用心棒の鷲之助
「大変だよ、鷲之助さん! 表で喧嘩やっているよ! なんとかしておくれ!」
俺がこの街――浅草にやってきて一年経つけどよ。年がら年中騒ぎが絶えねえなあ。
火事と喧嘩は江戸の華だけど、もう少し控えてもいいんじゃねえか?
「おいおい。俺ぁ岡っ引きじゃねえんだぜ?」
住んでいる長屋の外で喚いている近所の三下である鉄造に言ってやると「鷲之助さんしか止められないよ!」と情けないこと言いやがる。
「浪人とスジ者の喧嘩で、刀抜いているんだ!」
「面倒くせえなあ……」
「鴉の姐さんも鷲之助さん呼んで来いっていうし!」
げっ。あの人も絡んでいるのか……仕方ねえなあ。
「分かった分かった。案内しろや」
「ありがとう! じゃあ行こう!」
まだ二十歳そこそこの鉄造に連れられて、俺は駆け出した。
もちろん、帯刀している。何があるか分からねえからな。
喧嘩の現場に着くと、浪人が刀を抜いて大立ち回りしていた。
スジ者は二人で刀の間合いに入らないようにしている。
周りの野次馬は遠巻きに見て囃し立てていた。
「おいおい。真昼間から元気なことだな。何か良いことでもあったのかよ?」
軽く声をかけると浪人が血走った目で「誰だ貴様は!」と怒鳴る。
対照的にスジ者二人は安堵した顔になった。
「鷲之助の旦那! こいつ無銭で飲み食いしやがった!」
「ツケにしろとかうるせえんだ! 逃げるくせによ!」
スジ者は俺を知っているらしい。確かめるため浪人に「本当かその話」と訊ねる。
「いつか払うって言ってるじゃねえか……町人風情が偉そうにするな!」
「あーあ。いい感じに頭沸いているな。お前さん、酔い過ぎだって」
やっぱり面倒なことになったなと改めて浪人を見る。
かなりの馬面で、酔っているせいか顔が真っ赤だ。
「だいたい、なんなんだてめえは! 関係ねえだろうが!」
「そりゃごもっともで……と言いてえところだがな。この街で暴れんのは見過ごせねえんだ。鴉の姉さんにも頼まれたしよ」
俺は躊躇なく馬面の浪人に近づいていく。
すると奴は切っ先を向けて「やる気かこの野郎!」と喚いた。
「いいだろう、かかってこい!」
啖呵を切って、上段に構えた――俺は素早い足運びで間合いの中に入り、鞘の入ったままの刀で鳩尾を突く。
虚を突かれたのか、目を白黒させて、口から吐しゃ物を吐き出し、そのままうずくまる。
火焔鳳凰流を繰り出す必要もなかったな。
「うげげげえ……」
「かかってこいって言ったのはお前さんだぜ。油断大敵、火がぼうぼうってやつだ」
その間に刀を取り上げて、スジ者たちに「連れていけ」と命じた。
「二度と舐めたことできねえように軽く痛めつけろ」
「へい。立てやこの野郎!」
スジ者たちに抱えられて、ぐったりした様子の浪人が去っていく。
周りの野次馬たちは歓声を上げた。
「流石、鷲之助さんだ! 浅草の用心棒!」
「欲を言やあ、もっとこう暴れるところ見たかったなあ」
はん。好き勝手言いやがって。
そのまま帰ろうとすると「見事だったねえ」と色っぽい声がした。
振り返るとやはり鴉の姐さんだった。妙齢の美女で口元のほくろが魅力を醸し出している。
俺より年上だと言っていたが詳しい年齢は知らない。下手をすれば四十代かもしれねえが、とやかく訊くなんて野暮なことはしねえ。
「これはこれは鴉の姐さん。今日もお綺麗で」
「世辞はいいよ。それより一撃で終わらせるなんてすごいねえ」
「へへへ。それしか取り柄がないもんで」
「さっきの浪人、ツケのことで騒いでいてさ。それであたしも思い出したのさ」
鴉の姐さんは悩ましげな顔で俺に近づいた。
そして妖艶な笑みを浮かべた。
「あたしの店のツケを払わない浪人崩れがいてね。そろそろまとめて請求しようかなと思っているのさ」
「へえ。そんな不届き者がいるんですか。そいつは大変ですね。それじゃ、俺は用事があるんで……」
「お待ち。そのツケ代わりに頼みたい仕事があるのさ」
やっぱり面倒なことになりやがった。
でもなあ。鴉の姐さんが困っていると聞いちゃ動かないわけにはいかないわけで。
こうなるって分かっていてもやんなきゃいけなかったんだよな。
「どんな仕事でしょうか?」
「おや。素直だねえ。三十路も超えてりゃ分別も分かってきたのかしら?」
「そこら辺は姐さんに鍛えてもらったんで。それでなんでしょうか?」
鴉の姐さんは「あたしが営んでいる店に女の子が転がり込んできたのさ」とため息をつく。
その姿は惚れ惚れするくらい絵になっていた。
「はあ。件の飯屋ですかい?」
「そうそう。今にも倒れそうな様子だったからご飯を食わせた。そんでそのまま寝ちまってね」
「へえ。鴉の姐さんにしてはお優しいことで」
「余計な一言だよ。あたしはいつだって優しいさ。なにせツケを見過ごしているんだから」
この件に関しては俺に勝ち目はない。
鴉の姐さんは「話を続けるよ」と流し目で俺を見た。
「その娘から事情を聞いて元の家に戻してやってくれ」
「迷子ってわけでもなさそうですが……」
「そんなのあたしが知るわけないわよ。いつまでも居座れたら迷惑って話さ」
「うーん……分かりました。姐さんのために一肌脱ぎましょう」
たいした用事じゃなくて良かったとほっと胸を撫でおろす。
それから俺は「あのう。この件でツケは……」と恐る恐る訊ねる。
「少し待ってあげる。ちゃんと払いなさいよ」
「えっと、少し負けてくれたり――」
「あんた、働いて返そうと思っているの?」
「えっ? そりゃもちろんですよ」
「だったら……なんで昼間っから家で寝ているのさ! さっさと仕事して銭稼いできな!」
ひえええ。鴉の姐さんおっかねえなあ。
俺は「すんません! 仕事します!」と頭を下げて飯屋に向かった。
これ以上怒られないように早足で、姐さんの鋭い視線を感じながら。
さて。鴉の姐さんが営んでいる飯屋は浅草の花街に近かった。
芸者に声を掛けられながら飯屋に入ると「ああ。鷲之助さん」と老店主の太兵衛さんに声をかけられた。
「ようやくツケを払いに来たのかい?」
「太兵衛さん。生憎持ち合わせがなくてさ」
「ならここに来ちゃ駄目だろ。鴉の姐さんにそう言いつけられていたはずだ?」
「その鴉の姐さんに言われてきたんだよ……女の子いるんだろ? 家に帰すように言われたんだ」
太兵衛さんは「その子なら奥の間で寝ているよ」と指さした。
案内しようとするが「おーい。まだ煮付け出てこねえのかよ」と客の一人が言う。
「ああ。もうすぐだ……鷲之助さん、手が離せねえから勝手に行っていいぜ」
「分かったよ。商売繁盛で羨ましいねえ」
そこそこ人がいる店内を通って、奥の間に行く。
がらりとふすまを開けると女の子が布団の上で上体を起こしてぼうっとしていた。
年のころは十才かそこらで若いというより幼いという風だ。
これまたべっぴんさんで、五年もしたら男どもがほっとかないって感じだ。将来有望だね。
「よう。お目覚めのようだな」
「……誰なのおじさん」
ひどく静かな声だった。今は夏だって言うのに冷気を感じるようだ。
「俺は鷲之助ってんだ。お前さんを家に帰すように言われてな」
「…………」
「父ちゃんや母ちゃんはどこだ? 連れてってやるよ」
すると女の子は目に涙を浮かべた。
何か事情がありそうだな……
「どうした? 何かあったのか?」
「……父上と母上はいない」
その言い方に疑問を覚えたのでよく見ると、着物が町人のものではない。
いいところの商人のものでもない。おそらく武家の出だな。
「そうか。じゃあどこか帰るところもないのか?」
「……おじさんに訊きたいことがある」
俺の問いに答えずに女の子は言う。
それはまるで縋るような声音だった。
「私、この街で芸者になりたい」
「……はあ? いきなり何を――」
「お願いだから、紹介して」
いたいけな女の子のお願いに俺はなんて返せばいいのか、まるで分からなかった。




