51人目『そうだと思った男』
バンッ!!!
静かだった保健室の中にまで、その怒鳴り声は響いてきた。
「また……僕のクラスだ……」
真っ白な布団にくるまりながら、独り言みたいに、誰にも聞こえなくてもいいと言う感じでポツリと言った。
私は何か言わなければいけないという衝動に駆られ、無理矢理口を開けたが、言葉は出なかった。
開けた口を、静かに閉じた。
その間にも先生の太い声と、生徒達の甲高い声が消毒臭い部屋の中に染み込んでいった。
「先生……」
私はクルッとイスを回し、ベッドのほうに体を向けた。上体を起こしてこっちを見ていた。
「先生の、一番嫌いなもの。この世で一番嫌いなものって……なに?」
「……う〜ん……なんだろうなあ……」
すぐには浮かんでこなかった。外の桜の木をしばらく見て考えた。これというのはないが、ポツポツと嫌いなものが浮かんできた。
まず、お化けが頭に浮かんだ。ホラー映画とかは私にとって脅威だった。昨日見たCMも風呂に入る前じゃなくてほんとに良かったと思っている。
あと昆虫だ。あの足がワラワラうごめく様を想像するだけで全身に鳥肌が立つ。
それにピータン。他に……。
「僕はね」
少し考え過ぎてしまった。私は彼に目をやった。
「怒られる事なんだ」
「うん。私も嫌いだな。怒られるのは」
別に話を会わせる為に適当に言ったわけではない。本当にそう思ったのだからしかたない。それに、怒られるのが好きだなんて人はそう多くないはずだ。私もその大多数の人と同じ意見だということだ。
「僕はね。怒られるのも嫌いだけど。誰かが僕以外の誰かに怒っているのも嫌いなんだ」
確かに気分が良いものじゃない。今だってそうだ。こうやって、怒りが込められた声を聞くのは、とても気持ちが萎えてしまう。
「僕は、誰かが怒られているのを見ると、なぜだかわかんないけど泣いちゃうんだ」
彼の眼が輝いているのがわかった。
「自分が怒られてる気がするってわけじゃないんだ。ただ、なんだか分からないけど。怒ってる人、怒られている人を見ると、どうしようもなく悲しくなっちゃうんだ」
こう思うのはとても不謹慎なことだと思う。だけどその時、心の底から思ってしまったのだからしかたがない。
綺麗だと思った。
「先生……どうしてみんな……怒られるような事をするのかな……どうして……そんな事で怒るのかな……?」
その輝きは線を描き、シーツに染み込んだ。
ポロポロとホントに聞こえてきそうなくらい、彼の眼からこぼれて行く。
あごを震わせ、声を震わせ、搾り出したような声で、彼は言った。
―チョット考えれば、わかることなのに―
知らないうちに、自分でも気づかぬうちに涙が流れていた。
私の涙も、彼のように輝ていれば嬉しいと思った。
私は涙を拭くことなく、少し微笑みながら言ったのを覚えている。
―その通りだ―
バンッ!!!
再び何かを叩く音が、彼の鼻をすする音を掻き消すように響き渡った。