第2話「紅き月が見守る平和」
北極の基地を飛行機で旅立ち、半日。
摺木統矢は人類同盟軍のラングレー基地を訪れていた。アメリカが管轄するこの基地は、現在の地球の防衛の要である。
パラレイドとの永久戦争、そして平行世界からの侵略者である新地球帝國との決戦……その被害はあまりにも甚大で、失ったものは大きい。その反動で、平和になった途端に世界各地で紛争が頻発した。
地球は今、同じ時代の人間同士で戦うだけの余裕を取り戻したのだった。
「摺木一尉、ここからは車で移動になりますが……一尉?」
クレア・ホーストの声に気付いて、統矢は視線を翻す。
基地には整然とパンツァー・モータロイドが並び、敷地内の訓練施設では今も模擬戦が行われているようだ。広大な土地の一角に、人工的に作られた山野が広がっている。
演習場からは、甲高い駆動音が響き渡っていた。
その中に統矢は、酷く懐かしい音を拾う。
「……そっか、あいつはそういえばラングレー基地に今はいるのか」
「摺木一尉?」
「ん、ああ。えっと、クレア。俺のことは統矢でいい。俺も、クレアって呼ぶからさ」
「そ、それは! それは恐れ多いというか、その!」
「階級はあるからまあ、最低限の礼節をもってくれればいい。頼りにしてるからさ」
「は、はあ」
クレアは大きな目を瞬かせながら、納得がいかないようで難しい顔をする。
だが、正規の軍人になって何年も経つが、統矢は階級や肩書が苦手なのだ。大尉待遇、いわゆる一尉の階級を得ているが、実情は飼い殺しのモルモットなのだから。そして、自分があの戦いの中心にいたことを、知っている人間はもう少ない。
人類同盟は、戦後の統治のために異なるストーリーを用意していた。
それは安っぽいプロパガンダで、よくもまあ彼女が承知したなと統矢は驚く。
その少女は……かつて仲間だった少女は、今もPMRに乗っていた。
「それより、クレア。ちょっと訓練を見学してもいいかな? 時間はある筈だし」
「は、はいっ! では、すぐに基地の担当者に連絡してみます」
「ありがとう」
統矢は軍服の襟を緩めて、ポケットに両手を突っ込み歩き出す。
小さな携帯端末を操作しつつ、そのあとにクレアが続いた。
滑走路の端をフェンスにそって悪けば、徐々に懐かしさが込み上げる。
灼けたオイルの臭い。
鉄と火薬と、硝煙と。
そして、耳をつんざくメカニカルノイズ。
ミリタリーパワーで稼働するPMRが近付けば、不思議と心が落ち着いた。
「摺木一尉、じゃなくて、ええと統矢、殿」
「はは、それいいな。うん、なんだい?」
「担当者が、30分だけならいいと。基地での手続きが済み次第、車を出してくれるそうなので」
「わかった、サンキュ」
「い、いえっ! ……なにか、おかしいですか? 私、顔になにかついてますか?」
自然と統矢は、笑みが浮かんでいる自分がおかしかった。
ちょっと、昔を思い出したのだ。
いつも共に戦場を駆け抜けた、限界チューンドのハイトーンな駆動音が……五年前の記憶を掘り起こす。
「いや、さ。昔、後輩がいて……いつも、統矢殿、統矢殿って」
「そ、そうでありましたか! あっ、もしや伝説の……フェンリル小隊の!」
「……今はちょっと、行方不明だけどな。MIA、いわゆる|作戦行動中の生死不明認定《Missing In Action》、かな」
だが、仲間の中で死を悼んでいる者は一人もいない。
その少女は、いつも統矢と、その恋人の後ろをついてきた。子犬みたいにじゃれついて、凄く懐かれていたのを思い出す。
彼女は、渡良瀬沙菊は戦争によって豹変してしまった。
死の淵から生還する過程で、あまりに過酷な現実が彼女から人間性を削ぎ落としたのだ。
そして、そのまま今も行方不明である。
クレアを見ていると、ふと沙菊のことが脳裏を過る統矢だった。
「あっ、統矢殿! あそこのゲートから演習地に入れるであります」
「お、やってるやってる。クレア、PMRは」
「正規の訓練を受けています。自分も、その、パイロット志望ですから」
「そっか」
「統矢殿、安全のためにヘルメットを」
ゲートを守る兵士と敬礼を交わして、統矢はクレアと共にヘルメットを装着する。
演習場の中に入れば、大自然が出迎えてくれた。
鋼鉄の巨人を鍛えるための、人工的な箱庭……そこには、今も心地よい緊張感が漂っていた。仮設のテントでは多くの技官や兵士たちが、機器を前にデータを取っている。オペレーターたちも、実戦さながらの模擬戦に挑むパイロットたちに注視していた。
戦争が終わっても、軍隊はなくならない。
平時にも訓練を欠かさず、即応体制を維持することもまた任務なのだ。
統矢はとりあえず、現場指揮官へと歩み寄って挨拶を交わす。
「失礼、少佐。見学を申し込んだ者ですが。突然すみません。快諾に感謝を」
「ん、君は……その軍服は、日本皇国の?」
「はい、摺木統矢一尉であります。今日は勉強させてもらいます」
「スルギ、トウヤ……ああ、例の男か。見ててもつまらんぞ? なにせ、普通の人間、それもヒヨッコの訓練だからな」
現場を仕切っている少佐は、壮年の大柄な白人男性だ。サングラスの奥で人懐っこく笑って、統矢の肩をポンポン叩いてくる。
統矢は上層部では恐怖の代名詞だが、現場の人間は比較的当たりが柔らかで穏やかだ。
その少佐が、クレアが官姓名を名乗って敬礼すると、僅かに息を飲む。
「……君は、そうか。グレイの、娘さんか」
「父をご存知なのですか?」
「勿論だ、今は彼の方が上官だがな。二階級特進して、中佐……やれやれ、もう勇敢さを叱ることもできん。彼は立派なステイツの軍人、そして戦士だったよ」
「あ、ありがとうございます!」
その時だった。
テントのオペレーターたちが慌ただしくなる。
同時に、無線機で繋がりっぱなしの回線から複数の悲鳴が響いた。
そして、聞き覚えのあるハスキーな声が響き渡る。
『14番、それと18番、24番! 失格! そんなんじゃ、初陣前に格納庫で死ぬわよ! はい、次っ!』
凛として響く、熱気の籠もった声音。
テントの中でモニターを見せてもらったが、一個中隊規模の新兵たちと戦ってるのは……たった一機のPMRだ。
だが、その周囲から次々とレーダーの光点が消えてゆく。
ものすごい勢いで、仮想敵が撃墜判定を量産しているのだ。
『11番、7番、失格! 基礎からやり直しなさい! 37番も、ハイ! 駄目! しばらくそこで反省してなさい。負けて終わるだけなら子供でもできるわ!』
手厳しいし、容赦がない。
だが、それは当然だ。
統矢は今日の仮想敵に懐かしい名前を思い出す。
「相変わらずだな、ラスカ……そっか、今は北米に来てたのか」
「あれっ? 統矢殿はラスカ・ランシング大尉を御存知なのですか?」
「そりゃそうさ。戦友、仲間だったから……」
「あっ、そそ、そうでありました! うわー、凄い……人類同盟軍特務教導隊、通称フェンリル小隊の隊長にしてエース! あの【月紅】の名を知らないパイロットはいないでありますよ!」
熱風が吹き荒び、テントが飛ばされそうになる。
強烈な排気と共に、スラスターを吹かしたPMRが至近距離に着地した。そしてそのまま、バランスを崩しつつライフルを空へと向けて発砲する。
すかさず少佐がマイクで「バ、バカモンッ! あっちでやれ!」と怒鳴った。
そして、懐かしい駆動音が銃声を掻き消し舞い降りる。
戦後の平和を守って、多くのパイロットたちを養成する戦技教導団……フェンリル小隊の名は今、紅き月の女神と共に健在だった。
『くそっ、なんだよ! 教官に全然当たらねえ!』
『7番、失格! それと、足元をよく見なさい! アンタ、あとで基地内マラソン10周! それと、罰としてアタシのアルレインにワックスがけよ!』
真っ赤なPMRが、驚くほど静かに降りてきた。そのなめらかな動きは、自然とナイフを抜いて逆手に握る。
訓練生の乗る機体は新型、マキシア・インダストリーのTYPE-33【コボルト】だ。戦後に開発された、治安維持等の幅広い任務に対応できる最新鋭PMRである。
対して、教官であるラスカの機体は……まだ、あの真紅の89式【幻雷】改型四号機だ。あれから更に改修がなされているが、細身のネイキッドなシルエットは以前のままである。歴戦の勇士を思わせるその姿は、傷だらけでそこかしこの塗装が剥げかけていた。
「統矢殿っ、危険です! 下がってください!」
「大丈夫さ。ラスカは上手くやる、平気だよ」
「……DUSTER能力というのは、そういうことがわかるのでありますか!?」
「いんや? ただの勘というか、勝手知ったるなんとやらさ。彼女とは腐れ縁でね」
あっという間に、改型四号機は【コボルト】に肉薄、その脚部の関節にそっとナイフを忍ばせる。大型のダガータイプではなく、PMRの標準装備で刃のない訓練用だ。それでも、関節部へのダメージを判定したAIが、訓練生の機体を緊急停止させる。
下手に暴れれば大惨事だったが、統矢は全く心配していなかった。
そして、驚く……以前にもましてラスカの操縦は、洗練されて美しかった。
崩れ落ちる【コボルト】を見下ろし、紅いPMRはコクピットハッチを解放した。
そして、小柄な女性パイロットが姿を現す。
「状況終了! アンタたち、これが実戦なら全員戦死よ! わかってんのかしら……15分後にブリーフィングルームに集合、徹底的に教えてあげる!」
そこには、あの日といささかも変わらぬラスカの姿があった。いや、少し背は伸びたし、逆に髪はバッサリ切ってショートカットになっている。そしてよく見れば、女性特有の優美な起伏が見て取れる、成長した姿だった。
彼女は、見上げる統矢に気付いてヘッドギアを外す。
「なによ、統矢じゃない。アンタ、なにやってんのよ!」
「やあ、ラスカ。久しぶり」
「久しぶり、じゃないわよ! 何年ぶりだと思ってるの? 日本に行っても全然会えないし!」
「ごめんな、行動が制限されてるんだ。それより、派手にやってるじゃないか」
「当たり前でしょ! ……死なれちゃ困るのよ、誰だってそう。アタシだってもう、殺し殺されはウンザリしてんの!」
中身は全く変わっていない。
それがとても安心する。
「で、【月紅】だっけ? よかったじゃないか、押しも押されぬトップエースだ」
「遅いっつーの! こんなの、ていのいいプロパガンダよ。広告塔なのよ、アタシ。ふふ、まあ……それでもいっか、ってね。それに、月の女神……悪くないわ」
月は常に、天にあって世界を見下ろしている。
太陽の照り返しで輝く、近寄ればデコボコと傷だらけの衛星だ。
だが、ラスカはそれが好ましいのだと微笑んだ。軍人とは、そして軍隊とは……真昼の月のように、誰も見上げなくてもそこにある。平時にあっては、意識されないほうがいい。それでも、有事に供えて牙を研ぐ、それが今のラスカの生き方なのだ。
懐かしい再会を果たした統矢だったが、降りてきたラスカは昔のように容赦なく尻をプンスカと蹴飛ばしてくるのだった。




