飯島悠也:1
翌朝、いつもより少し早く登校したにも関わらず、校内はすでに賑やかだった。
二学期はこの学校の二大イベントが控えており、そのうちの1つである文化祭は9月の連休あたりに開催される。
つまり、どのクラスも授業以外の時間は文化祭の準備に大わらわで、早朝の時間も例外ではないのだった。
この学校は、こうした催し物にかなり力を入れて取り組む風習があり、入学する生徒たちもそれを目的にして受験した者が過半数以上といっても過言ではない。
そうは言ってもなかなかに偏差値の高い学校ではある。学力の高さから自由度の高さも生まれているのかもしれない。
ついでに説明すると、この学校の組編成は、入学の時点で3つの学科に大別される。
普通科: 1〜4組
理数科: 5〜6組
英文科: 7〜8組
となる。
理数科と英文科は偏差値が少し高く、そこでの合格に届かずとも普通科を補欠希望することも可能だ。
なお現在登場している人物は、以下のように属している。
普通科: 2組 東貴由
理数科: 5組 飯島悠也
英文科: 7組 藍沢由貴、新田奈保美
ちなみに、同学年といえど学科を越えて関わることは部活や委員会を除けば、文化祭などのイベント以外ではほとんど起きない。物理的にも学科ごとに分かれており、若干校舎内での距離もある。
同じ学科内ではクラスの枠を越えた習熟度別授業などもあり、同じ組でなくとも多少の関わりはあるが、他の学科とはまったくそういうことが起きない。
なので、学科を越えた別クラスの訪問など、なかなか生じない。至極もの珍しいものだ。という状況を分かってもらいたい。
…という、前置きからの今。
飯島悠也は英文科の廊下の手前で立ち尽くしていた。
少しでも目立たないようにと早く来たが、お祭り好きの面々が既に教室にごった返している。
更に言えば英文科は女子生徒の在籍率が非常に高く、男子は10%ぐらいしかクラスにいない。
そこにきて身長180cm近くあるスッキリ系秀才が廊下に居れば目立たない訳がない。
男子の存在に既に飢えている英文科の女子たちは、所在なげに佇む飯島をチラチラと教室から盗み見てはキャアキャアとはしゃいでいる。
ーーーいたたまれない。
今、この瞬間の気持ちを形容するためにある言葉だと、しみじみ思う。
早く用事を済ませてさっさと男子の多い自分の教室に帰りたい。女子のいない生活に文句をつけている同級生たちに同じ思いをさせてやりたい。
じっとりと冷や汗をかきはじめた頃、別の視線に気付いた。用のある7組から、先ほどから騒いでいるキャアキャア系の女子とは違う様子でこちらを見ているのは、ぽわんとした明るい色の癖毛のショートカットの女の子だった。
目尻がもともとタレているところに、眉までしっかり下がっているから、かなりの困り顔に見える。
いや、あの視線は困っているというより、憐んでいる。俺を。
パチっと目が合うとスススと目立たないようにこちらにやってきて、近くでぽそりと呟いた。
「まだ来てないですよ」
「えっ?」
「由貴、金曜日はいつも遅刻ギリギリに来るから。今日は文化祭の準備をしに来ると張り切ってたから、いつもよりは早いと思うけど…すみません」
様々な「何故?」を口に出そうとした時に、英文科の教室に近い階段から大きな声が聞こえてきた。
「あっつーー!なんで1年生が4階まで登んなきゃいけないのぉーー?」
「ゆきちゃん、それ毎朝ゆってない?」
「あ、奈保美!おはー。
みて、材料の買い出しのついでにコレ!めっちゃ安かったんよ!」
大きなビニール袋を友人と思われる女の子の前でバッと広げると、中には文房具類と一緒に小さなシューアイスがたくさん入っていた。
(これ…校則違反では…?)
思う飯島をよそに、由貴は得意満面な顔で
「遅れちゃったし、暑いから、みんなに差し入れー!!」とニコニコしている。
(朝からアイス?)
(てか遅れてるなら差入れ買ってないで早く来いよ!)
などなど、口から出かかるが、済んでのところで沈黙を守っている。女子には女子の生態系とルールがあることを姉を2人持つ飯島はよく理解している。
「ゆきちゃん、わざとじゃないにしてもそろそろ可哀想だよ。」
憐れみ女子の進言により我に帰った藍沢由貴は、自分の視野の外にある飯島の顔をようやく見上げて、大げさに驚いた顔をしてみせた。
「え?おわっ。おはよう飯島くん!昨日はありがとね!
あっごめん!
アイス溶けちゃうから、後ででいいかな?」
「あの…」
の、一声を挟む間もなく矢継ぎ早にしゃべり、教室へと向かってしまった。
(俺の苦労って一体…)
姉がいるからといって同じ年頃の女の子に免疫のある方ではない。
これでも昨日の突然の申し出の後、家に帰ってからも色々悩んだのだ。
そして、返事は早い方がよいと気も遣っての翌朝の教室訪問なのに…!
この仕打ちである。
深ーいため息を1つ付いて、自分の教室へ向かうべく、1年7組に背を向けたとき、後ろからまたあの声がした。
「お昼、一緒にどうかな?学食に行くから!その時に話そー!」
教室の窓から半身を出して、由貴がこちらに呼びかけてきた。
(なんか、色々、すでに負けてないか?自分。)
分かった、というように片手を上げてそのまま手を振る。
すると由貴は、振ったその手を振りかぶって、ポイっとこちらに何か投げてきた。慌てて受け取る。
「それあげるー!」
見ると先程のシューアイスが手にあった。
「これで同罪ね」
あはは、と大きな口で笑ってから教室の中に顔を引っ込めた。
「いらねーし…」
しかし捨てると教師にバレるし、返しに行ったらまた蜂の巣を突つきに行くようなもんだし。
廊下の隅にかがんで、俯く。
なんかもう、この人、面倒くさいかも…。
慌てて封を開けて一口で食べて、すばやく飲み込んだ。
中のバニラアイスは甘ったるくて、口の中は冷たくて、歯にキンと沁みた。