、ミツハが美しく無力な少女と思われているので護身用なら仕方無いよね、とスルーされただけであった。他の貴族家ならば大問題である。
ナイフを受け取り眼をキラキラさせているテオドールを見て羨ましくなったのか、アレクシスがミツハに詰め寄った。
「他には、他には何かないのかい!」
「う~ん、もう1本は護身用に必要だし、旅に必要なものは売れないし…。国から持って来たもので無くてもいいものと言うと、そうですねぇ、替えの下着くらいかなぁ」
「買った!!」
反射的に叫んだアレクシスに、冷たい視線が突き刺さる。
「アレクシス、あなた…」
「アレク兄様……」
イリスとベアトリスの汚物を見るような視線。
思わず『か…』と言いかけていたクラウス、ぎりぎりセーフで胸を撫で下ろす。
と、そこに響くミツハの声。
「銀貨5枚です」
「「「「売るんかいっっ!!」」」」
「小金貨1枚」
まさかのテオドール入札参加。
結局、母親の介入により商談は不成立に。
小金貨1枚、1万円相当だったのに。残念。
いや、未使用だからね。勿論。
「ところでミツハちゃん、王都でお店を出すの? どんなお店?」
末っ子で長女のベアトリスちゃん、金髪碧眼。いかにも貴族のお嬢様、という感じであるが、ツンツンしたところはなく、愛らしい感じの13歳。
どうもミツハの方が年下だと思っているらしい。しかしそれも仕方無い。身長は殆ど同じか、ややベアトリスの方が高いかな、という感じ。そして、胸の方が、その、Cくらい…。ミツハは心の中で涙を流した。
「はい、『雑貨屋』をやろうかと…」
「雑貨屋?」
ベアトリスはきょとんとする。
「はい、色々な小物やお化粧用品、可愛いアクセサリー等、女の子が欲しがるような物を中心に、実用品も少々…。それと、国での知識を活かして相談コーナーなんかもやりたいな、と」
「わ、面白そう! でも、相談コーナーっていうのは?」
「私の国とここでは色々と違うところも多いと思うんです。だから、この国では大変なことでも、うちの国ではもう解決済み、ってこともあったり。そういうので何か役に立てないかな、って」
「ほぅ、確かに面白そうだな」
クラウスが口を挟んだ。
「伯爵様、何かお困りのこととかございませんか?」
「う~ん、困っている事、ねぇ…」
しばらく考えていたクラウスは、苦笑しながら言った。
「近頃は特に原因もないのに領内の小麦の収穫量が下がってきているが、流石にそういうのはどうしようもないだろうしな…」
「え、それって、連作障害か肥料不足じゃないですか?」
「え?」
ミツハは説明した。同じ作物ばかり作り続けると同じ栄養素ばかり減って土地が痩せること。他の作物も植えて『土地を回す』ということ。牧草。堆肥。腐葉土…。但し具体的な作物名や細かいことは省く。そこは有料である。
クラウスは食い付いた。質問に次ぐ質問。渇いた喉を酒で湿しつつ、話がどんどんずれて行き、広がっていく。
「新たな特産品の開発! タイプは2種類です。ひとつはボーゼス領でしか作れないもの。もうひとつはどこでも作れるけれど圧倒的な品質差のあるもの。ブランド化ですよ、ブランド化!」
「税率上げれば税収下がる! 常識ですよ、コレ! 内需拡大、購買力増加。そして商人を誘き寄せるんです、商人を!」
「発明! 発明一発でガッポガッポです! 何か新発明のネタ考えましょう!」
話は更にどんどん広がって行き、ミツハの声が大きくなっていく。
何か様子がおかしい。そう思ったイリスが見ると、ミツハの手にはいつの間にかお茶やジュースではなくお酒のグラスが握られていた。しかし、今ミツハが垂れ流している話はボーゼス領にとって有益なものである。イリスはそっと目を逸らせた。流石は貴族の妻である。
「ミツハ、そこはほら、穴掘っておいてやらんと!」
「やだ~、おとうさんったら! …あ……」
ミツハは動きを止めた。
どうして間違えたのか。ただ言い間違えただけなのか。なんだか楽しくって。うちで馬鹿話してる時みたいな気になってて…。
泣かなかったのに。あの時も我慢できたのに。あの時も、あの時も……。
いつの間にか俯いてぽろぽろと涙を流していたミツハの肩が、優しくそっと抱かれた。
「…良いのだ。良いのだよ。父と呼んでくれても良いのだ……」
うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~!
厚くて男臭い胸にしがみついて、ミツハは泣いた。
そしてそのままいつの間にか寝入ってしまったのであった。