婚約破棄された悪役令嬢ですが、隣国の王子に見初められたら全力で守られて溺愛されています
「エリス・グランヴィル。貴様との婚約は破棄する」
王太子アルベルトの冷たい声が、舞踏会の中央に響いた。煌びやかな衣装の貴族たちは息を呑み、視線は一斉に彼の前に立つ令嬢へと集まる。
エリス・グランヴィル侯爵令嬢。才色兼備の令嬢として知られた彼女は、しかし今――まるで“悪役令嬢”のように吊し上げられていた。
「理由は明白だ。君の嫉妬深さと、他の令嬢への嫌がらせだ。…とくに、リリアン嬢への中傷は許されるものではない」
リリアン――アルベルトの“愛人”であり、近衛騎士の庶子。エリスが何一つ手を下していないにも関わらず、全ての罪を彼女に擦り付けられていた。
「……好きになった人が、庶子だった。それだけで私を捨てるつもりだったのでしょう?」
エリスは声を震わせずに言った。
「リリアン嬢が王妃にふさわしいと思うなら、そう言えばよかった。ただそれだけで済んだ話です。なのに、こんな見世物にする必要は――」
「黙れ!」
アルベルトの怒声が飛ぶ。
「令嬢のくせに、王命に逆らうのか!」
その瞬間――。
「その令嬢を侮辱するな。彼女は私の妃にする」
荘厳な声が割って入った。
会場の扉が開き、堂々たる風格の青年が歩み出る。隣国グランレーヴの第一王子、レオン=ヴァン=グランレーヴ。戦乱の最前線に立つ“戦場の獅子”と名高い王子だった。
「彼女を、私が守る」
彼の背後には、グランレーヴの近衛兵が十数名。まるで敵地に乗り込んだかのような雰囲気に、会場の空気が凍りついた。
「レオン殿下、これは我が国の内政です。ご退場を――」
「黙れ。彼女が無実である証拠なら、既に我が国の情報部が全て押さえている」
レオンは小さな水晶板を取り出し、魔導映像を投影する。
映像の中で、リリアンとアルベルトがエリスを陥れる計画を笑いながら語っていた。
「……これが証拠だ。彼女が“悪役令嬢”などではないと、万人が知ることになる」
アルベルトは蒼白になり、その場に崩れ落ちた。
「エリス。君は自由だ。いや――私の妃として、私の国に来てほしい」
エリスの目が見開かれる。
「なぜ、そこまで私を……?」
「初めて会った時から、君の誇り高さに惹かれた。ずっと見ていた。君を、君の魂を。…そして今、守る時が来たのだ」
レオンの真摯な眼差しが、エリスの心の傷にそっと寄り添った。
その夜、彼女は王宮を後にし、レオンとともにグランレーヴへと旅立った。
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それから半年後。グランレーヴ王都。
白百合の香り漂う神殿で、純白のドレスに身を包んだエリスは、レオンとともに誓いの言葉を交わしていた。
「愛しています、エリス。君がこれまで耐えてきた痛みも、これから先の未来も、全てを共に歩ませてほしい」
「……はい。私も、あなたとなら……もう、怖くありません」
それは“政略”などではない、“白い結婚”だった。純粋な想いと、信頼の上に築かれた愛の誓い。
レオンの腕の中で、エリスは初めて心から笑った。
「君の父親や、アルベルト。あの者たちには、それ相応の罰を下した」
レオンはそう言って、情報操作による追放処分と、グランレーヴ王家の圧力によりアルベルトが王位継承権を剥奪されたことを明かした。
「権力とは、人を守るために使うものだ。君を苦しめる者に対して、私は容赦しない」
それはエリスにとって、何よりも強い“復讐”だった。
だがその復讐の果てにあるものは、哀しみではなく――温かな愛だった。
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グランレーヴ王宮のバルコニーで、エリスはレオンの手に抱かれていた。
「……あなたがいなければ、私は壊れていたかもしれない」
「君は壊れない。壊れるには、君はあまりにも強く、美しい」
レオンは唇を彼女の額に落とす。
「君を愛している、エリス。これまでも、これからも」
その言葉が、何よりも甘く響いた。
エリスの瞳に映る未来は、もう陰りなき光で満ちていた。
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グランレーヴ王国最大の聖堂――「アルシア・サンクチュアリ」。荘厳な白亜の建造物の扉が、ゆっくりと開かれた。
清らかな鐘の音が高く鳴り響き、参列した各国の王侯貴族たちが一斉に振り返る。
白銀のヴェールを纏った花嫁――エリス・グランヴィルが、ゆっくりと聖堂の中央を歩いていた。
本日、彼女はグランレーヴ王国第一王子、レオン=ヴァン=グランレーヴの正式な妃となる。
かつて“悪役令嬢”と罵られ、社交界から追われた令嬢が、今や隣国の王太子妃としてこの聖域を歩む。
「美しい……」
誰かが呟いた。
その声に嘘はなかった。刺繍と宝石が織り込まれた純白のドレス、細やかなレースの手袋、そして何より、花嫁の表情が気高く凛としていた。
それは「復讐を成し遂げた者の誇り」ではない。
「今、幸せである者の誇り」だった。
聖壇の前で待つレオンの瞳も、柔らかく細められていた。戦場でどれほど冷酷であろうと、この瞬間だけは――ただひとりの女性を見つめる、誠実な男だった。
エリスがレオンの前に立つと、司祭が口を開く。
「王太子レオン=ヴァン=グランレーヴ殿下、貴方はこの令嬢エリス・グランヴィルを、妃として、永遠の伴侶として受け入れますか?」
「誓う。彼女を命に代えても守り、愛し抜くと神に誓う」
「エリス・グランヴィル嬢、貴女はこの王太子レオン殿下を、夫として、王配として受け入れますか?」
「はい。彼を信じ、共に在り続けることを、心より誓います」
二人が結婚の誓いの印として指輪を交わすと、司祭の手が天へ掲げられた。
「神の前に、二人は夫婦と認められました」
その瞬間――。
祝福の鐘が鳴り、天井のステンドグラスから光が差し込む。花びらが舞い、聖堂全体が歓声に包まれた。
レオンはエリスの手を取り、その額にそっと口づける。
「君を世界一幸せな妃にする。――約束だ」
エリスはそっと微笑んだ。
「もう十分すぎるほど幸せよ、レオン様」
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披露宴は王宮で行われ、国を挙げた祝祭となった。
世界中の王侯貴族が招かれ、王国中の職人が腕を尽くした料理と装飾に囲まれた会場は、まるで神話の祝宴のようだった。
「エリス様。もう“悪役令嬢”と呼ぶ者など、どこにもおりませんね」
レオンの側近である宰相セドリックが、グラスを片手に笑った。
「むしろ、国民からは“王国に春を運んだ花嫁”と称されています」
「少し……こそばゆいですね」
エリスは微笑みつつも、かつての記憶を思い出していた。
父は爵位を剥奪され、王都から追放。アルベルトはリリアンと共に庶民として辺境に送られた。だが、もう復讐に酔うことはなかった。
「私は……今が幸せだから、もういいの」
「ええ。君には、これからの幸せを積み重ねてほしい」
レオンは彼女の手を取り、優しく口づけた。
やがて夜が更け、舞踏会が始まった。
最初の一曲は、王太子夫妻のダンス。
エリスの腰にそっと手を添えたレオンは、囁く。
「……今でも思い出すよ。あのとき、君が涙を堪えていた姿を」
「……見られていたのですね」
「君を、誰よりも強くて優しい女性だと知っていた。だからこそ、君を守りたかったんだ」
踊るたび、二人の距離は近づいていく。
「エリス。私と共に国を歩んでほしい。君の心と知恵が、この国に必要だ」
「……あなたとなら、どこまでも」
ダンスが終わる頃には、二人を見守る全ての者が、その幸せを確信していた。
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式も宴も終わり、エリスは王妃として与えられた寝室で、鏡の前に座っていた。
そこへレオンが現れ、背後からそっと抱きしめる。
「君を手に入れたはずなのに、まだ夢を見ているようだ」
「ふふ、それは私もです」
彼の腕は温かく、優しかった。
「誓うよ。何があっても、二度と君を傷つける者は近づけない。君を愛するこの気持ちは、誰にも、何にも汚されない」
「……ありがとう。レオン様」
エリスは静かに目を閉じ、身を預けた。
それは、白い結婚と、真実の愛が結ばれた夜だった。
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数日後、王国の公式記録にこう記された。
――王太子レオン=ヴァン=グランレーヴと、王太子妃エリス・グランレーヴの婚姻が執り行われ、国内外より祝福を受けた。彼女はかつて“悪役令嬢”と蔑まれたが、その誠実と聡明さにより、今や“希望の象徴”として国民に愛されている。
誰もが知っていた。
この結婚は、白く、誇らしく、そして――何よりも幸せな未来への第一歩だと。
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グランレーヴ王宮に、静かで清らかな朝日が差し込んでいた。
エリスは柔らかなシルクの寝間着に身を包み、膨らんだお腹をそっと撫でながら、バルコニーに出た。春の風が花の香りを運び、鳥たちのさえずりが新しい一日を祝福する。
「……もうすぐ、あなたに会えるのね」
微笑みながら語りかけるエリスの表情は、かつて“悪役令嬢”と呼ばれていた頃の影を一切感じさせなかった。
あれから三年。彼女はグランレーヴ王国の王太子妃として、人々に愛され、王宮の中心にいた。政務にも助言役として関わり、聡明で穏やかな采配は“王子の右腕”と称されるほどになった。
そして今――ついに、新たな命を身籠もっていた。
「エリス。無理はするなよ」
背後から、低く優しい声がかかる。
振り向けば、夫であるレオンが微笑みながら彼女を包み込むように寄り添ってきた。
「おはよう、レオン様。今日も早いのですね」
「君と息子の寝顔を見たら、早く会いたくなっただけだ」
レオンは膨らんだお腹にそっと手を添えた。
「ここに君との子がいるんだと思うと……何もかもが愛おしくなる」
「……息子、って決めつけすぎでは?」
「いや、直感だ」
「ふふ、それは根拠になりませんよ」
仲睦まじく微笑み合う二人。その様子を遠くから見守っていた侍女たちは、そっと頬を緩ませた。
「レオン様、ほんとうに変わられましたね」
「以前は王宮で一番近寄りがたい方だったのに……今では、“愛妻家”どころか“溺愛殿下”ですわ」
そんな噂も、今や王都中の誰もが知っている事実だった。
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季節が夏へと移り変わる頃、エリスの出産は近づいていた。
王宮内の最も静かな離宮に特別な産室が設けられ、最上級の侍医と産婆が待機していた。
そしてある夜。
「レオン様! 王妃様が――!」
慌てた声に、レオンは剣を取るよりも早く跳び起きた。
「エリス……!」
彼女のもとへ駆けつけると、額に汗を滲ませたエリスがベッドに横たわっていた。だがその目はしっかりと開かれ、夫を迎えるように微笑む。
「レオン様……来てくれて、ありがとう……」
「当然だ。最後まで、君のそばを離れない」
陣痛が強まり、助産師たちが声をかけながら準備を進める中で、レオンはエリスの手を握り続けた。
「君は強い。君なら大丈夫だ」
「……はい。あなたと、この子のために……必ず」
何時間にも感じられる痛みと戦い――
ついに、産声が空気を震わせた。
「おぎゃあっ、おぎゃあ……!」
「生まれました! 元気な……男の子です!」
その言葉に、エリスは涙を浮かべながら笑った。
「レオン様……息子よ……あなたと、私の……」
レオンは息を呑み、初めて自分の腕に抱いたわが子を見つめた。
小さくて、柔らかくて、けれど確かに“命”を感じるその存在は、かつて幾度となく戦場を渡った彼の心を、簡単に崩した。
「ありがとう……エリス。本当に……ありがとう」
「ふふ……あなた、泣いてます」
「泣いてなんか……いや、泣いてるな。これは勝てない」
二人の間に新たに加わった小さな命。
その日、王宮中に“王子誕生”の知らせが響き渡った。
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名は、「ユリウス・レオンハルト・グランレーヴ」。
花のように美しい母と、獅子のように強い父を持つ第一王子は、その誕生と同時に“王国の光”と称された。
「この子は、君に似て穏やかだな」
レオンは揺りかごの中の息子を見つめながら、しみじみと言った。
「いえ、気の強さはあなたにそっくりです。泣き方が激しいですもの」
「はは、たしかにそうか」
ユリウスの名には、「百合の花のように清らかで、王国を照らす存在に」というエリスの願いが込められていた。
かつて罵られ、追放されかけた“悪役令嬢”。
だが今、彼女は母となり、王妃として人々に愛され、王国の未来をその腕に抱いていた。
レオンはその横顔を見つめながら、心から思う。
――この人と出会えてよかった。この命が生まれてよかった。
「君はもう、“悪役令嬢”ではない」
「……そうですね。私は“王妃”で、“母”です」
「そして、私の最愛の女性だ」
レオンは静かにキスを落とした。
王宮の窓の外では、祝福の花火が夜空を彩っていた。
その光が、王子の未来をも照らしているように感じられた。
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後の歴史書にこう記される。
――王太子レオンと王妃エリスは、真実の愛で結ばれた最強の夫婦であった。彼らの間に生まれた第一王子ユリウスは、後に“民とともに歩む理想の王”として名を馳せることとなる。
だが、それはまた別の物語――。






