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始まりの始まり

 木の葉のざわめきと、時折遠くから聞こえる獣らしきものの声。通常存在する音と言えばそのくらいしかない場所。つまり、ここは森の中だ。


 しかし、今この瞬間だけはそこに大きな違いがあった。あまりにも場違いで、森に慣れた者も、そうでない者も、耳にすればその異常さに不安になってしまう音。


 通常あり得ないその音は、一本の大きな木の根元から発生していた。


 小さなバスケットに布が敷かれ、そこに小さな命が横たえられている。個として存在するにもあまりに小さなその命は、森の中という環境に置かれればさらにその希薄さが強まる。


 ――森に巣くう獣たちは、弱者に対して容赦が無い。


 音の発生源は、その小さな命。何のことはない、赤ん坊の泣き声であった。




 よく響く泣き声に引き寄せられ、獣たちが少しずつ距離を縮めている。普段の森には存在しないそれを警戒するように、今はゆっくりとだ。

 ひとたびそれが危険の無い弱き者だとわかれば、その牙をもって小さき命を刈り取る事などそれこそ赤子の手を捻るようなもの。と言うより、そのままの意味で赤子を捻ることだろう。


 もう少しで赤子の姿を獣が確認しようかと言う頃、圧倒的な存在感が近づいてきていた。


 獣たちはそれが近づいてくる方向を一斉に警戒した後、この場にいては拙いという本能から一目散に逃げ出す。

 強者を見極められてこそ、この森で生き抜くことができるのだ。


 かくして、獣に食われると言う未来は少し遠のいたわけだが、赤ん坊にとってそれは幸運だったのか、それとも不運だったのか。


 獣たちが怯えるほどの強者、それはつまり獣よりも危険な存在だと言う事に他ならない。動物の世界というのは弱肉強食という言葉につきるのだ。


 しばらくすると、獣たちが警戒していた方向から、その危惧すべき存在が姿を現した。


 大人の倍はあろうかという体躯に、全身を覆う真っ赤な毛。筋肉質な腕の先には、先ほどの獣たちなど一瞬で貫かれるであろう爪が備えられている。

 口は大きく、そこから覗く牙が獰猛さを体現している。


 ブラッドベア。赤い体毛から名付けられた大熊はこの森の主であり、森に入る狩人にとっての死神とも言われる存在であった。


 正確に言えば獣ではなく魔物に分類されるものなのだが、今は細かいことなどどうでもいいだろう。その大熊だが、どこか様子がおかしかった。


 現れた方向の、さらに奥。つまり大熊の後ろをしきりに気にしている様子なのだ。言い換えれば、何かから逃げていると言えた。


 そして、また逃げ出すために前を向き、その丸太ほどもある脚に力を溜めたところで彼――雌だったかもしれないが――の命運は尽きることとなった。


「ったく。森の主ともあろう者が逃げ出すんじゃねえよ情けない」


 一陣の風とともに、どこからか男が現れた。それも、大熊の目の前である。その男は何やら面倒くさそうに呟きつつ背負っていた大剣を無造作に構えると、予備動作もなしに一瞬で振り抜いた。


 大熊は自分が斬られたのを自覚することもなく絶命していた。胴体と永遠の別れを告げた頭が先に地面に落ち、遅れてその巨体も倒れる。


 衝撃に地が揺れるが、気にした風もなく男がさらに呟く。


「呆気ねえもんだな。ま、今日は久々の熊肉だ。これが結構うま――ん?」


 どうやら大熊は食材になるようだった。そこから出来上がる料理を想像していた男だが、異変に気づいたようだ。


「こんなとこに、赤ん坊だぁ……?」


 戦闘中は鳴き声が耳に入っていなかったのだろう。落ち着いたところでそれが聞こえてきたらしい。男が振り返ると、すぐ近くの大木の下に赤ん坊が放置されていた。


「まあこんなご時世だ。口減らしってのもわからなくはねーけどよ。にしてもこんなとこに捨てることなかろうに」


 男は頭を掻きつつ独りごちる。赤ん坊が捨てられること自体は珍しくない。だが、それでも教会の近くとか、孤児院の庭とか、そういった赤ん坊が生きられそう(・・)な環境に捨てられることが多かった。

 ましてすぐに獣に食われるであろう森の中など、捨てるにもリスクが伴うために普通では考えられないことだった。


「あいつがなんて言うかわかんねえけど……ま、今更一人が二人になったところで変わんねーだろ」


 陽気な口調で男が結論づけると、赤子の入ったバスケットに近づいていく。


「こんだけ元気に泣いてるとこから見ると、衰弱はしてねえな。運がいいんだか悪いんだか……」


 男がバスケットを抱え揺すってやると、安心したのか赤子はすぐに泣き止んだ。


「とりあえず熊の解体もしねえと……。やれやれ……」


 男は大きく息を吐くと、ひとまずバスケットを置いて熊の解体に取りかかるのだった。




 あれほどまでに泣いていた赤ん坊は、今はもうバスケットを置かれても安心しきったように眠っているのだった。

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