はぁ...魔王
戦いに夢中で全く気付いていなかったが、今いるこの辺りは今まで歩いて来た森に比べて少し明るい事に気付く。
注意深く周りを観察していると、紫色の様な灯りが至る所に設置されてあるのを見つけた。
見る者のその時の気分にもよるのかもしれないが、今俺が抱いていた感情は素直に"綺麗"だった。木の根元や中腹辺りに埋め込まれているその灯り達はどこか幻想的に見える。
「そもそもこれは……人工物なのか?」
思わずそう口に出したが、多分俺の予想は外れている。
今まで渡り歩いてきた様々な街でこの様な物は見た事が無かったし、これ程までに幻想的な灯りを人の手で造れるという事が想像出来なかった。
そもそも街中に"これ"があったらそれはそれでちょっと変に思う。
この世界に存在する有象無象、それら全てには相性というモノがある。美味しい物と美味しい物、綺麗な色と綺麗な色、合わせる事で更に良いモノとなる組み合わせは意外と少ないのだ。
夥しいまでの数の魔物達が跋扈する魔の森で、そんな緊張感の欠片も無い様な呑気な事を考えながら歩いていると
――――突如、空気が変わった
「――ッ!なんだこれ…!?」
その発信源は目視出来なかったが、今尚遥か前方からとめどなく押し寄せ続けてきているプレッシャー。
それが殺気なのかどうかはわからない。ただ圧倒的なまでの威圧感に俺の身体は身動きが取れなくなっていた。
やがて―――遠くに人型のシルエットが浮かぶ。
(人間…?それに――女?)
前方から歩いてくるソレは人間の女性と酷似した体躯をしていた。
だが違う。アレは人間では無い―――人間であっていい筈が無かった。
本能が叫ぶ――――逃げろと、
戦ってはいけない相手だと、
勝てるはずが無いと。
(……いや出来る事なら逃げたいんですけどね?身体がね?動かないんですよね)
一体どうすればいいのか、このままでは恐らく自分は死ぬ。
そう考えたところで思考を打ち切る――――結局のところどうしようもないのだ。
もしこの場から逃げ出せたとしてもあれ程の強者から逃げ切れるだなんて到底思えない。
そんなこちらの焦燥感など露知らずゆっくりと歩き近付いてくるソレは、やがて俺に目視できる距離にまで近付いた。
そしてそこにいたのは――――絶世の美女だった。
腰まで伸びた紅い髪は炎よりも猛々しい様で、その反面ルビーの様に落ち着いた美しさも醸し出していた。
黒いドレスに身を包んだその女の目を見た瞬間――――時が止まった。
一度でも目の合った者の心を掴んで離さない深紅の瞳。
俺はその目を見て、美しいと思った反面―――恐いとも感じた。
「やっぱここまで来れたんだ。凄いね?人間なのに」
そいつはまるで近隣の住人と世間話でもするかの様なテンションで話しかけてきた。
(――――て事はやっぱり人間じゃないのか。まぁそりゃそうだ、こんな人間がいてたまるか…)
色々と考えている事はあったが、無視なんてしても状況は悪化の一途しか辿らないだろう。俺はやっとの思いでなんとか声を振り絞った。
「……まぁ楽では無かったけどな。ところで―――あんたは何者なんだ?」
すると彼女は少しだけ驚いた様な顔をしたが、すぐになにか含んだ様な笑みを浮かべた。
「へぇ…私の事知らないんだ?魔王クレナードって言ったら―――わかるのかな?」
あまりに予想だにしていなかった一言に、緊張と恐怖で明らかに回数を増していた鼓動がより一層激しく脈打った。
(――――魔王!?こいつが?
て事はもし今こいつを殺せれば俺は元の世界に帰れるのか?)
そう考えた所で、俺は一瞬で思考を切り替える。
無理なのだ。少なくとも今はどう足掻いても無理。俺にこいつを殺す事は出来ない、文字通り―――レベルが違った。
悔しいがもしかしたら……なんていう次元じゃなかった。1つしか命の無いこの世界に置いて勇気と蛮勇を違えるつもりは無い。
だとしたなら俺が今するべきなのはどうにかしてこの場から命を繋ぐこと。
こいつはいつか殺さなくてはならない。だが今は無理なのだ、仕方ない。
(――――だから今、こんな所で死ぬわけにはいかない)
「魔王――か…。そんな魔王さんが俺なんかになんの用だよ?」
すると彼女は困った様な、呆れた様な顔でこちらを見やる。
「なんの用かって言われても…。ここ私の領地なんだけど…」
…………
「そうだったぁ…。そう言えば水竜がそんな事言ってたぁ…」
言い訳のしようが無い。こいつが俺を殺す理由はしっかりと存在していた。
俺が半ば自棄になりそう言うと、彼女は心底愉快そうに笑った。
「アハハハハ!ほんと面白い人間だねぇ貴方っ」
その顔は―――俺が想像していた魔族や悪魔なんかとは到底かけ離れているモノだった。
悪意を含んだ笑いなどでは無く限りなく純粋な笑顔。
そしてそれは――――ただただ眩しかった。
(普段の顔も十分過ぎる程可愛かったけど笑った顔はマジで天使みたいだなこいつ…。こんな美少女が魔王だなんてなんの冗談だよ…)
だが笑っていたのも束の間
「それで…?私の領地でだいぶ好き勝手してくれたみたいだけど、なにか言い分はあるのかな?」
(そういうパターンか、まぁそりゃ明らかな格下が自分の領地で好き勝手してたら誰でもむかつくわな)
どうする?そう自身に問いかけるが残念な事に俺は奴に対する交渉材料を何1つとして持っていなかった。
知らなかったとは言え好き勝手していたのは事実。俺がここまでに殺してきた魔物達を生き返らせることも当然ながら不可能。
「言い分は…無いなぁ…。でも本当に知らなかったし死にかけてここに逃げ込んできたんだ。出来る事なら―――あんたの温情に縋りたい」
「へぇ…。素直ね。でも死にかけたって?キミより強いヤツなんてそうほいほいいるとは思えないんだけど?」
(そりゃまた随分な過大評価な事で……。自分でもビックリするぐらい手酷くボコボコにされましたよ)
「ちょっと帝国のお偉いさん達と揉めてね。まぁ別に俺からふっかけたわけでは無いんだけど」
「帝国って事は…そうかあいつの仕業か…」
そう呟いた途端彼女は何かを考え込むような仕草をした後、俺の方に向き直りこう言った。
「事情はなんとなくわかったわ。まぁキミの事は見てて飽きないしねぇ…――――あそこにお城が見えるでしょ?あそこまで来なさい。もしあそこまで生きて来る事が出来たらキミの無事を約束してあげる」
そう言って彼女は今まで俺が進んで来た方向とは真逆の方向を指差した。
(城……?――――遠っ!いやほんとに霞んでかろうじて見えるかどうかってレベルなんだが!)
頭の中は疑問でいっぱいだった。魔王が何を考えているかが一切わからなかった。
魔王が俺を生かすメリットなんてそれこそ皆無なのだ。侵入者をわざわざ生かす意味もわからないし、更に今の言い方はまるで自分の居城に俺を招くと言っている様なもの。これで不信感を抱くなと言う方が無理があった。
「正直あんたの考えてる事がわからないから不信感で一杯なんだが…。
でもまぁ――――拒否権はないんだろ?」
俺がそう言うと彼女は満足そうに頷く。
「別に深い事はなにも考えてないから安心していいよ。ただキミは見てて面白いから。
ずっと退屈だったのよ私――――あ、もちろん逃げたりしないでね?キミの様子は逐一見ているから。もし逃げたりしたら次は問答無用で殺す」
(最後の方ちょっと本性出てますけど!?)
だが実際問題こいつから逃げ切る自信なんて微塵も無いし、行くしか無いのはわかっていたのだが。
「じゃあとりあえずはあんたの言葉を信じるよ。城まで行けたら無事は保証してくれるんだろ?」
「えぇ約束するわ。ただ気を付けてね?ここから先は更に魔物のレベルが上がるから――――油断したらすぐ死んじゃうよ?」
(なにそれ……優しい様で全然優しくなかった)
「じゃあ頑張ってね――――後は楽しく見物させて貰うわ」
言いたい事は全て言い終えたのか。彼女は身を翻し歩いて行った。
そして俺は―――そんな彼女の姿が見えなくなるまでその場から動く事が出来なかった。
(――――――情けないッ!
あいつは殺すべき存在だったのにッ
あいつを殺せば俺は元の世界に帰れたのに!
あいつこそが俺の最終目標だったのにッ!)
それなのに俺は奴を見てビビってしまっていた。更に言えば現在進行形で奴のおもちゃにされている様なものだ。
魔王の背中が見えなくなった時、俺が感じたのは心の底からの安堵だった。
これほど悔しい事があるだろうか。
「――――――絶対に殺す」
そもそも逃げられないのなら、もう開き直って殺すしか無い。
ちょうどいい事も聞いた。奴の言う通りならばここからは更に強い魔物が出てくるという話だった。
それなら俺のレベルもまだまだ上がる筈。今は確かに魔王は到底手の届かない強さを誇っていた。
だが俺特有の成長率だって異常なのだ。そしてその振り幅は本人にして不明瞭。
諦めるにはまだ早い、奴の城に着くまでにもっともっと強くなって油断しているところを突く。
「俺の事をまるで警戒していなかったあの目……」
(目にモノを見せてやる――――お前が馬鹿にし、見下した人間がお前を殺すんだ。
その時お前がどんな顔をするのか楽しみにしておくよ)
胸の中を埋め尽くしていくドス黒い何かに身を任せるかのように俺は歩き出した。
――――深淵の更に奥へ




