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子守り

作者: ここぎ
掲載日:2015/07/31

三題話2

「ナオ君、ごめんね。夕方には迎えに来るから」

 そう言って叔母さんから何度目かの謝罪をナオヤは苦笑い共に受け取った。ナオヤの手にはそこそこのお値段がすることで有名な菓子折りの紙袋が握られており、もともと断れるような状況ではないのだ。

 それならばいっそのこともう少し堂々とお願いしてほしい。年上に頭を下げられるのは、どうも居心地が悪い。

「マリには宿題をしているように言ってあるから。ただ変なことだけさせないようにお願い」

 わずかに視線を移動させると、叔母さんのやや後ろに立ち、そっとナオヤを見上げる小さな女の子が見える。目に涙をためているような気がするけれど、駄々をこねたりはしていない。

 叔母さんは変なことしようとしたら、思いっきり叱り飛ばしてもいいからと、快活に笑う。ナオヤは苦笑を顔に貼り付け、ぐっとため息を飲み込んだ。

「マリ、いい子にしてるのよ。帰ったら宿題どこまで進んだかチェックするからね」

「ママぁ」

 悲しそうに鳴く女の子など、叔母の目には入らないのか軽く頭をなでると、足早に出て行ってしまった。

 絶望さえ感じられるような哀愁を背中に漂わせる小さな背中を見て、ナオヤは今度こそ大きなため息をついた。


 ナオヤは今年、大学受験を控えた高校生である。それ故にお盆の帰省という少々面倒な恒例のイベントを、家族で唯一免れていた。当然、2,3日という短い期間ではあったが、成人もしていない息子をただ一人残していくことに母は最期まで難色を示していたが、そこに声をかけてきたのが叔母であった。

 母の妹である叔母もまた、本来であれば帰省する予定だったのだが、叔父の出張と、叔母の急きょ舞い込んだ大口の仕事に、予定をずらさざるを得なくなっていたらしい。

 まぁ結局のところ、息子の様子を見てくれる大人がほしかった母と、一人娘の面倒を見てくれる人がほしかった叔母は、利害が一致したのだ。

 こうして、従妹の子守りをするという、奇妙な状況が完成したのだ。


 連日猛暑日となるような夏の真っただ中でも、午前8時前という早い時間もあって窓を開けていればいい風が入ってくる。

 ナオヤは自室にあてがわれているこの家唯一の和室から、最低限必要な勉強道具を取り、リビングへと戻った。

 リビングの床に置かれた小さなテーブルのそばに、カーペットの上にちょこんと座り、黙々と手を動かし続ける小さな影が一つ。算数のドリルをやっているらしくものの5分もすると次のページをめくっており、特に詰まりそうな様子もない。

 おとなしく物静かというのがナオヤの持つ印象だったが、そこに賢く、真面目というのも追加された。

 手のかからない子供というのはこういう子のことをいうのだろう。

 ナオヤは感心しながらも、同じテーブルに参考書を広げ、自身の勉強へと入り込んでいった。


 30分ほどたっただろうか。カーペットの上に座っているため背もたれがないためか、ずいぶん腰が痛い。今日終わらせる予定の問題集にひと段落つき、思いっきり伸びをした。

 ナオヤは、ふと静かすぎることに気が付いた。さっきまで聞こえていた鉛筆を走らせる音が聞こえないのだ。

 顔を上げて様子をうかがうとマリはドリルから、文章題が多く載った冊子に移っていた。

 移ってはいたのだが手は全く動いていない。右に首を傾げ、しばらく悩むと、ことんと左に首を傾げる。それでも投げ出さないあたりやっぱり真面目な子なのだろう。

「わからないところでもあるの」

 こんなにもわかりやすく、わからないと表現しているのに、放っておくわけにもいかず声をかけた。

 マリはビクッと体をはねさせて、ナオヤをじっと見つめるのだ。教えてほしいというわけでもなく、かと言って身振り手振りで伝えてくるわけではない。ただじっと見つめて動かなくなった。

 不思議に思い覗き込んでみると、案の定、冊子は空白が目立っていた。

「疲れたの?」

 マリは大きく首を振った。まだ1時間もしていないのだ。可能性としては考えられる程度だったが、どうやら違うらしい。

 でももし仮に疲れて手が止まっていたとしても、この子は首を縦に振らないことは、ナオヤにはわかっていた。

 これがもう少しヤンチャな子どもだったらと、ナオヤは考えずにはいられなかった。

 マリを持て余しているという感覚が、ナオヤには苦痛に感じていた。

 あぁ、こうなることがわかっていたから『放っておいて』なのか。

「あの」

 自分の勉強に戻ろうと思ったナオヤを引きもどしたのは、可愛らしい呼びかけだった。

「どうしたの」

 できるだけ優しく、目線は合わせて。

 心の中で言い聞かせて、精いっぱいの笑顔を浮かべる。

「おトイレはどこですか」

 拙い敬語はきっとこの子なりの敬意なのか、それとも普段見慣れない男が怖いからなのか。今日のほぼ一日を一緒で過ごす以上、前者であると願いたい。

「この部屋を出てから」

 ナオヤは口頭で説明しようとして、止めた。目的の場所にたどり着けないか、はたまたあっているか不安で扉を開けられないで立ちすくむ未来が、目に浮かぶのだ。

 ついてきてと、ひと声かけてトイレまで案内をする。

 先に戻ってナオヤは、またしても大きなため息をつく。

 手のかからない子というのは、撤回しよう。普通なら当たり前に伝えてくれることが、何かを考えてしまって伝えられない分、余計に大変だ。

 では、何かとは何か。そんなもの相手のことだ。

 これを望んでしまえば相手にどれくらいの負担がかかってしまうか、わずかでもよぎってしまう。だから黙って我慢することを選ぶ。

 難儀な子だと思う。

 難儀で、そして、とても優しい子だと。

 ナオヤは大きくため息をつき、頬を緩めた。


 マリは戻ってくるとまた同じようにテーブルにつき鉛筆を持つと、ぴたりと時が止まったかのように動きが止まった。

当然だ。トイレに行く前と全く状況は変わってないのだから。

 マリは顔を上げ、一瞬ナオヤを見たがすぐに俯いてしまった。

 もうナオヤには、マリが考えていることが手に取るようにわかる。

「マリ」

 自然と優しい声が出た。自然と笑顔になっていた。

「迷惑なんかじゃないよ」

――ガキが大人に気を使ってんじゃねぇ――

 かつてナオヤが言われた言葉だ。

「お願いされてもいやなんかじゃないよ」

――周りの目なんか気にすんな。テメェの目がどこを見据えてんのか気にしとけ。後のことは大人の仕事だ――

 大きな声で、何もかもを吹き飛ばすような笑い声を聞いた。

「ずっといい子でなんていなくてもいいんだよ」

――ガキのうちは迷惑かけてこそだろう。ちっちゃく丸まってたら損だぞ――

 大きくて、やけに固い手で、優しく頭をなでられた。

 願わくばこの言葉が届いてほしい。

 ただその一心で、マリの頭を優しくなでた。

「のどがかわいた」

 マリの小さなつぶやきにナオヤは胸を躍らせた。


 マリに、うんと甘いカフェオレを出した後、マリの宿題を二人で進めた。どうもマリは、勉強は嫌いではないらしいのだが、残念ながら応用には弱かった。それこそ小さなひっかけに毎回引っかかってしまうほどに。

 結局午前中には一通り終わらせることが出来た。元来の真面目さからなのかマリの集中力きれなかったのが大きな要因だろう。

 昼ご飯は二人で近所のファミレスに行った。お金は二人分にしては十分な量を叔母さんから握らされていた。

 余ったお金でアイスを買って、食べながら帰宅したころにはマリは目をしばしばさせていた。

 案の定、ソファに座ってテレビを見ていると隣からは小さな寝息が聞こえてきた。

 全く猫のような子だと思う。仲良くなろうと声をかけても、警戒するばかりで隙を見せない。そのくせ、チラチラとこちらを窺う仕草だけは感じられる。

 とりあえず、クーラーで風邪をひかないように何かかけるものを、と立ち上がろうとして、ようやく服の一部がしっかりと握られていることに気が付いた。

 あぁ、そういえば猫の中には一度仲良くなると、めっちゃ甘えてくるやつもいるんだっけ。

 なんて考えながら、ハンガーにかかったナオヤのシャツをそっとかけてあげた。


 結局、叔母さんは日が暮れる前には迎えに来た。直前まで寝ていたマリを手をつないで連れていくと、叔母さんは優しそうな笑顔を浮かべた。

「どうだった?うちの娘は」

「いい子にしてましたよ」

 そういうことじゃないってわかってるくせにと、叔母さんは笑った。

「鏡を見てる気分だったんじゃない?魔法の鏡」

「叔父さんのように出来たかはわかりませんけど」

「まぁあの人はあの人で変わってるからね」

 マリはようやく靴が履けたのか、叔母さんと手をつないだ。

「これからいいことも、それから悪いことも教えてあげてね」

「努力します」

 叔母さんはほらとマリをせっつくとマリはありがとうございました、と頭を下げた。

 叔母さんは満足そうにうなずくと、またねと言い残して帰って行った。

 こうして、ナオヤの子守りは幕を閉じた。

カフェオレ、猫、和

子供が親に気を使ってんじゃねぇって怒られたことがあります。

あの時は正直なんで怒られたのかわからなかったけど、気を遣うって親にすることじゃないなって今になって思います。

いい子って難しい

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