33人目『自分ひとりではどうすることも出来ない男』
仕事の疲れを癒すために一人で海外旅行に来た。
いや〜。
やっぱりいいもんだ。
仕事仕事でずっとまともな休みを取れてなかったからなあ。
透き通る珊瑚礁の海。
ていうか、この島がすでに珊瑚礁なんだよな。
小さい島だから、今日中に一周できそうだ。
「あんたあ、観光客かい?」
島の人が訪ねてきた。
「ええ、そうですよ。ここは本当にいいところですね。気に入りました。ここに住みたいくらいですよ」
私がそういうと、彼は少々寂しそうな顔をしながら言った。
「それは嬉しいことだが、多分あんたも住むのがイヤになるだろうよ」
私の予想外の答えが返ってきた。
「なんでですか?こんなに素晴らしいところなのに」
そう聞くと、おじいさんは目を細めながら言った。
「もうすぐわかるじゃろうに」
私はなぜそんなことを言うのか考えていた。
こんないい所がイヤになるって?
イヤなところなんて一つもない。
どうすれば嫌いになれるか教えて欲しいものだ。
しかし、私はすぐにおじいさんの言葉の意図を知ることになる。
私がしばらく立ったまま考え、そして再び歩き出そうとしたときだ。
眼の前の地面から、水が染み出て来るではないか。
雨なんか降ってないし、地震とかで液状化現象が起きたわけでもない。
いきなりコンクリートの地面から水が出てきたのだ。
私が驚いているとおじいさんが言った。
「この時期、満潮になるとああやって島中から海水が湧き出てくるんじゃよ。しかも年々湧き始める時間が早くなってきておる。湧き出す海水の量も増えとる」
そんなことがあるのか。
私は耳を疑った。
しかし、現実に眼の前で水が湧き出ていることは確かだ。
「一体なぜこんなことがおきてしまうんですか?」
おじいさんの言ったその一言で、私は全てを受け入れることが出来た。
「温暖化じゃよ」
温暖化による海面上昇。
それが原因。
おじいさんは続けて答えた。
「ある国のTV番組がやってきて言ったよ。ここは“世界で一番最初に沈む国だ”とね。ワシらにそんなことを言って一体どうしたいのか。我々は何もしとらんのじゃ。毎日、島と海から少しだけめぐみを貰い、そのことを、生きていることを神に感謝しているだけだ。それなのに、なぜ沈むんじゃ?ワシらが何か悪いことをしたというのか?誰がこんな目にあわせるんじゃ?誰がワシらを恨んでるんじゃ?誰が陥れようとしとるんじゃ?もし、悪気がないというのなら、わしらは、一体どうすればいいんじゃ?」
私は、何も答えることが出来なかった。
満潮を迎えると、1m50cmの高床に建てられた家も床上浸水になった。
その後、徐々に水は引いていったが、次にはもっと多くの海水があふれ出すことだろう。
帰りの飛行機の窓から島を見る。
世界で一番最初に海に沈む国。
今回の旅で、改めて気づかされたことがあった。
どんなに大きくても、どんなに呼ばれる名前が違っても、
―海は一つなんだ―
―地球は一つなんだ―
どこかがゆがんで、それを平らにしても、必ず違うどこかがゆがむんだ。
どんどん小さくなり、海のなかに消えた島を見ながら心に思うことがあった。
―この島に住んでいる人々は、一体どうなるんだ―