170 制 裁 2
「な、ななななな……」
驚愕に固まっていたパーティーの主催者が、はっと我に返って叫んだ。
「急げ、怪我をしているかも知れん!」
華奢な貴族のお嬢様が飛び降りるには、この窓と庭との高低差はいささか大きい。足を挫く程度で済めば良いが、下手をすれば、骨折とかの可能性もある。
他国の貴族の少女を大怪我させたなどという噂が広まっては、堪ったものではない。それも、あのような糾弾をされた後となれば、全ての責任が自分に降りかかってきてもおかしくはない。
そして、少女の母国から、怒り狂った両親や外交ルートでの抗議でも来た日には……。
蒼白になった顔で『ウォンレード伯爵とエフレッド子爵』の方を見ると、同じく、蒼い顔をしている。
どうやら、あまり役に立ってくれそうにはなかった。
「伯爵……」
「伯爵殿……」
気が付くと、周りを大勢の客達に囲まれていた。
「どういうことですかな……。せっかくヤマノ子爵に御快諾戴いた、ヤマノ子爵領名産の高級酒をお譲り戴くお話が御破算になってしまったのは、どういう理由のせいなのですかな?」
「儂の誕生日に酒と珍しい食べ物を贈って戴けるという約束をして貰ったが、それも白紙になったのか? 誰のせいなのか、きちんと説明して貰わねば、納得できぬぞ!」
一応、表情は温厚そうではある。しかし、それが激しい怒りを必死で押し殺しての作り笑いであることが分からない者など、ひとりもいなかった。そして、少女がかなり、……かなり怒っていたであろうことも。
主催者である伯爵を取り囲む輪の外側で、ミッチェル侯爵は、顔を引き攣らせながらも、胸を撫で下ろしていた。
(……よかった。他の派閥のパーティーで、本当によかった……)
そして、下手に捕まって関係修復の仲立ちを頼まれたりしては敵わない、と、そっとドアの方へと移動し始めるミッチェル侯爵であった。
* *
「え? どうして急に、そんな話に……」
呆然とする、とある中堅商会の手代。
「いえ、うちの商品の卸元のお嬢様が、ある伯爵家に騙され、罠に嵌められて、おかしな連中に差し出されそうになったとかで、大層お怒りになられまして……。その貴族家及びその係累と取引のあるところとは一切の取引禁止、そして、それらの商会と取引のあるところも、また同じ、とのことでして……。
なお、これは、卸しだけではなく、小売りにおいても適用されるそうです。
うちは、命綱である卸元さんに切られれば死活問題ですからね、言いつけに従うに決まっていますし、それを非難できる人はいないでしょう?」
「なっ……」
数日後、王都中が大騒ぎになっていた。
街中での、一般市民には全く分からない、水面下の世界で。
そう、商人達の間での地下情報と、貴族達の間での情報網での話である。
『あそこと関わると、レフィリア貿易との取引ができなくなるらしい』
『あの貴族家に食材を納入していた大店が、酒と香辛料の購入契約を断られたらしい』
『輸出元が激怒しているらしいから、いくらレフィリア貿易に頭を下げても、全くの無駄らしい』
流れる噂。
係累や派閥の貴族達から怒られ、責められ、頭を抱えるパーティーを主催した伯爵。
卑怯な嘘や罠を仕掛けた全ての元凶として、ひそひそと陰口を叩かれる国王と王太子。
あれから全く姿を見せないヤマノ子爵に、焦りを隠せないミッチェル侯爵と、友好関係を築けていた他の貴族達。
そして、噂の渦中のヤマノ子爵は……。
「あ~、ちょっと働き過ぎだったから、しばらくのんびりしようっと。
そうだ、コレットちゃんとサビーネちゃんを連れて、温泉旅行にでも行こうかな。最近、何だか肩が凝って痛いからなぁ。別に、胸の重みが掛かっているわけでもないのにね、あはは……、って、うるさいわっっ!!」
ひとり自虐ボケ突っ込み。
……かなり疲れているようであった……。
* *
「というわけで、やってきました、有馬温泉!」
「「おおお~」」
御機嫌の、浴衣に着替えたコレットちゃんとサビーネちゃん。
久し振りの、3人ずっと一緒の、『密着24時』だからね。
温泉は、最低でも、2泊!
夕方宿に着いて、翌朝帰るなんて、疲れが取れないよ。
一日中ゴロゴロして、何度も温泉にはいるためには、最低2泊で滞在しなきゃね。
そういうわけで、2泊3日。
……転移で移動する私達の場合は、朝イチで行って夜遅く帰るという日帰りでも充分なような気もするけれど、小さいことは気にしない!
とりあえず、お風呂!
「飛び込み禁止、泳ぐの禁止、潜水禁止、石鹸塗ってお腹で床を滑るの禁止!!」
「「そもそも、泳げないよっ!」」
……あ、そうか。
日本じゃないんだから、全員が泳げるなんて世界じゃなかったか……。
「そして、会席料理!」
読みは同じだけど、会席料理と懐石料理は、別物。
他にも、本膳料理とか精進料理とか色々あるけれど、『精進料理は、動物性の食材や、五葷と呼ばれるネギ属などに分類される野菜は使わない』とだけ知っていれば問題ない。
「「おおおおお!」」
そして、華やかで手間の掛かった料理の数々に、驚きの声を上げる、コレットちゃんとサビーネちゃん。
いや、決して洋食には手間がかかっていないというわけじゃないけど、洋食の手間は、ひと目見ただけでは分かりにくいことが多いからねぇ。コンソメスープを見ただけで『7日間煮込んでいる』とか、シチューやカレーを見ただけで『何時間煮込んだか』なんて、素人には分からないよ。
フランス料理とかは、華やかな盛り付けがしてあったり、すごく美味しいんだけど、何と言うかなぁ、順番にではなく、一度に並べられた和食独特の見栄えというか、インパクトというか、これがサビーネちゃんとコレットちゃんには結構驚きだったらしい。
そして、とにかく、温泉旅館でただひたすらゴロゴロする2泊3日を過ごし、コレットちゃんとサビーネちゃんに対する家族サービス(?)は、無事終了。ふたりとも、両親やメイド少女隊の仲間達へのお土産をたっぷり買い込んで、転移!
* *
「……というわけでございます」
「…………」
執務室で、渋い顔で部下からの報告を聞く、国王。
「ウォンレード伯爵とエフレッド子爵も除外対象になっているため、王宮関係の者にはレフィリア貿易の、つまりヤマノ子爵のところからの品は一切納入されない、というわけか?」
「はい。その名が陛下と殿下の別名であることは貴族と大商人達は皆知っておりますので、もしヤマノ子爵やレフィリア貿易の者がそれを知っていた場合、納入した者達も除外対象に加えられてしまいますから……。
しかし、だからといって、その名は陛下達であるから、とレフィリア貿易の者に伝えるわけにも……」
そんなことは、できるはずがない。
皆が知ってはいても、それはあくまでも『暗黙の了解』であり、正式にそれを通告するなど、物笑いの種にしかならないであろう。
そしてそれが、激怒した異国の少女に、果たして効果があるのかどうか……。
別に、少女はこの国の者ではないのであるから、この国の国王の命令に従う義務はない。そして、この国を出て、他の国で商売を始めれば済むことである。香辛料、塩、砂糖、高級食材、高級酒、……そして宝石や貴金属で。
そこからの転売品を、この国が高値で買うことに……。
「商品を卸した商店に対して、国外への転売は禁じているそうです」
そして部下からの追加報告に、がっくりと肩を落とす国王であった。
「……やむを得ん、計画を変更する。ヤマノ子爵を王宮に呼ぼう。
我が国に自国の商品を運ぶ異国の貴族に対し、王が謁見の許可を出す、ということにして、ウォンレード伯爵ではなく、国王として会おう。国王に似た風貌の、少し王家の血を引くウォンレード伯爵という人物は、暫し王都を離れ、旅に出ておるのだ。
どうだ、それで良いだろう!」
良い案だろう、という顔の国王に、部下の男は首を横に振った。
「前の案よりは、ずっと良いと思います。ただ、ヤマノ子爵が完全に姿を消しており、自宅である物産店を訪ねても、ミッチェル侯爵を介しても、全く連絡が取れない、という問題を解決できれば、の話ですが……」
「…………」
国王がヤマノ子爵の母国産の品々を正式に手に入れることができるのは、まだまだ先のことのようであった。
それまでは、非公式に入手した、相場の数倍の価格で掴まされたものをチビチビと楽しむしかない。
「くそぅ、いったいどこで間違ったのだ……」