音が視える
「音が見える?」
高校で音楽の教師を始めたばかりの私のもとに、ひとりの女子生徒がやってきた。
ショートカットで背の高い、成人の私が思わず『お若いのにずいぶんとご立派なものをお持ちで』と見入ってしまうくらい、胸に凶悪な武器をブラ下げた1年生だ。
「はい。それに、なんて言えば良いのか……光とか、色が聞こえるんです」
さて困った。
ずいぶんと変わった相談を受けてしまったものだ。
「音が見える、光が聞こえる……ねぇ。それはいつ頃から?」
「子供の頃からです。みんな音は見えるし、光も聞こえるものだと思ってました」
「そうだよね、子供の頃から当たり前に『そう』だったら、それが普通だもんね」
「はい。ただ、中学くらいから、『え、みんなこの音見えないの?』って思うようになって」
そりゃそうだ。私だって音は見えないし、光は聞こえない。
音は『聞く』もので、光は『見る』ものだ。
「じゃあさ? 今聞こえてる……ほら、吹奏楽部の練習の音、あれも『見える』の?」
「はい、見えますね。今のホルンの音は柔らかくて、ふわふわしてて。ほら、今飛んでったホルンの音、あれ同じクラスの榊さんの音ですよ。色が他の人と違うんです」
「人によって色が違うんだ……」
何処の高校でも似たようなものだけれど、放課後の音楽室はたいてい合唱部や音楽部といった部活の場になる。
この高校の音楽系の部活は、吹奏楽部と合唱部の2つ。どちらも音楽室とは別に専用の部室を持っている。
つまり、放課後の音楽室は、一部のもの好きがピアノを弾きに来たり、購買部でジュースと菓子パンを買ってギターを弾きながらのんびりと唄ったり喋ったりする場になっている。
私は、このとんでもなく緩い雰囲気が大好きで音楽教師になった。
音大での専門はパーカッション。それもラテンパーカッションが専門で、得意技はコンガだ。
受験に関係しない教科というのは、プレッシャーが無くて良い。
極稀に『音大に行きたい』という子はいるけれど、そういった子には、ちゃんとしたレッスン講師を紹介してあげたりしている。
音楽教諭は子供たちの受験戦争だの何だのに関わらなくて良い、割と気楽な商売とも言える。
そんな私の下に、『先生にちょっと相談っていうか、聞いて欲しい話があって』とやってきたが、眼の前の巨にゅ――じゃない、背の高い1年生、原田八重さん16歳。
この子は音楽が好きなんだろう、いつも音楽の授業を真面目に聞いてくれる子だ。
ピアノが弾けるわけではないけれど、私が専門だと話したらラテンパーカッションに興味を持ってくれた。
ほとんど毎日、私のもとに通ってくるこの子との他愛のないお喋りは、今や私にとっても楽しみのひとつだ。
今日は悩み事では無く、ただ聞いて欲しい、というものだった。
「この前、病院に行ってきたんです。母に連れていかれて」
「え、病院? 病院に行くようなものなの? まさか何かの病気?」
「いや、あの、病気っていうのじゃないんです。ただ、共感覚っていうものらしいんですよ。私の場合は、視覚と聴覚が連動してるっていうかですね、視覚的な刺激が、聴覚の神経も刺激するとか、そんな感じのものらしいです」
「へぇ、共感覚……あ」
思い出した。
音大にもひとり、そう言うのがいた気がする。
私の同級生で、ヴァイオリン弾きのすっごい嫌な男。
ヴァイオリンの演奏に関しては、誰もが認める天才だった。同期の誰もが『世の中には天才って奴が本当にいるんだなぁ』と実感してしまう、そんな男だった。
ただし、性格的にはもう最低としか言いようがない。多分人間性とか倫理ってものを、何処かのタイミングで生ゴミと一緒に捨てちゃったんだと思う、そんなヤツだった。
『は? お前らこの音の味がわかんねぇの? だからダメなんだよ。やめろやめろ、この程度の味も分からねぇなら、音大辞めちまえよ』
『学食のカレーの音は最低だけど、うどんの出汁の音は極上だよな。特にゴボウ天うどんの絶妙なハーモニーは鳥肌モンだよ』
という、今思い出しても『誰かコイツのごぼう天うどんに、苦しみ抜いて死ぬ毒をトッピングしてやってくれ』と思ってしまうセリフを日常的に言っていたヤツ。
「いたなぁ……なんかこう、見える、じゃないけど……音に味があるっていうヤツ」
「えっ!? いたんですか!? 私と同じような、共感覚持ちが!?」
「まぁ、うん、いたね……」
「そっか……私だけじゃなかったんだ……」
アイツの人間性に関しては、ちょっと今は言及しないでおこう。
今は私の愚痴がメインじゃない。この子の相談に、ちゃんと向き合うのが教師としてのお作法みたいなものだ。
「ありがとうございます、誰にも分かってもらえなかったんですけど、先生に話せてちょっと気が楽になりました」
「そう? それなら良かった」
「あの……また先生と話に来ても良いですか?」
「ん? もちろん良いよ。私職員室じゃなくて音楽室か、隣の準備室にいるから」
うんうん、教え子の嬉しそうな顔というのはいつ見ても良いものだ。
「これが聞いて欲しいことで……あと、先生には別に相談があって」
「へ? そうなの?」
「はい。あの……先生は、女性同士の恋愛って、どう思います?」
おっと、予想外なボールが飛んできたな。
気軽に温泉で卓球してると思ったら、突然相手がボーリングの玉をブッ込んできた感じだ。
「あと、教師の生徒の恋愛って、アリだと思いますか?」
「え、ちょ、原田さん?」
いつの間にか、少しずつ椅子を近づけて来ていたのか、ピアノの前に座っていた私とまるで連弾でするような至近距離にまで近づいていた。
鍵盤の上に置いた私の小さめの手に、原田さんの柔らかくて少し冷たい女の子の手が重ねられる。
「今って、多様性の時代ですよね?」
「あの、ちょ、落ち着いて? ね?」
ちょっと待て。
この子、なんでこんな熱っぽい目で私を見てるんだ?
ピアノの鍵盤がいくつか押されて不協和音が響いた。
「うふふ……今のは、いろんな色が混ざってました」
「は、原田さんっ? ね、あの、ちょ、待って?」
この子は私よりも背が高いし、カラダも胸も尻も大きい。当然私より力だって強い。
逃げられない。
「えっと、その、ま、まず落ち着いて? ねっ?」
「あぁ、先生の声……さっきまで緑色だったけど、少しずつ黄色から、オレンジになってきてます」
「声にも色があるのっ!?」
「怒ってると真っ赤な色で、落ち込んでると青いんです。嬉しいと黄色とか、オレンジになるんですよ」
教え子に迫られる――正直に言えば、妄想した事は何度もある。
でもまさか、こんなふうに女の子に迫られるなんて想像もしてなかった。
「先生、私、入学したときからずっと先生のことが――」
あ、ヤバい、これダメなやつだ。
そう思ったと同時、教室のスピーカーから、チャイムの音が響く。
助かった、と思ったのは一瞬だけ。
「は、原田さん? ほら、下校のチャイム――」
「先生、すき」
私にとって6年ぶりのキスは教え子の女の子の甘い香りと、薄いピンク色が見えるものだった。
今回のショートショートは「共感覚」を取り上げてみました。
「音が視える」「色が聞こえる」という方は、実際に身の回りに居ました。
多分、自分とは見えている(聞こえている)世界が違うんだろうなぁと思います。




