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117 閑話 真珠が武器ならイリス様は勇者王 1

「う……」

 社交シーズンで王都邸に滞在していたボーゼス伯爵は、書類仕事をしていた手を止めて、1通の書簡に顔を引き攣らせていた。

「こ、これは……」

 そう、それは、ティノベルク侯爵夫人からのパーティーの招待状であった。

 ボーゼス夫妻への、パーティーの招待。それは良い。よくあることである。

 ……問題は、ティノベルク侯爵夫人とボーゼス伯爵夫人イリスが犬猿の仲である、ということであった。


 ボーゼス伯爵本人とティノベルク侯爵夫妻、そしてティノベルク侯爵とボーゼス伯爵夫妻は、別に不仲というわけではない。それどころか、かなり仲が良く、特に伯爵と侯爵はそれぞれの領地の領主として、そして同じ派閥の貴族同士として、かなり懇意こんいにしている方である。

 しかし、ティノベルク侯爵夫人とボーゼス伯爵夫人。これは、駄目であった。致命的なまでに、駄目なのであった。


 王都の貴族用の女学院で同学年だったのが悪かったのか。それとも、ボーゼス伯爵が夫人に求婚プロポーズしたのが、まだ侯爵と出会う前のティノベルク侯爵夫人の目の前だったのが悪かったのか……。

 貴族の婚姻というものは、本人達の意志とは関係なく、家同士の間で勝手に決められるものである。それを、本人からの直接の求婚など、滅多にあるものではない。しかも、下級貴族の末子とかであればまだしも、伯爵家の跡取りからなど。

 当然、大騒ぎになり、イリスは大勢の貴族の少女達から羨望の眼で見られることとなった。


 イリスが通っていたのは、女学院とはいっても、貴族の娘に最低限の『家族や使用人以外の、他家の者との交流』というものを経験させるための、僅かな期間のまなに過ぎない。勉学や貴族としての素養教育は各家で家臣や使用人、家庭教師等が行うので、本当に、お遊びの場のようなものである。

 ……但し、派閥や力関係というものを肌で学ぶ、恐ろしい場でもあるらしい。そして女学院に通ったことのある女性達は、女学院でのことを決して男性達に話すことはなかった。

 友人達と剣技の鍛錬や馬鹿な遊びで駆け回り、一生の友や多くの知己、そしてコネを得た、自分達が通っていた男子の学院とは何やら少し違うようであり、何度か妻に尋ねたものの、やはり何も教えては貰えなかったボーゼス伯爵であった。


 とにかく、ティノベルク侯爵夫人とボーゼス伯爵夫人の相性は、最悪であった。

 さすがに、パーティーがどこかの子供のデビュタント・ボールだとか誕生日、ホスト家の大事な記念日等であれば、互いに無視するだけで、たいしたことにはならない。一応、互いにその程度の常識は弁えているようなのである。

 しかし、他家や子供達に配慮する必要があまりないパーティーにおいて顔を合わせると、いつも、酷いことになる。そして今回は、ホストがティノベルク侯爵家であり、パーティーの名目が、侯爵夫人の誕生パーティーなのである。

 他家にあまり迷惑がかからず、子供達に配慮する必要もなく、そして自分のホームグラウンド。

 侯爵夫人が手加減するはずがなかった。そして勿論、イリスも……。

 ドラゴンとマンティコアが炎をバックに戦う姿が浮かび、頭を抱えるボーゼス伯爵であった。



「行きますよ、勿論」

「え……」

 出席を断るのではないか。いや、断ってくれるのではないか。断ってくれるといいなぁ……。

 そう思っていた伯爵は、がっくりした。

「不利な場所での戦いから逃げたと思われるわけには参りませんからね」

「戦いなんだ……」

 もう、全てを諦めた様子のボーゼス伯爵。

 イリス様は、やはりイリス様なのであった。

「戦場が不利な場所ならば、その不利をくつがえせるだけの武器を用意すればいいだけのことです」

「え?」

 ボーゼス伯爵には、妻が言っていることの意味が分からなかった。

 しかし、にやりと嗤う妻の顔を見て、碌な事にならないだろうということだけは、しっかりと理解したのであった。




 貴族のパーティーは、日本の庶民のパーティーのように最初に挨拶等があるわけではない。人が徐々に増え、それぞれのグループで会話が進み、ある程度の時間が経ってから主催者の挨拶がある。正確に、時間通りに集まることが難しいがゆえの、当然のシステムであった。

 そして、定刻通りに到着することは失礼にあたり、わざと少し遅れて来るのが当然ではあるが、さすがにそろそろ招待客全員が集まる頃であった。


「皆様、本日は、私の誕生パーティーにようこそお越し下さいました」

 ティノベルク侯爵にエスコートされて壇上に上がった侯爵夫人が挨拶を始め、普段であればそれを苦々しく見るであろう妻が妙に余裕のある様子なのが、とてつもなく不安なボーゼス伯爵であった。

 胸元を大きく開けたシンプルなデザインのドレスに、軽くショールを掛けた妻の姿は、美しい。初めて会った時と変わらぬその姿に伯爵が見とれている間に、侯爵夫人の挨拶が終わった。そして、壇上から降りて真っ直ぐにこちらへと向かって歩いてくる侯爵夫人。

(ああああぁ……)

 自分には、どうしようもない。

 そう思い、すべてを諦めたボーゼス伯爵であった。

 そして、歩み来る侯爵夫人の後ろには、ボーゼス伯爵と同じ表情を浮かべたティノベルク侯爵の姿があった。


「あら、ボーゼス伯爵夫人、私の誕生日を祝いにいらして下さったのね?」

 元クラスメイトであるが、決して互いのファーストネームは口にしないふたりであった。

「ええ、侯爵夫人がまたひとつ年をお取りになると聞きましたから、ぜひその瞬間を見物させて戴きたいと思いまして、ホホホ!」

 びきっ!

 侯爵夫人のコメカミのあたりに、青筋が浮かんだ。

「あらあら、ホホホ!」

「「ホホホホホホホホホ!」」

 周りは静寂に包まれ、来客達の顔は引き攣っていた。

 そして、虚ろな顔でそれを見ていたボーゼス伯爵は、心の底から思った。

(帰りたい……)


「そうそう、夫が、誕生日のお祝いとして、これを贈ってくれましたの……」

 そう言って、イリスと同じようにショールを掛けていた侯爵夫人が、そのショールを取った。そして、その下から現れたのは……。


「「「「「おおおおお!」」」」」

 来客達の間から、どよめきが湧き起こった。

それは、鮮やかな赤色をしたルビーのペンダントであり、色、大きさ、不純物を内包した様子もない輝き等、侯爵夫人どころか、王妃様が身に着けていてもおかしくない逸品であった。

 侯爵夫人は、皆によく見えるようにとペンダントトップを手にして、さりげなく……というつもりなど欠片かけらもなく、ずい、とイリスの目の前に差し出した。そしてその顔に浮かぶ、勝ち誇ったかのような笑み。


 侯爵夫人は、イリスとの戦いにおいて、決して『侯爵と伯爵という爵位の違い』を口に出すことはなかった。それは夫の身分によるものであり、自分達の優劣の差とは何の関係もない。

 しかし、これは違う。この宝石は自分の持ち物であり、自分の身を飾るものである。そしてそれを夫に貢がせられるだけの魅力が自分にあるというあかし。つまりこれは、『自分の実力の証明』なのである。

 そして、悔しがるイリスの顔をじっくり楽しんでやろうと思っていた侯爵夫人は、怪訝な顔をした。……イリスが、全く悔しそうな顔をしていない。それどころか、うっすらと笑みを浮かべている。

(……え?)


 そう、イリスは、これを予想していた。

 伊達にメイドの少女達に小遣いを持たせて『ティノベルク侯爵家のメイドとお友達になりなさい。そのために使った経費は、お小遣いとは別に、全額出してあげるわよ』と言っておいたわけではない。

 メイド達は、甘味屋や小間物屋での支払いが全額無料になるチャンスに飛び付いた。侯爵家の使用人の休暇に合わせて自分も休暇を取り、それとなく接触。甘味屋の支払いを持つことで、急速に仲良くなっていったのであった。そう、雇い主の夫人が凄い宝石を買って貰い浮かれていることや、それがかなりの出費だったらしく、雇い主が頭を抱えているということを、面白おかしく話してくれるくらいには……。

 そして、イリスが反撃に出た。


「あら、私も、夫から贈り物を戴きましたのよ。誕生日でも何でもなかったのですけど……」

 そう言って、イリスはショールを取った。

 そしてその下から現れたものは。

「「「「「「「………………」」」」」」」


 無言。恐ろしいまでの静寂。

 そう、それは、アレであった。

 この世にあるはずのないもの。

 王妃様どころか、女神が身に着けていてもおかしくないもの。

 いや、違う。『女神以外が身に着けていたらおかしいもの』であった。

 真球に近い形状の、大きく、層が厚く、色味と粒の大きさが揃った、奇跡の真珠のネックレス。


(……勝った!)

 愕然とした顔で固まっている侯爵夫人を見て、イリスは口の端を僅かに歪めた。

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[一言] イリス様ご本人も問題だけど、ティノベルク侯爵夫人に娘がいたらだいもんだいだな、入れても断っても、ベアトリスちゃんが母親の敵知ってるかどうかも大事になるけど。
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