はぁ...豚ぁ
翌日――――俺は不機嫌な感情を隠そうともせずに詰所の前に立っていた。
昨日のやる気に満ち満ちていた時の面影など微塵も残っていない。
「早く出すのじゃ!えーいっ!いつまで待たせる気じゃ!この儂がクイーラ・エルゲイと知っての事か!?」
そしてその原因は、摩訶不思議にも二足歩行している目の前の豚によるものだった。
(――――なんだよその魚卵みたいな名前は)
奴が何に対しここまで怒っているのか。それは本日の俺のビジネスパートナーのせいに他ならなかった。
今俺達一行は大遅刻をかましてくれているフィアの事を詰所の前で待っていた。
堂々と遅刻してくるフィアにも当然腹は立っているが、フィア程では無いにせよ遅刻してきたくせにこんな風に騒いでいる目の前の喋る豚にも腹が立っていた。
(――――もう一人で行くか)
サウロ達との約束など放り出し俺が一人での出立を決意し一歩踏み出したその時、後ろの方から甘ったるい女の声が聞こえてきた。
「ごめんねぇ~?待ったぁ?」
「待った」
「もぉ~、そこは俺も今来たとこだよ。でしょぉ?」
「ざけんな。こっちは一時間以上待ってんだぞこら」
もしこれがフィアでは無く、自分の意中の相手だったならば百歩譲ってそんなやり取りもありえたかもしれない。
だがフィアとの長旅などただでさえ億劫だった上にここまで待たされては腹が立つのも無理のない事だった。
そして何よりもこちらの神経を逆撫でしていたのはフィアの態度だ。彼女の態度からはまるで申し訳なさの様なモノを感じない。
フィア相手に取り繕う必要性など微塵も無い。苛立ちを隠そうともせずフィアの事を詰めていると、少し離れた所で騒いでいた筈の豚がいつの間にか傍まで来ている事に気付く。
「貴様か!貴様がこの儂を待たせた冒険者だな!」
当然ながら豚はとてもご冠の様子で、先程以上の剣幕でフィアへと詰め寄っていく。
(あーあ、ここでまた一悶着かよ。こりゃまた更に出発が遅れるな…)
――――なんて思っていたが……そんな事は無かった。
「あらぁ~、ごめんなさい。でもぉこれから長い間こ~んなにもかっこいい大貴族様と長旅をするんだからぁ、しっかりと身だしなみを整えておきたかったんですぅ」
何故ならフィアが豚男の胸の辺りを擦りながらこんな与太事を言いだしたからだ。そして肝心の豚男の方もその返答に満更では無さそうな反応を見せていたからだ。
「う、うむぅ。そうか…そういう事なら仕方がないやもしれぬな…」
(おい豚、人と話す時は顔を見ろ。お前胸しか見てないぞさっきから)
もうこれ以上こんな茶番には付き合っていられない、時間も押していたのでさっさと出発する事に。
「――はぁ…。じゃあとりあえずもう行くぞ」
「はぁい」
こうして予定時刻を一刻半程過ぎ、ようやく俺達はレスティア王国を出る事が出来た。
一行は三台の馬車を使い移動している。先頭をクイーラの私兵達が、真ん中にクイーラとそのお付き、そして最後尾に俺とフィア。
どこから敵が現れたとしても警護対象であるクイーラだけは守れる様にと考えられた布陣だ。
出発したはいいが俺達が進んでいるのは公道。こんなしっかりとした道のある場所にそうそう魔物が現れる筈も無く、暇を持て余した俺達は世間話をしながら時間を潰していた。
「で、結局あいつは誰なんだ?」
「あれぇ?知らないの?アストラルでクイーラって言ったら結構有名なんだけどねぇ」
「行った事も無い所で有名な奴なんか知るわけないだろ」
「そんな事無いと思うけど…。まぁアストラルの大貴族様って覚えてればそれでいいんじゃないかしら」
大貴族―――当然の事だが貴族の中にも序列がある。自分が生まれた時には既にそんな制度は廃れていた為あまり興味も引かれる事は無かったが。
レスティアに来てから様々な貴族と王城で出会ったが、会話する事などほぼほぼ無かった為名前すら憶えていない者が大半だった。
(それにしても……あんなのが大貴族ねぇ…。なんか既にアストラルに対するイメージが嫌なモノになってしまったな)
だが考えてみれば貴族なんてモノはあんなモノなのかも知れない。レスティアの貴族達も俺の陰口を言っていた様な奴等ばかりだった気もするし。
(不思議だよな、中心街はあんなにもいい人達で溢れているのに)
心根の優しい人達が苦労して生活している反面、こんなクソみたいな奴等が税やらなんやらで裕福な生活をしている。元いた世界でもそういう一面は勿論あっただろうが、この世界ではそれがより鮮明に見えてしまう。
(――――たまんねぇな。この世界も)
結局のところ、どこの世界も似たようなモノなのかも知れない。
俺の思考はそういう結論へと行き着いた。前の世界でも富裕層はずっと裕福。その様な事を聞いた事がある。だがそれでも貴族制度など目に見える様な仕組みが無かっただけあちらの世界の方がマシと言えばマシなのかもしれないが。
「ていうかこれから通る所ってずっと普通の道だろ?どうして護衛なんてのがいるんだ?」
それはサウロにこの任務の詳細を聞いた時からずっと思っていた疑問だった。少なくとも帝国からレスティアに来るまでの道にはそこまで強そうな魔物はいなかった様に思う。
(まさかとは思うが、そこら辺の兵士ではあの酸を飛ばしてくるスライムとかにも勝てない。なんて言わないよな…)
「まぁ確かに危険は少ないわねぇ。―――それでも盗賊の類はいるだろうし、なによりもレスティア王国がアストラル法国の大貴族にちゃんと護衛をつけて送り届けた。っていう体裁が大事なのよぉ」
それはある種納得はいく答えではあった。仮にもこの豚は他国の重鎮、そんな者を護衛も付けずに外に放り出した。なんて事が他国周辺に伝わるのはどう考えたってよろしくは無いだろう。
「くだらねぇ」
だがそう言わざるを得なかった。何故なら俺はそこに住まう人々の事が好きなだけで、レスティア王国自体には何の感情も無いからだ。
そんな国の体裁の為に己の時間を割かれていると思うと文句の一つや二つ出てきてしまうのも仕方がない。
「そう言わないのぉ。実際貴方がここにいる事と国同士の問題はそんなに関係ないしねぇ。貴方がここにいる理由は単に一人で他国へ行かせるのが心配だったってだけの事よぉ」
「――――それはそれでムカつくけどな…」
(別に俺が一人で何をしようと関係ないと思うんだがな)
例えば俺がなにか他の国で粗相をしたぐらいで戦争とかが起きたりしてしまうのならわかるが、流石にそんな事はまずありえないだろう。
(いや……ありえないよな?そういうのよくわからんけど…)
人の優しさというモノは厄介だ。自分の事を想って差し伸べてくれた手を振り払う事は実に難しい。
それが実際に自分にとって益となるのか否か、そういう事を追求していけば時にはその手を振り払う事も必要になるのだろう。
だが俺にはまだそんな強さは無かった。心配してくれていると知れば若干の煩わしさは感じながらも、やはりどこか嬉しく思ってしまう。
そしてそう思うからこそ、なんだかんだで俺はギルドの彼らの言う事を蔑ろに出来ないのだろう。
――――人付き合いって大変だわ……




