第4話「仮面の下で彼女は生きる」
摺木統矢は、古き知己と別れてラングレー基地をあとにした。
ラスカ・ランシングや佐伯瑠璃とは、もっと話したいことがあった。沢山、言葉を交わしたかった。だが、今はいい。この別れは永遠ではないし、いつかまた再会するために別れるのだ。
そうして、統矢はゆっくり数日間の車の旅で、ニューヨークに来ていた。
途中、キャンプの真似事もしたし、軍の施設や場末の安宿にも泊まった。その間、クレア・ホーストとは様々なことを話した。
彼女が旅の道連れで、本当によかったと思う。
「さて、アポイントメントは取ってないんだけど……ま、いっか」
助手席のクレアがきょとんとしていたが、構わず統矢は車を降りた。
ここはニューヨークでも一番のオフィス街で、スーツ姿の男女が今も忙しく行き来している。軍服を脱いだ統矢は今、ジーンズに革ジャンという格好だった。
「あ、あの、統矢殿。ここにはどういった」
「ん、古い知り合いというか、戦友? 今は軍をやめて、会社を立ち上げたっていうからさ」
「は、はあ……」
見上げる先は摩天楼。
雲ひとつ無い晴天の空を、高層ビル群が奪い合うように切り裂いている。
このニューヨークも、かつて戦場になった。地球自体を貫通して、裏側の国を消滅させる程の火力を持ったパラレイドに襲われたのだ。しかも、超弩級戦艦クラスのそのセラフ級は、母艦機能と変形形態を持ち、複数の個体が存在した。
今は全て撃破され、あちこちで巨大な鉄屑として風化し始めている。
そして、ニューヨークの街並みは見事に復興を遂げたのだった。
「凄いな……とても数年前まで廃墟だったとは思えない」
「ここはステイツでも経済の中枢ですから。プレジデントも力を入れてましたし」
「俺の日本じゃ、東京はまだまだだよ。廣島に皇都を移してたからね」
「東京のことは、古い本で読みました。東洋のバビロンと呼ばれた大都市だったと記憶してます。……パラレイドによって首都機能が壊滅したとも知りました」
「昔の話さ。さて」
統矢は、目の前のビルへと歩を進める。
遠慮がちにクレアも、少し後ろをついてきた。
エントランスに入れば、このビルにオフィスを構えるビジネスマンたちが忙しそうだ。目には見えないが、この空間をデータ化された金が流れている。世界の経済に直結した、ちょっとした国家予算規模の金額が行き来しているのだ。
流石に警備も厳しく、統矢には訝しげな視線が投げかけられた。
だが、同行するクレアが人類同盟軍の制服を律儀に着ているので、不審者扱いは受けなかったようだ。
それでも、エレベーターに進めば……統矢の鋭敏な感覚が敵意を拾う。
「と、統矢殿」
「おっ、気付いたか? クレアは勘がいいな」
「訓練を受けてますから」
「なら、銃は抜かないほうがいい。これは訓練では得られぬ経験、かな」
統矢の言葉に、クレアは上着の中へ突っ込もうとしていた右手を止める。
そして、気付けば統矢たちは黒服の男たちに取り囲まれていた。
皆、逞しい体躯の巨漢だ。
軍人か、それに類する職業の人間である。
修羅場をくぐってきた者特有の、徹底して合理的な言動で接触してきた。
「失礼、ボーイ」
「はは、ボーイって歳じゃないさ。雨瀬雅姫一佐に……退役一佐に会いたいんだけど」
「……ほう? うちのボスになんの用事だ、ボウズ」
「ちょっと礼を言いにね。それに、戦友と茶飲み話をするのだって、俺には自由にならいからさ、普段は」
黒服たちが殺気立った。
筋肉の塊みたいな男たちが、壁になって四方から圧してくる。
間違いない、プロだ。
そして恐らく、皆がパンツァー・モータロイド乗り……PMRのパイロットである。そういうのは、ちょっと佇まいを見ればすぐに知ることができる。
統矢は、オロオロするクレアを背に庇い、ふうと溜め息を一つ。
あまり使いたくはないのだが、こういう時のために身分や階級がある。
静かに統矢は、言の葉にありったけのハッタリを塗り込んだ。
「旧フェンリル小隊所属、摺木統矢一尉だ。雅姫さんに面会したい、取り次いでくれ」
一瞬で男たちの気配が変わった。
あっという間に、左右に割れた戦士たちの列が、エレベーターへの花道を作る。
彼らとてもう民間人だろうに、統矢の言葉に誰もが敬礼で背筋を伸ばしていた。
きょとんとしてしまったクレアだけが、目を白黒させている。
「しっ、失礼しました! 摺木一尉!」
「あの、フェンリル小隊……おっ、おお、お会いできて光栄であります!」
「ボスでしたら、オフィスの方に! しっ、至急案内させます、サー!」
思わず統矢は、苦笑を零した。
戦後、青森校区の戦技教導部は……|皇国海軍PMR戦術実験小隊《こうこくかいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたい》は、話に尾ひれ背びれがついて半ば伝説と化していた。その大半は誇張されたものだが、あながち嘘でもないから始末におえない。
やれやれと肩を竦めていると、不意に瑞々しい声が響いた。
「やれやれ、歴戦の勇士たちでも借りてきた猫のようだね。……統矢、久しぶり」
振り返ると、そこに妙な人物が立っていた。
周囲と同じ黒いスーツだが、その痩身は中性的で、よく見れば女性だ。
そして、顔を仮面状のバイザーですっぽりと被っているのだ。
唯一露出した口元には、涼し気な笑みが浮かんでいる。
すぐに黒服の一人が、彼女の言葉に返事を零す。
「これは、その、オフィサー」
「いや、いい。君たちが恐縮するのも当然だ。真の戦士は、同じ戦士に敬意を払うものだしね」
「ええ、まあ……でも、驚きました。一尉は」
「うん、摺木統矢一尉だ。本人だよ。ボクはよく覚えてる」
そう言って、男装の麗人は仮面の奥で笑った。
そして、部下たちに引き続きエントランスの警備を命じ、統矢とクレアをエレベーターへといざなう。相変わらずクレアはぽかーんとしているが……エレベーターのドアが閉まって三人だけになると、統矢はとうとう笑いを堪えることができなくなってしまった。
「統矢、キミね……酷いじゃないか、笑うなんて」
「いや、だってさ。なんだよそれ、誰の入れ知恵だ? レイル」
「……辰馬が、今後もあれこれやってくなら顔は隠した方がいいって」
「これじゃアニメかマンガだな。でも、元気そうじゃないか」
レイル・スルール……それが彼女の名だ。
ガラスの外にニューヨークの街並みを見下ろす中、レイルは振り返って仮面を取り外す。そこには、以前と同じ少年のような微笑が浮かんでいた。
以前よりもその表情は穏やかである。
彼女は身分も名も偽り、今は雅姫の仕事を手伝っているのだ。
「それで? 我がギルガメッシュ商会に御用ですか、一尉」
「おいおい、一尉はよせよ。昔みたいに統矢でいい」
「ん、じゃあ、統矢。彼女は? 紹介してくれないかな。この子、なんかさっきからフリーズしちゃってるけど」
統矢の隣で、クレアは固まっていた。
先程はキモが冷えたろうし、迂闊に動けば黒服たちに殺されていたかもしれない。彼女は広報が担当の事務屋なので、本物の殺気を浴びたのも初めての筈だ。
そして今は、妙ちくりんな仮面の不審者が目の前にいる。
それでも、ハッと気を取り直してクレアは敬礼に身を正した。
「人類同盟軍戦略広報部、クレア・ホースト准尉であります!」
「ボクは、レイル。レイル・スルール。この名はおおっぴらには名乗れないから、ここではオフィサーで通ってる。よろしく。……ん、ホースト……クレア・ホースト……!?」
すぐにレイルは気付いた。
そして、ちらりと統矢へ視線を投げかけてくる。
凛々しく毅然とした彼女が、一瞬見せた弱い表情。だが、その瞳は罪悪感に揺れていても、その罪自体に向き合うことから逃げようとはしていなかった。
静かにエレベーターが上昇する中、統矢はゆっくり頷いてやる。
それで、レイルは薄い胸に手を当て深呼吸し、レイルに向き直った。
「准尉、キミに大事な話がある」
「な、なんでありましょうか」
「君の父親、グレイ・ホースト大尉……いや、グレイ・ホースト中佐を殺したのは、ボクだ」
「……は?」
「ボクは以前、新地球帝國のパイロットだった。メタトロンで無数の人間を虐殺してきたんだ」
「メタトロン……ッ! あ、あの、白亜の死天使! 純白の悪魔!」
人類同盟の軍人で、メタトロンの名を知らぬ者はいない。まして、クレアは広報担当で様々な情報を戦後の世界で管理している。
セラフ級パラレイド、メタトロン……それは、人類を最も多く殺した人型機動兵器の名だ。至高の熾天使を名乗る、死神。その機体を駆って当時、レイルはとりつかれたように戦っていた。
その過去から、彼女は逃げようとはしなかった。
記憶を操作され、薬物で強化されていた時のことも否定しない。
そして、そんな彼女を許せない人間がいることさえ、全て受け止め生きているのだ。
咄嗟にクレアは「ぐ、ぐっ!」と声を噛み殺す。
嗚咽と激昂が混じったような、涙で双眸を潤ませた表情が強張る。
だが、彼女は銃を抜こうとする右手を、震える左手で掴んで止めた。
「せっ、戦争は! 兵士にその罪や責任を負わせることはありません! 戦争とは、国家ないしそれに類する組織同士の武力衝突であり、その統治下で編成された軍は――」
「ボクたちは軍隊ですらなかった。ここではない時、今ではない場所で生み出された憎悪の残滓……新地球帝國の残党さ。そして、ボクが犯した罪は変わらない」
「……許せない。絶対に、許さない! パパを……ッ! でも!」
フーッ、フーッ、と息を荒げてクレアは一歩下がった。
彼女は最後まで、銃を抜かなかった。
そして恐らく、レイルは銃口を突きつけられても逃げなかっただろう。銃爪が引かれても、放たれた弾丸すら受け入れたかもしれない。
「私は、今は、ック! と、統矢殿の護衛であります。私的な理由では銃を抜きません!」
「ボクの犯した罪は消えないし、許されるものではない。贖罪すら許されないとも思う。けど、それがなにもしなくていい理由にはならないから。だから、今もこうして生き恥を晒している」
「……怨恨を今は飲み込みます。私だって……いきなりそんなこと、私だって。でも」
そっと統矢は、クレアの華奢な肩を抱く。
エレベーターがチン! と鳴って停止すると、レイルは再び仮面を被った。それは、居場所のない中で、許す者もいない人生を歩むと決めた彼女の仮面。
レイル・スルールは今、このギルガメッシュ商会で世界の命運に挑もうとしていた。
そのことで、どうしても統矢は雨瀬雅姫に会う必要があるのだった。




