藍沢由貴:5
2日目の半日が過ぎたが、2人はまったく出会わないまま終わった。
土曜日のため、一般客の来場が始まって昨日より輪をかけて忙しい。それも理由にあるのは間違いないが、由貴から飯島の方へ絡みに行かなかったから、というのがデカい。
今はシフト交代して、遅めの昼ごはんを買って、休憩にはいったところ。お腹はとても空いているはずなのに、まだ箸を付けずに由貴はスマホを睨んでいる。
画面には、送信前の「今日はありがとう。」
紙飛行機のマークを押せないまま、翌日になってしまった(疲れてすぐ寝てしまったこともあるが)。
「あーもー、めんどくさっ」
画面を消してとりあえず叫んだ。
そのまま後ろに倒れ込んでぼーぜんとする。
ここは、施錠された屋上へ続く階段の踊り場。人は滅多に来ない。
由貴の横には、出店で買ったタコ焼きと焼きそばが2パックずつ。
あとは、学祭名物のサーターアンダギーがこんもり入った紙袋が置いてある。このお菓子は毎年、家庭科部が手作りしている沖縄風の揚げドーナツで、毎度長蛇の列が出来るほどの人気の品だ。
だらんと身体を床に預けては、昨日の醜態を思い出して、ジタバタと悶え、起き上がる。その繰り返しで10分ほど経過した頃、階下から「おーい」と幼馴染の声が聞こえてきた。
「ゆきちゃん!こら、パンツみえる!」
「はーぱん穿いてるからダイジョーーブ!!」片腕だけ上げて、親指でグーしてみせる。
「そういうことじゃないでしょ!」
「なんだよ、色気ねーなー」
ツッコミが二重奏になり、おや?と由貴は顔を上げた。
見ると、奈保美と一緒に東貴由も登ってくるところだった。奈保美は両手に飲み物を持っている。
「珍しく2人が仲良くしている。。」
「仲良くない」
「珍しくねーよ」
またズレたかぶりをして、しかしそれを気にするでもなく、そのまま2人は由貴の近くに座った。
「はぁーつかれたぁ。やっと明るい場所に出て来られた。そっちはどう?」
「大盛況だよ!英文ギャルズのアメリカンな仮装が大人気。」
「仮装って。」
ケタケタと笑いながら、これちょーだい、と言いサーターアンダギーを奈保美がひとかじりする。
「はー生き返るー」
奈保美は、手に持っていたコーヒーを一口飲んで遠くをみやった。
放送委員会は、こうしたイベントには毎度出ずっぱりになる。
体育館では、有志のダンスやバンド、演劇部のミュージカル、クラスの出し物などがみっちりプログラムされ、順々に演じられており、その音響や照明も放送委員が任されている。
あるいは生徒会や文化祭実行委員からのお知らせやら、落とし物、迷子、教師からの業務連絡などなど…館内放送の仕事も雨アラレのように降り注いでくる。
そうした理由があって、文化祭前日まではクラスの準備に参加していたものの、奈保美の当日シフトは完全にクラスから除外してもらっていた。
ちなみに、東も放送委員会に所属している。普段は部活優先だが、イベントごとの時には張り切って委員会に参加しているようだ。
「いやぁー高校の放送委員会がこんなにハードだとはな。来年は立候補しねえ。」
「放送委員はノウハウの伝達必須だから、一度入ったら原則、3年間の任期継続なんですけど」
「マジかよ。うぜー」
「知らなかったほうがわるい。」
会話をしながら、東が由貴の焼きそばに手をかけて箸を付けた。
「あぁ、ちょーっ!やだ、勝手に食べないでよっ」
「なんだよケチだな。もう1パックあるんだからいいじゃねーか」
すでにもぐもぐと焼きそばを頬張りながらしゃべり続ける。
横で奈保美が「汚い、口開けんな」と東を睨んでいる。
「それ太ちぢれ麺の、一番人気のとこで、すごい並んだのに。。」
「だから、1個取っといてやってるだろ。それともあれか、これ全部1人で食う気だったのか…?」
逆にドン引きなんですけど…という目で見てくる。釈然としない。
「違うけど…ああもう、いいよ、それは。タコ焼きはダメだからね?!」
「分かったよ。後でホットドッグ買ってやるから。」
「結構ですぅー!もう累計10個は食べましたぁー!」
「ゆき、つまみ食いの域を超えているよ…」
フォローできない、と情けない声で奈保美が呟いた。
*****
生徒会室で仮眠をとっていた飯島はドアの閉まる音がした気がしてハッと目を覚ました。
「えっ今、何時?」
「まだ15分しか経ってないよ。あと5分休憩は残ってるからのんびりしてて。」
向かいにいた坂上菜々子が答える。昨日より遺失物騒ぎが頻発していたので、今日は生徒会室を遺失物預かり所として、役員で順番に常駐している。菜々子のつぎが飯島の当番だった。
飯島は大きく伸びをして菜々子の申し出を断った。
「ん〜ありがと。でもちょっと食べ物だけでも買いに行こうかな…っと。あれ?」
ふと、自分の机の上に目を留める。
買った覚えのない出店の食べ物がちょんと置いてあった。
「さっきこんなのあったっけ?」
「私も少し化粧室へと席を外していたので。誰かの差し入れじゃない?」
「そうなのかな。坂上さんも食べる?」
「私はいりません。飯島さんが全部食べてください。」
きっぱりと断られる。
タコ焼き、苦手なのかな…?
まだ少し温かいタコ焼きの隣には、大きな紙袋に3個だけ焼き菓子が入っていた。
*****
2日目の午後はあっという間に過ぎ去っていった。ホットドッグ屋は予想より早い段階で完売御礼となり、3時半ごろから徐々に撤収作業を始めて1年7組の教室はほぼ片付いている。同じクラスの面々は文化祭の最終日をかなり謳歌して、今は薄暗い教室でのんびりと雑談をしながら過ごしている。
現在の時刻はもうまもなく18:30というところ。
なぜ部屋が暗いのかというと、これから文化祭のクライマックスの花火が、校庭で打ち上げられるからだ。
みな、それを待って電気を付けずに、窓際に集まっている。
花火スタートの放送が入り、すぐに一発目が打ち上がる。各教室からわぁっと歓声があがる。
「たまやー」と叫ぶ者や、打ち上がるごとに拍手喝采を送る者など、みな興奮している。スターマインとまでは行かないが、結構豪勢な上げ方をしている。高校の文化祭がここまでやるとは正直思っていなかった。
後夜祭だけは、毎年3年生の委員たちがメインで仕切るのがこの学校の恒例だ。文化祭を無事やりきった2年生へと労いと、1年生への歓迎の意味合いもある。「これがうちらの文化祭の真髄だ」と言わんばかりに、BGMのチョイスひとつとっても先輩たちの意地を感じる。
更にこのムード満点の中、『匿名ラブレター』という放送が入る。しっとりとした女性の声が聞こえてきて、生徒の興奮が一層たかまる。
こちらも後夜祭の恒例行事で、事前に募集しておいたメッセージを、花火の合間に読み上げる。
これは放送委員の3年生の晴れ舞台でもあった。
一通目は、3年生の学年主任から生徒たちへのエールだった。絶妙なジョークセンスで会場を賑わし、きっと送り主の先生はほくそ笑んでいることだろう。
友人や、部活の先輩から後輩へ、など色々なパターンの手紙が読み上げられる。
とある手紙が読まれ始めると、7組の中で「きゃあっ」と一際大きな歓声があがる。どうやらクラスメイトの1人が、体育教師に宛てたラブレターが読まれているようだ。新卒の男性教師で、浅黒い醤油顔にガタイの良さ、歳も若く気安い性格から結構人気がある。なかでもファンのように熱を上げている子が、たまらず手紙を出したようだった。
冗談のようなイベントかと思いきや、結構本気な手紙も多い。送られた相手の名は読まれるが、送り主は基本匿名なところがまた、想像を駆り立てられて、聞き手をたまらない気持ちにさせる。
中盤になると、ガチなラブレターが読まれることが増え、場はどんどん盛り上がる。
全校公式カップルの先輩が彼女へ書いたラブレターも読まれ、ひゅーと冷やかす声も上がっている。
「やっぱり白根先輩と酒井先輩はすごい」
ひとり別の観点でラブレターを聴いている新田奈保美は深く頷いて、読み手であろう先輩たちを称賛してやまない。
「聞かせてくるのよね、かといって主張が強い訳じゃないの。この企画にぴったりの雰囲気だわ。。」
その横で、由貴は椅子を前後逆にして座り、窓の桟にもたれるように花火をみるともなく眺めている。
窓枠に両腕を置いて、その上に顎を乗せて節目がちにしている由貴の表情は、立っている奈保美からはあまりよく見えない。
「…なんか間違えたかも。」
とくに相槌は打たずに様子をみる。
「周りがどんなに盛り上がったって本人がその気になんなきゃ意味がないんだった。」
「…やめるってこと?しょうぶ。」
「やめない。」
むくりと起き上がる。
「けど、外堀を埋める作戦はやめる。秘密裡に進めることとする。」
「あそう。」
でも…
ふと教室を振り向くと、すでに由貴のことをそわそわと話題にしている数名と目が合う。
「今から辞めれるのかな。。」
花火はいよいよクライマックスを迎えている。