03 コレットちゃんは身振り伝達が上手すぎる
そして数年後……。
いやいや、あれからまだ3日しか経ってないから!!
懸命のパントマイムの結果、なんとか私の希望するところを理解して貰えた。……と、思う。
ひとつ、働くから暫くの間ここに置いて下さい。ふたつ、その後町に行きたいのでその時には水と食料を分けて下さい。みっつ、町までの道を教えてね。
これだけ伝えるのに非常に時間がかかった。言葉を覚えるのはあきらめた。どうせ数日では殆ど覚えられないだろうし、町へ行けば電話があるだろうから大使館か国際電話で日本へ電話するか、日本語、悪くても英語が分かる人を探して貰えば済む話だ。帰国後はこの国の言葉を使う機会もないだろう。いや、お礼はするけど、それは誰かに翻訳して貰えばいい。
あれこれするうちに何となく分かったのだが、まず、やはりというか何というか、私は子供と思われているらしい。確かに未成年だけど、そういう意味ではなく、ね。で、それも10~12歳くらいに。…いいよ、都合が良いからもうそれで通すよ! まぁ、コレットちゃんが8歳だからなぁ…。もう、12歳で通すか。
それと、このあたりの風習なのか、孤児や捨て子は誰かが引き取って育て、その家の子供になるのが普通らしい。成人後に元々のその家の子供と結婚することもそう珍しいことではなく、「真の親子に」と、みんなに祝福されるらしい。勿論、普通に他の家の者と結婚して普通に実家の両親として恩返しするのが大多数らしいが。まぁ、小さな村なので元々村人全員が家族みたいなものらしい。
で、何が言いたいかと言うと、『孤児や身元不明の者を拾ったら、役所に届けたりせずにそのまま面倒をみる。どうせ捨てられたのだからわざわざそんな親を探したりしない』ということらしいのだ。ああ、だからここのご両親は平然とした様子で私の面倒をみてくれたのか。まぁ、私はすぐに出て行くけど。
…で、なぜそんなことをわざわざ半日もかけて説明したのだ、コレットちゃん? 身振りに指さし、木切れでガリガリと地面に家系図らしきものをいくつも描いて、すごく時間をかけて苦労して。今どうしても説明しなきゃならない程のこと? あそこの家は拾い子の女の子とそこの息子が結婚、あっちの家は拾い子と実子で親の面倒をみて、って。いや、なぜそこで私をじっと見る!
何となくコレットちゃんからのプレッシャーに引き攣るが、家事を手伝ったりしてのんびりと数日を過ごした。ろくな調味料もなく竈を使っての調理とハンデは大きかったが、小学生の頃から母の料理を手伝い中学からはまるまる任されたりで経験は充分、それなりのものはつくれた。結果はなんと大好評で、妻のエリーヌさんにぐぬぬ、と唸られた。
それに対して薪割りは散々。いや、薪割りって家事なの? 父親の労働の一部じゃないの? あ、薪の用意は家事の一部でエリーヌさんとコレットちゃんの担当ですか、そうですか。
で、斧は重い。鉈は使い方が難しい。振り下ろすと外れる。薪を食い込ませてから薪ごと振り上げて叩きつけるには重くて振り上げられない。そうこうしていると掌の皮が剥けて、筋肉が、息切れが、腰が……。即行、戦力外通知を受けた。なぜそんなにスコンスコンと割れるのだ、コレットちゃん……。
翌日は、コレットちゃんとふたりで山菜採り。籠を背負って森の中へ。あ、背負っているのは私だけね。籠2つ分も採れるわけがないので、主戦力のコレットちゃんが動きやすいように私が背負う。うん、非常に論理的である。
あれ、ここって私が彷徨ってた森? そうか、それでコレットちゃんが見つけてくれたのか。じゃ、あの日台無しにした山菜採りのお詫びに、頑張って探すよ! 山菜の種類はコレットちゃんに見本見せて貰ったから大丈夫!
…と張り切ったものの、どうやら山菜が生える場所を探すにはコツがあるらしく、コレットちゃんに指示された場所を探すと見つかり、自分で探すと全然見つからない。まぁいいや、これで身を立てるわけじゃなし、コレットちゃんのお手伝いが出来れば…。
籠の中の山菜が3分の1くらいになった時、突然コレットちゃんが立ち止まった。見てみると、何だか顔色が悪い。身振りで私に籠を降ろすように伝えて来た。怪訝に思いながらも指示通りに籠を降ろすと、ゆっくりと後ずさってきたコレットちゃんが小さな声で囁いた。
「ケル、コロレ、マルトネース…」
うん、出発前に何度も繰り返して覚えさせられた言葉のうちのひとつだね。いや、言葉を覚えるのはあきらめたけど、それは普通に会話するのは、ってことで、簡単な単語くらいは覚えるよ、そりゃ。はい、いいえ、水、食べ物、お腹空いた、それ頂戴、とかの、とても大事で必須の単語は。で、今の言葉は、危険な獣が出た時の、って、大変だぁ! このあたりには危険な獣はめったに出ないって言ったじゃん、地面に描いたあれってそういう意味の絵だよね、絶対。
…って、「滅多に出ない」ってことは、「たまに出る」ってことですか、そうですか。
籠をそっと置いて、ふたりで静かに来た方向へと引き返す。籠は後日危険が去ってから回収するのだろう。獣は村人が狩るのか、居なくなるまで子供は森に近付かせないようにするのか…。商売あがったりだよ、もう。せっかく集めた山菜、回収する頃にはダメになってるかなぁ。うまく乾燥品になってたりはしないよねぇ。
ま、ちょっぴりの山菜より命が大事。そろりそろりと逃げますか、って、風、前から吹いてないかコレ。風上に立ったがうぬの不運よ、って、マズくないかコレぇ! って、流石の超少女コレットちゃんも獣より先に相手の気配に気付けるとは思えない。どうせ見つかってたか。あとは向こうが満腹で今は猟をするつもりがない、他の獲物を追っている、菜食主義の獣である、等に期待するしか…、って、望み薄か。じゃ、なぜさっさと襲いかからない? 考えろ、考えろ、唸れ私の雑学コンピュータ!!
うん、出た。可能性は3つ。
ひとつ、ゆっくり包囲してから確実に仕留める。足の遅い人間の子供相手にそんな必要が?
ふたつ、なぶりものにして楽しむ、お遊び。それなら姿を見せて怖がらせていたぶるのでは?
みっつ、子供に狩りを教えるための練習台。足が遅くて逃げられる心配がなく、反撃で子供が思わぬ大怪我をする心配がない、理想的な獲物。そーですね、理想的ですね、人間の女の子。ひとり女の「子」とは言い難い者が混じっているのは内緒だ。
それはあくまでも予想に過ぎないが、獣が迫っている可能性は高いだろう。なんとか無事に逃げ出す方法は……。
時間稼ぎ? 夜になっても戻らないふたりを探しに来てくれるまでにどれだけの時間がかかる? 真っ暗な夜の森に探しに? 両親はともかく、村人はそんな危険は犯さないだろう、多分。それにどうせ間に合うような時間じゃない。
振り返った時、木々の隙間から何か動くものがちらりと見えた。複数。狼っぽいのが1頭と、それよりかなり小振りなやつが数頭。予想通りか? あのタイプだと木登りはできないか? 低い位置に枝がなくて登りにくそうな…。
もう間もなく一気に来るだろう。いい木、いい木、と、仕方無い、アレで!
「コレット!」
割と細めで下の方には枝が無く獣には登りにくそう、しかしコレットの体重くらいは楽に支えられそうな木を見つけるとコレットの手を引っ張り強引に引き寄せた。腋に手を差し入れて思い切り持ち上げて木に押しつける。
「ミツハ! ーー、ーーー!!」
木にしがみついたのを確認すると、叫ぶコレットを無視してコレットから手を離すと今度はコレットの靴の下に両手を当てて一気に押し上げた。光波の意図を察したコレットはあわてて両手を動かして木によじ登り、届いた枝を掴むと身体を引き揚げた。
「ミツハ、ーーー!」
光波を引き揚げようと必死で手を伸ばすコレットだが、光波は微笑んで首を振る。
「ごめん、私、木登りは苦手なんだ。その木もふたりじゃ折れちゃいそうだし。じゃ、さよなら、元気でね!」
獣はふたりがあきらめたと思ったのか姿を現しゆっくりと歩み寄って来た。ちらりと見た時のとおり、成獣らしきもの1頭、仔らしきもの3頭。狼っぽいから、もうこいつら『狼』と『仔狼』でいいか。注意を自分に引きつけるために足下の木の枝を拾い狼に投げつけた。勿論簡単に当たってくれたりはしないが、攻撃の意図が伝わったのか唸り声をあげて光波を睨む。よしよし、これで私は『無抵抗の無力な獲物』から『抵抗する獲物』にランクアップ。ヘイトを稼いで敵を引きつける。できるだけ多く、できるだけ遠くへ!
「ミツハ、ミツハ、ミツハ~~~!!!」
必死で叫ぶコレットを残し、全力で駆け出した。
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……
光波の朝は早い。色々とやることが多いから。
光波の体力切れも早い。色々とやらないことが多いから。
学校の体育の時間以外は兄に誘われてサバイバルゲームに連れて行かれた時くらいしか運動をしない光波は、見た目通りに体力がない。反射神経とかは悪くないのだが、とにかく保ちが悪い。足場が悪いこともあってか、全く本気を出しているとは思えない狼にあっという間に距離を詰められた。
(親だけか…。仔なら木には登れないか。親も大丈夫とは思うけど、念のため、殺される前になんとか脚1本でも獲れないか…)
もう自分のことはあきらめた。あとは、何としてもコレットを守り抜く!
疲労に足が縺れた光波は盛大に転び、近くにあった大木にぶつかった。
牙を剥いて飛びかかる狼が目前に迫る。
(死にたくない! コレットちゃん、おとうさん、おかあさん……)
狼の牙が迫る。死の寸前、光波の脳裏に様々なものが浮かび、流れてゆく。コレットの笑顔、両親の姿、そして2つ年下の自分を可愛がり、色々なことを教えてくれた優しく頼りがいのある、ちょっと、いや、かなり趣味人な、大好きな兄。小説のセリフを引用するのが好きなのか、いいタイミングで名セリフを引用できると嬉しそうにドヤ顔をするのは少しウザかったが。あの兄ならこんな時にどんな名セリフを引用したのだろうか…。
光波は最後に声を振り絞って叫んだ。
「お兄ちゃあああぁぁぁ~~~んッッ!!」
そして光波の姿はかき消え、思い切り大木にぶつかった狼が激痛に転げ回ったあとでようやく立ち上がり、きょとんとした表情を浮かべて立ち尽くしていた。