57人目『あせっちゃった男』
寒い寒い空の下、マラソン大会へ向けて、若人は今日も走るのである。
「はあ、はあ、はあ」
「おらぁ、ちんたら走るな。大会はこの倍あるんだから」
「ひ、ひい〜」
この倍も走ったら死んでしまうと思ったに違いない。しかし、こういう場合、大抵死ぬことはない。みんな絶望的に考えすぎだ。
走りすぎで死ぬ人なんてほとんどいやしないのに、どうしたらそういう発想が出てくるのか不思議だ。
そういう人を見たことがあるのか?それとも経験があったりして……。
まあ、なにはどうあれ、学生の頃のマラソン大会くらいで、死ぬような距離を走らされることはないので安心してもらいたい。
逆に、フルマラソン42.195kmを走らなくていいんだから、逆にラッキーと思わなきゃ。
「も、もう、はあ、走れ、ない」
「こら〜歩くなあ〜。制限時間内にゴールできなかったらプラス1周だって忘れるなあ」
「う、うへ〜」
あらあら、これは大変なことで。いま走っても苦しいし、あとで1周走るのもつらい。板ばさみ状態ですなあ。
しかしですよ、板ばさみって言っても逃げ場所はあるんだから、そこへ行くしかないじゃないの。
いま休んで息を整えたあと、休んだ分をカバーできるペースで走ることができるのなら、そうすればいいじゃない。
だけどね、もしそれができないとわかっていた場合、もう逃げ道はないよね。どっちか選ぶしかない。
どうしても逃れられない選択があって、嫌な選択しかなかった場合、どっちを選択するか。これって意外と迷うよね。
でもね、選ぶ基準があるんだよ。ちゃんとあるんだよ。とても理想的なね。
それはね、『我慢できるほう』を選ぶんだよ。
どっちもイヤだけど、どちらかといえばこっちの方がまだ我慢できるっていうほうを選ぶんだよ。
当たり前だけど一番大事な気がするなあ。
「おいおいおい、さっき歩いてたけど大丈夫だったか?」
「ああぁ、なんとかねえ」
「だけんどもどうして歩いちゃうのさ」
「だってよう。ゴールが見えねえんだもんよ。いくら走っても着かない気がすんだよなあ」
やっぱりゴールが見えないと、走る気になれないよねえ。それは、あとどれくらいで着くかってのがわからないからだねえ。
見えないことのほうがいいこともあるけど、やっぱり目標ってのは明確にあったほうがやる気が出るよね。
距離がわかるからペースも決められるし、予定も立つ。もしもわからなかったら、途中でバテちゃったり、めちゃくちゃ時間がかかっちゃう。
やっぱりゴールは見えてないとね。でもねえ、マラソンとなるとそうそう見えないよねえ。そんなときはどうしたらいいんでしょう。
申し訳ないけど、ちょっとわからないなあ。だれかわかってる人はいないかなあ。
え?もう出た?うそ?気づかなかったけど。え?しゃべるのが早すぎた?こりゃ失敬。
ええっとですねえ、さっきの会話には続きがあったらしくて、そこでちゃんと語られてるそうです。
いやはや、ちょっとあせってしまいましたですはい。
それじゃあ、準備できてる?大丈夫そうだから、どうぞ見ちゃって。そんでさようなら。
「おいおいおい、さっき歩いてたけど大丈夫だったか?」
「ああぁ、なんとかねえ」
「だけんどもどうして歩いちゃうのさ」
「だってよう。ゴールが見えねえんだもんよ。いくら走っても着かない気がすんだよなあ」
「そんなときゃ簡単だべよ。見えなかったら、思い描けばいいのだよ」