06 光波、村を出る
そうこうしているうちに、コレットちゃんが目を醒ました。
いやもう、大騒ぎになった。抱きついて泣き叫ぶコレットちゃん、ベアハッグを避けきれず悲鳴をあげながらコレットちゃんの肩をタップするミツハ、驚いて部屋に飛び込むご両親……。
「やめ、やめ、痛い痛い痛い、折れるうぅ~!」
ミツハの叫びで、ようやくコレットちゃんの締め付けが緩んだ。が、すぐに気付いたコレットちゃんの叫び。
「ミ、ミツハ、こ、言葉!」
ご両親も唖然としている。
しかし御安心、ちゃんと理由は考えてあるのだ。
「コレットちゃん、今まで色々とありがとうね。なんか、失ってた記憶が戻ったみたいで、国で勉強したこっちの言葉も思い出したみたい…」
「よかった、よかったよぉ、ミツハぁ~!」
ミツハにしがみついて泣きじゃくるコレットちゃん。ご両親も、うんうんと頷きながら涙ぐんでいる。
ええ人やぁ~
ようやくコレットちゃんが落ち着き、やってきました、情報交換タイム。
こっちの事情は、あまり詳しい話になるとボロが出そうなのでなるべく情報は少なく。一応、ワケがあって自国を出て船でこの大陸へ、ということに。いや、この国が海に面しているか分からないから、この国へ、とは言えなくて。
で、獣の群れに襲われてお付きの者とはぐれて、その後のことはよく覚えていない。気がついたらこの家で寝かされていた、という感じで。
身分制度が分からないから貴族という言葉は使わなかったけど、明らかに身分のある者、と受け取られるように話した。
引かれるかな、と思ったけど、少し驚いたようだったけどそんなに大きな態度の変化はなかった。まぁ、考えてみれば、最初の服装は明らかに農民らしくなかったしなぁ。自国の貴族ならともかく、他国の貴族なら関係無い、ということかも知れないし。まぁ、よく分かってないだけかも知れないけど。
次はこっちの質問タイム。ここぞとばかりに情報の入手。
まず、今日はあの日から5日経っているらしい。そりゃコレットちゃんが心配するはずだ。ただ単に疲労とショックのせいなのか、例の操作のせいなのかは分からない。まぁ、どちらでも構わないが。
出刃包丁やスリングショットその他は、ちゃんと全部回収してくれているらしい。ありがたや。で、獣、やっぱり『狼』でいいらしいが、あれも全部回収されて、牙や毛皮、お肉に化けたとか。肉は日保ちの関係で村人みんなで分けて食べちゃったらしいけど、牙や毛皮は処理して置いてあるらしい。で、それらの権利と、肉の代金が貰える、と。いいよ、そんなの。
でもまぁ、一文無しだと思われてるんで、村のみんなが良かれと思ってそう言ってくれてるんだろうから、素直に受けとくか。牙や毛皮は買い取って貰おう。なんか、村人に被害が出る前に全滅させたことをかなり感謝されてるっぽい。そりゃまぁ、下手したら自分の妻や子供が殺されてた、となると当然か。コレットちゃんも、ひとりだったら間違いなくアウトだっただろうし。
でも、全滅って、確かにあの場にいたのは全滅だろうけど、狼って群れで生活しているんじゃ? それに、子連れということは、その父親がいるのでは?
色々と疑問は残るが、地元の人がそう判断するなら、それはそれで良いのだろう。ここの狼は何かそういう習性があるのかも知れないし。母狼は子供を連れて修行の旅に出る、とか、離婚されて子供を引き取って実家に帰る途中だった、とか。まぁ、そんなことどうでもいいけど。
あとは、この国について色々と聞きまくった。お金の価値、近くの町、首都、文明のレベルが分かるような質問、等々…。
田舎の農夫では分かることは多くなかったが、最低限のこと、『この国の田舎の農夫程度の常識』の半分程度は何とか入手できたと思う。
でも、ひとつだけ言いたい。
両親よりコレットちゃんの方が物知りって、どうよ?
目覚めて3日。心配性のコレットちゃんの反対を押し切り、散歩に出た。
何でも、村に運び込まれた時にはかなり酷い状態だったらしく、身体の怪我や左腕を見たコレットちゃんは半狂乱だったらしい。その傷も、例のアレのおかげかかなり良くなっており、痛みも殆どないのだが。
まぁ、そのせいでかついていくと言い張るコレットちゃんを説得して色々と理由をでっちあげてひとりで出るには苦労した。ひとりでないと困るのだ、ほんとに。
こちらに何度も振り返りつつ山菜採りに出かけたコレットちゃんの姿が見えなくなると、周りに誰もいないのを何度も確認し、地球の自宅へと転移した。
うわ。携帯の着信、何件だよ。
まぁ、連絡とれないから心配してくれたんだろうけど。
メールくれた人全員に返信しなきゃ。
あとは郵便受けを見て、と。各種インフラ系は全部自動振り込みだから問題なし。あと、交番に顔出して無事の報告しなきゃ。例の叔父一家や不良連中の件では色々とお世話になったし、長い間留守にしてると心配かけてるかも。次にやる事は……。
光波は久し振りに入浴し、かなりヨレてきた服を着替えると色々な用事を片付けていった。着ていた服はこちらで洗濯するわけにも行かず、戻る時にまた着るためにそのまま置いておいた。買い物をしてもむこうには持って行けない。手ぶらで現れた光波には荷物は何も無かったのだから。まぁ、村を出るまでの辛抱である。
光波が村に戻ったのは夕方よりかなり前であったが、既に戻っていたコレットちゃんにどこで何をしていたかとしつこく問い詰められた。コレットちゃん、戻るの早すぎ! …まぁ、光波が心配で早めに切り上げたのだろうけど。
光波は完全に忘れていた。あの、岬で光波に絡んできた男達のことを。
あの時、大きな悲鳴もあって、光波を崖から突き落とすところは老夫婦とカップルの4人にしっかり見られた。関わり合いを避けたがった4人も、流石に殺人事件を目撃したとなると話が違う。カップルの女性の悲鳴が響き渡り、男の方は携帯で男達を撮影。老人は携帯で警察に電話、老婦人は男達のクルマを撮影した。何と言うコンビネーション……。
慌てた男達は『知らねぇ!』、『俺のせいじゃねぇ!』等と喚きながらクルマに乗って逃げ出したが、これだけの目撃者と写真があっては逃げ切れるはずもなく、すぐに捕らえられた。
犯人がすぐに捕らえられた上に充分な証人がおり、すぐに片付くと思われたこの殺人事件の捜査は難航した。被害者の遺体が見つからないのである。近隣の行方不明者、失踪者の調査も行われたが、該当者はいなかった。捜査対象が小学生と中学生だったため、光波は捜査線上にはハナから上がりもしなかったのだ。
複数の目撃者と犯人の自供。しかし被害者不明、遺体なし。
警察の苦難は続く。
男達は自業自得である。あの偶然がなければ光波は確実に死んでいたのだから。結果的に助かったものの、それはあくまでも結果であり、偶然である。あの男達は『人を殺す行為を行った』のであるから、相応の罰を受けることに何の問題もない。放置しておくとどうせ同じ事を何度も繰り返し多くの者に迷惑をかけるだけなのだから。
家族が亡くなったあと、光波は新聞を取るのをやめていた。自分だけならテレビとネットで充分だからである。すぐに溜まる新聞紙の処分も面倒だし、そもそも通行人から丸見えの郵便受けに中途半端に突っ込まれるため不在で未回収だとそのことが不特定多数に知れ渡るというのも安全上不安を感じるからである。
そのため事件がニュースに取り上げられている頃にこちらにおらず、今回の数時間の帰宅でもメールの返信に時間を取られた光波はテレビやネット検索の時間が取れなかったためそれらを知る機会はなく、次に帰宅する頃にはもうこの事件のことがテレビのニュース番組に取り上げられたりネットニュースの上位位置に挙がることもなくなっていた。
結局、その後も光波がこの事件のことを知ることも、男達のことを思い出すこともなかったのであった。
そろそろか。
一時帰宅から7日。怪我もとっくに治り、跡形もなく治ったことがばれないようにするのが大変なくらいである。狼の牙と毛皮も、村人が喜んで買い取ってくれた。少し高めに買ってくれたようだが、仔狼の毛皮は損傷が少なく良い買い物であったらしい。更に手を加えて町で売るとか。
…あったんだ、町との交流。
そういうわけで、幾ばくかの現金収入もあり、旅に出られるという名目は立った。あとはこのあたりの領主が住むという町を経由して王都を目指すのである。
町は、所詮地方の田舎町に過ぎず、確かにこの村とは比較にならないが、まぁ、その程度の町、である。だがここは王都へ向かう乗合馬車の始発の町である。そして、領主が住んでいる。
あれからコレットちゃん一家だけでなく他の村人とも仲良くなった光波は色々と情報収集に励んだのだ。村人に感謝されており、怪我でしばらく働けないと思われている光波には、退屈を紛らせてやろうという村のおっちゃんやおばさんがよく話し相手になってくれたのだ。ひとりひとりが知っていることは少なくても、それぞれが別のことを知っていれば、それらを集めれば中々の情報量となる。今では光波は町と領主一家については村一番の物知りと言えるだろう。
まずは領主に顔を繋ぐ。
村人によると、ここの領主は貴族としては珍しく、中々の善人らしい。領民を大事にするし、不作の時には税を猶予したりと、領民にとっては凄く『当たり』の領主だとか。しかも中央にも結構押しが利き、かなりの有力者であるとか。爵位は伯爵。うん、王族とその係累である公爵を除けば、上は侯爵しかいないね。なかなかの良物件。
村から町までおよそ30キロ。いや、村人の話からの予想なので不確かだけど。村の人が1時間に10キロ歩くとかだと、100キロ以上あるかも知れないし。
まぁ、それは今考えても仕方無い。とにかく、町へ行って領主様と仲良くなってから乗り合い馬車で王都を目指す。うん、後ろ盾は必要だからね。
馬車の料金や生活費? 村で手に入れたお金では全然足りないけど、それもあっての領主様、ですよ。
予想していなかったわけじゃない。だが、やはり立ち塞がったか、最大の難関が!
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 行っちゃ嫌だあぁ~~~!!」
コレットちゃんに泣き喚かれた。まぁ、互いに命を助け、助けられた仲だしねぇ。村にはコレットちゃんと年齢が近い女の子も少ないし。怪我したあとの山菜採り以外はいつもべったりだったしねぇ…。
「ごめん、でも、どうしても行かなきゃならないんだ。当初の目的もあるし、はぐれた者達とも、何かあったら王都で、って約束してるし」
「で、でも、でもぉ~…」
両親が宥めても効果がない。
「じゃ、約束する。王都で落ち着いたら、必ずここに報告に来る。もしコレットちゃんが王都に来ることがあったら、絶対会いに行く」
「うう……」
「コレットちゃんは頭が良いから、本当は分かっているんだよね、止められないって。だから、笑顔で送り出して欲しいんだ。次に会う時まで、コレットちゃんのことを考える時に浮かぶのが泣き顔じゃイヤだよ。笑顔のコレットちゃんがいいな」
「ぐふぅ……」
光波と、無理矢理笑顔を浮かべようと懸命になるコレットちゃんを見て、父親のトビアスが小さな声で呟いた。
「タラシがいる。ここに悪質なタラシがいるよ……」
失敬な!
翌日の朝、村人達に見送られ、光波はようやく村を出発した。
背負った袋には、水と食料。水は革袋に約4リットル、食べ物は4食分で、うち2食は軽食程度。
村の大人なら町までは朝早く出れば夕方には着けるらしいが、光波は2日かかるとみんなが断言したためそうなった。そのため、その他の荷物を持つ余裕はない。光波自身の荷物は元々無かったが、村人は心配して毛布とか色々持たせようとした。しかしそれら全てを持つと、光波は立ち上がれなかった。歩けない、等以前の問題である。何人もの村人が同行を申し出たが、光波はそれを全て固辞した。それはとても都合が悪いからだ。ほんと、致命的に都合が悪い。
そうして、半ば強引に、光波はひとりで村を出たのであった。
村人が町へ行くことは滅多にない。往復2日、町での滞在が1日として、最低3日。別にそう遠い距離ではないが、大した用もないのにふらりと行くには遠い。町での宿泊にはお金もかかる。自給が殆どの村には現金収入が少なく、宿代や食費その他を払った上で買い物をする余裕などありはしない。結局、何か余程の理由がない限り、村人は町へは行かない。たまに村を訪れる行商人から買い物をする程度で済ませるのであった。
つまり、どういう事かと言えば、『光波が町を訪れなくても、まずバレない』ということである。かなりの日が経ってから町を訪れた村人がいても、わざわざ光波のことを聞いて回ったりはしないだろう。『知らない』と言われて終わりだ。
別に、光波が町に行かないというわけではない。行くのは行く。ただ、日程が大きくずれる、というだけであった。
『それ』は、世界移動、光波が言うところの『転移』についての知識を光波の記憶に押し込んでくれていた。それによると、転移は、初めて行く世界では転移地点がランダムに設定されるらしいが、二度目からは念じた場所に出られる。但し、その場所がはっきりとイメージできないと駄目らしい。つまりは『一度行った場所』であれば良いわけである。
ならば、一度行った場所であれば、一度他世界を経由すれば同じ世界内での移動が一瞬でできるわけなのである。そのため、一度は普通に移動して行く必要があるが、その後はいつでもそこに行ける。だから光波はこのまま真っ直ぐ町へと向かうが、その間に地球へ戻って色々と準備を行うつもりなのであった。領主攻略や王都への移動の保険のために。
村からかなり離れた場所で、光波は自宅へと転移した。とりあえず着替えて、靴を替えて、愛用の原付を持って来るのだ。町と村を結ぶ道は、利用者は滅多にいないのだから。もし万一人影が見えたら、さっさと転移すれば良いだけのことである。
道の状況も考えて、ノロノロ運転で慎重に走らせたが、1時間ちょっとで町が見える丘に到着した。途中誰にも会わなかった。計画通りである。今日はここまで。あとは後日、ここから歩いて町へと向かう。これからは仕込みの時間だ。さて、忙しくなるぞ。