芸者志望のはるみ
「お前なあ。芸者になりたいなんて……」
「私、どうしても芸者にならないといけないの」
人の話を聞かずに己の要求だけ述べる。
子供のわがままとしては普通だが、内容だけに素直に聞き入れられない。
「芸者になるってことは、花街で働くってことだぞ。その意味が分かっているのか?」
「…………」
「華やかな世界だけどよ。その分しなくていい苦労があるんだ」
客前で踊るだけの生業ではない。
礼儀作法やしきたりをしっかりと守り、時には自分を殺さないとやっていけない場面もある。
その覚悟が目の前の女の子にあるとは思えねえんだけどな。
「なあお前さん――」
「私、はるみっていうの」
俺の言葉を遮って女の子――はるみは名乗った。
頭の横を掻きつつ「そうか、はるみっていうんだな」と応じた。
「はるみ。芸者の道はつらく厳しいものだ。それによ、見番長が認めるとも限らねえ」
「けんばんちょう?」
「なんだ見番長も知らねえのか」
花街を取り仕切っている組合は見番と呼ばれる。
その見番の長が見番長だ。
こうした説明をざっくりすると、はるみは「じゃあ見番長に会わせて」と言い出した。
これもまた子供らしい短絡的な考えだった。
「あのよ。両親がいないのは分かったが、親戚に面倒見てもらおうとか考えないのか?」
「……みんな、私のこと厄介者扱いする」
「芸者連中だってお前さんを厄介者扱いするだろうさ」
厳しい現実を突きつけても、はるみは引き下がらなかった。
それどころか「大丈夫。耐えてみせる」と頑なだった。
「耐えてみせるって……そんなに甘い世界じゃねえんだぜ」
「おじさん、鷲之助って言ってったね」
「ああ。それがどうした?」
「姓は……鷹羽でしょ」
「あん? どういうことだ?」
名乗っていないはずなのにぴたりと当てられた。
偶然じゃない。あらかじめ知っていないとできない芸当だ。
「なんで俺の名を?」
「鷹羽鷲之助。火焔鳳凰流の免許皆伝……清原さんから聞いたの」
「お師匠様から? ていうか、あの人俺がここにいるの知っているのか?」
「うん。何かあったら鷲之助に頼れって」
ということはこの子――はるみは水戸藩の出だと分かった。
俺が脱藩した、水戸藩の……
「水戸からよくここまで来たな。一人か?」
「ううん。清原さんのお弟子さんに連れてきてもらった」
「そいつはどこにいる?」
「途中で帰った。鷲之助さんに会いたくないって」
だろうなあ。俺は火焔鳳凰流を汚したんだから。
いや、その話はいい。
問題ははるみが芸者になりたいと言っていることだ。
俺は改めて諦めるように説得しようとする――
「いいじゃないか。見番長のところへ連れていきなよ」
艶やかな声に振り向くと、鴉の姐さんが立っていた。
煙管をふかしながら、俺にとって実に嫌な提案をする。
「おいおい姐さん。本気で言っているんですか? この子……はるみが苦労するんですよ」
「若い時の苦労は得難いものだって、昔の偉い人は言っていたよ」
「誰だそいつ。適当なこと言いやがって……」
「そりゃあ浪人崩れのあんたには耳が痛いだろうね。苦労をしなかったから浅草で用心棒しているんだから」
手厳しい皮肉を受けてしまう。
鴉の姐さんはさらに「別に紹介してもいいじゃないか」と言い出した。
「見番長が気に入らないかもしれないし。それにあんたとその子は縁もゆかりもないんだからさ。どうなろうと知ったことじゃないでしょ」
「姐さん。そりゃあ冷たいんじゃないんですか?」
「他人に優しくできるほど余裕なんてないさ。あたしも、あんたも」
確かにこれ以上はるみに構う必要はない。
むしろ見番長にこの件を預けてしまえば簡単に済む。
分かっちゃいる。分かっちゃいるが……
「なんだい。その子に情でも湧いたのかい」
そういうわけじゃない、と言おうとして、はるみの顔を見てしまった。
まるで捨て犬のように、誰かに縋りたいと願う目をしていた。
こんな目をしている女の子を見捨てられるか?
「可哀想って思うなら、なおさら見番長のもとへ連れていきなよ。駄目なら国に返せばいい。あたしの下の者に送らせるから」
それが妥協点と言わんばかりの言い様だった。
まるで俺の心中を見抜いた言葉でもある。
「分かりましたよ。それじゃ見番長のところに連れていきます」
「ならさっさとしな。日が暮れちまうよ」
ため息をついて、俺ははるみに「行くぞ」と声をかけた。
黙ったまま頷いて布団から起き上がる。
そこで俺はだいぶ遅れて気づく。
どこかで会ったような……
「なに見惚れているんだい。こんな小さな子に」
「人聞きの悪いこと言わんでください。そんなわけないでしょ」
◆◇◆◇
見番長は花街の中心からやや西に位置する建物にいる。
そこで芸者の差配をしていた。
俺とはるみは中に入り、せわしなく働いている下っ端に見番長に会いたい旨を伝えた。
下っ端が怪訝な顔で伝えに行く。その間、俺とはるみとの会話はなかった。俺は何を話していいのか分からなかったし、はるみは緊張しているようだった。
しばらくして下っ端は戻ってきて見番長が会ってくれると言う。
忙しいから会えないと言ってくれたほうが良かったが、先延ばしになるだけだと思い直し、俺ははるみを連れて見番長の部屋に向かった。
「やあやあ鷲之助ちゃん。久しぶりだねえ。それと……芸者になりたい子だね」
四十路の優男という身なりをしている見番長で世間では浅草の金時と呼ばれている。
五年前に見番長に就いてから格段に花街の利益が上がったとされている。その剛腕と言うべき手法は称賛されているが、暗い噂もあるというなかなか一筋縄ではいかない人だ。
部屋に入り座布団の上に座るおれとはるみ。
見番長とは大きな文机を挟んで向かい合っている。
「そうなんです。わざわざお忙しいところ恐縮ですが……」
「ふむふむ。悪くない容姿をしている。数年後が楽しみだね」
じろじろと舐めまわすように上から下まで見ている。
そんな視線を子供に向けないでほしい。
しかし当のはるみは平然としている。
一言も発さないが真っすぐに見番長の目を見ていた。
「なるほど。根性もありそうだ。でもどうして芸者になりたいのかな?」
「……話せません」
凛とした声で断るはるみに、おいおいそれじゃ芸者になれないぞと思ってしまう。
本当は芸者になってほしくないのに、おかしな話だと自分でも思うが……
「話せないか。ま、事情はいろいろあるよな」
見番長は腕組みをしてうんうんと頷く。
あれ? この流れはやばくないか?
「俺としては芸者にならせてもいい。ま、お座敷に上がるには数年かかるけどね」
「いいんですか、見番長」
「鷲之助ちゃん。この子の器量はとてもいい。他に取られるより、うちで雇ったほうがいいよ」
見番長は「名前はなんだっけ?」と今更なことを訊ねる。
「はるみです。あの、本当に芸者になれるんですか?」
「頑張り次第だけどね。それと一つだけ約束してほしいことがある」
はるみは姿勢を正して「なんでしょうか?」と年に比べたらだいぶ落ち着いた態度で訊く。
「さっき話せなかった事情、絶対に他の人には話しちゃ駄目だよ」
「…………」
「はるみちゃんが何の目的で芸者になりたいのかは分からないけど、その目的を果たすためには黙っておいたほうがいいよ」
なんだか分からない話だ。
だけどはるみには伝わったようだ。
緊張した顔で「分かりました」と頷いた。
「よし。それじゃ後見人は鷲之助ちゃんがやってね」
「えっ? どうしてそうなるんですか?」
「鷲之助ちゃんが連れてきたんだから。それに知らない人がなるよりはるみちゃんにとっていいでしょ」
こういう流れになるとは想定しなかった。
断ろうと口を開くと、目の端にはるみの顔が映った。
お願い、見捨てないで。
そんな顔をしていた。
「……分かりました。後見人になります」
「おやおや。素直だねえ。ま、それじゃ明日からよろしくね、はるみちゃん」
はるみはその場で頭を深く下げた。
「よろしくお願い申し上げます」
やはり武家の娘かもしれないと俺は思った。




