歌う鍵 ~ずっと君を待っていた~
午前中の駐在所です。
若いおまわりさんの青木さんが見回りに行こうと自転車にまたがると、伊坂のおじいちゃんが元気に歩いてきました。
「おはようございます!伊坂さん」
「おお、青木くん、これから見回りかい?」
「はい!伊坂さんは、今日もウォーキングですか?長寿の秘訣ですね。すぐ戻りますので、中でお茶でもいかがですか?麦茶が冷えてますよ」
「助かるねぇ。遠慮なく上がらせて貰うよ。歳をとっても、つい駐在所に足が向いてしまってね」
青木さんは、きびきびと自転車を降りて、伊坂さんのために麦茶を用意すると「行ってきます!」と見回りに出て行きました。
一人になった伊坂さんは、駐在所の中を懐かしそうにぐるりと見回してつぶやきました。
「あんまり変わっていないなぁ、ここは」
そう、伊坂さんは、今はすっかりおじいさんになっていますけれども、昔は、この駐在所に勤務するおまわりさんだったのです。
伊坂さんは、青木さんがいれてくれた麦茶を飲みながら、のんびりと昔のことを思い出していました。
すると。
どこからか、小さな歌声が聴こえてきました。
「鍵っ子だから、帰れない
鍵っ子だから、帰れない」
「なんだ?」
どうやら歌声は、駐在所の中から聴こえてくるようなのです。
伊坂さんは、座ったままキョロキョロしました。
今はおまわりさんではないので、勝手にあちこち触ってはいけないと思ったのです。
「鍵っ子だから、帰れない
鍵っ子だから、帰れない」
どこか哀しげな歌声です。
伊坂さんは、なんだか気の毒になって尋ねました。
「誰が帰れないんだね?」
歌声が止んで、小さな小さな声が答えました。
「ミヨちゃんですよう。ボクを落としてしまったから、おうちに帰れなくて困っているはずなんです」
伊坂さんは、びっくりしましたが、グッとこらえて落ち着いた様子で続けました。
「ぜんたい、君は誰なんだい?どこでしゃべっているのかね?」
小さな声が少しだけ大きくなりました。
「ここですよう。落とし物の入っている箱の中」
伊坂さんは、戸惑いながら落とし物を保管する箱を開けて中を見ました。
たいしたものは入っていません。
定期入れ、眼鏡・・・そして、箱のすみっこの隙間にくすんだ銀色の鍵を見つけました。
「もしかして、君かね?」
伊坂さんは、その古びた鍵をつまみ上げました。
「そうです。そうです。もう、ずっとここにしまわれていたんですよう」
「ずっとって、どれぐらいかね?」
「桜が何度も咲きましたよう」
伊坂さんは、駐在所の窓の外にある桜の木を見上げました。
伊坂さんが、おまわりさんだった頃から、ここにある木です。
鍵っ子のミヨちゃんか。
そう言えば、伊坂さんが駐在所に来たばかりの頃、いつも挨拶をしてくれる、小学生の女の子がいたっけ。
団地に住んでいる子で、首から鍵をぶら下げていたな。
伊坂さんが鍵にもっと質問をしてみようと口を開きかけた時、青木さんがあわただしく帰ってきました。
「すみません、伊坂さん。山村のおばあちゃんが、いなくなってしまったようで・・・すぐに探しに行かなくちゃ」
「またかね。確か、息子さんご夫婦に引き取られて、一緒に暮らし始めたばかりだろう」
「そうなんです。ミヨおばあちゃん、どこに行っちゃったのかなぁ」
伊坂さんは、ハッとしました。
「青木くん、山村のおばあさんは、ミヨさんというのかね」
「はい!山村ミヨさんです」
伊坂さんの手の中で、鍵がかぁっと熱くなった気がしました。
「青木くん、行こう!」
「行くって、どこへ!?」
「ついてくればわかる!」
伊坂さんと青木さんは駐在所を飛び出し、町を抜けて、町外れまで来ました。
そこには、取り壊しが決まって、もう誰も住んでいない、古い古い団地があります。
「鍵っ子だから、帰れない
鍵っ子だから、帰れない」
小さな歌声が聴こえてきました。
伊坂さんが頭を巡らせると、団地の階段に、山村のおばあちゃんが、しょんぼり座っていました。
伊坂さんは、鍵を握りしめて、静かに山村のおばあちゃんに近づきました。
「ミヨちゃん、鍵を落としてしまったんじゃないかな?」
「そうなの。それでね、おうちに帰れなくなっちゃったの。私、鍵っ子だから」
伊坂さんは、握っていた手を開きました。
「なくした鍵は、これかな?」
山村のおばあちゃんの顔がぱっと輝きました。
「鍵だ!ああ、鍵だ!」
伊坂さんは、優しく微笑みました。
「これで、おうちに帰れるね」
「うん!ありがとう!駐在さん」
若いおまわりさんの青木さんは、何がなんだかわからずに、ぽかんとしていましたが、やがて息子さんご夫婦が迎えに来て、山村のおばあちゃんは無事に家に帰りました。
もう、山村のおばあちゃんも、鍵も、哀しい歌を歌うことはないでしょう。
駐在所の窓の外では、桜の木が静かに枝を揺らしていました。
またまた、とても長い話になってしまいました。
お楽しみいただければ幸いです。




