7 商隊
苦労して砂丘をくだりきった辺りで、商隊の人々がバタルたちに気づいた。見知らぬ二人連れに彼らは始めこそ警戒を見せたものの、強盗の類いでないと分かると意外なほどあっさりと迎え入れてくれた。
「助かったよ。砂漠の真ん中で方角を見失ってしまって、困ってたんだ」
駱駝の足もとを歩きながらジャワードがそれらしいことを告げれば、隊列を先導している商隊長が振り返った。真っ青なターバンから覗く黒い目を、彼は愉快そうに細めた。長いターバンが口元や首にまで巻かれているので年齢ははっきりしなかったが、唯一見える目元の皺は深かった。
「そりゃ運がよかったな。しっかりスライマンの加護に感謝することだ。おれたちも仕事だからそれほど面倒はみてやれねぇが、道を教えてやるくらいはできるかもしれん。どこへ向かう途中だったんだ?」
商隊長の問いには、ジャワードの隣を歩くバタルが答えた。
「大きな鳥を知らないか。象を運べそうなくらい、大きな鳥なんだ」
「鳥だって」
これまで親しげだった隊長の目が、急に厳しくなった。分厚いターバンの影が顔に落ちるせいで、眼差しの鋭さが増して見える。
「その鳥に遭ったのか」
バタルが頷けば、隊長はさらに目元を厳しくした。
「遭ったのはこの近くか」
「近いと言えるかは分からない。砂漠の南西にある、ジャヌブの町だ」
「お兄さん、よく生きてたな」
商隊長は難しい表情のまま、正面へと顔を戻した。
「そりゃロック鳥だ」
隊長は断言し、怪訝に眉をひそめるバタルの方は見ないまま続けた。
「ここ数年で、商隊がいくつもやられてる。あいつら、人も駱駝もみんな食っちまう。元は東の虹海の島にしかいなかったはずなんだが、最近になって砂漠にまで出てきやがるようになったんだ。少しずつ行動範囲が広がってるとは聞いてたが、砂漠の反対側にまで出たとなると、この仕事も割に合わなくなってくるな」
「虹海の島……」
バタルが住んでいたジャヌブの町は、海洋と砂漠で南北を挟まれた港町だ。そこから海岸線が東西に長く伸びているわけなのだが、東へと辿っていくと海岸線はやがて北へ折れ、大陸へ大きく食い込む内海――虹海を形作っていた。
砂漠の北は険しい山脈に接しているので、虹海は東の国々との交易の要だ。バタルも実際に行ったことはなくとも、名前くらいは知っていた。
バタルは足を速めて、隊長の真横まで進み出た。
「そこに、ロック鳥の巣があるんだな」
「砂漠に巣があるって話は聞きかねぇから、そうだろうな」
「行き方は分かるか」
ぎょっとした様子で、商隊長はバタルの顔を見た。
「正気か、お兄さん」
「どうしても行かなきゃならないんだ。行き方を知ってるなら教えてくれ」
詰め寄る勢いで、バタルは商隊長との距離を縮めた。
バタルの急な動きに驚いたように、後ろを歩いていた駱駝が唸って首を振った。商隊長は手綱を引いて駱駝を落ち着かせてから、ため息と共に進行方向に向き直った。
「やめとけ、お兄さん。今の虹海は近づくのすら危うい」
「でも――」
「ロック鳥だけの問題じゃねぇんだ」
バタルの言葉を、隊長は低めた声で遮った。ただならぬものを感じて、バタルは仕方なく口をつぐんで男の話に耳を傾けた。
「虹海を越えたところにあるマシュリカ国の君主がすげ変わってからあの辺りは最悪だ。向こう岸に食人鬼が住み着いて着岸もままならん。普通ならそういうのが出たら、君主が傭兵なりを駆り出して対処するんだが、まるでそんな動きもねぇんだ」
食人鬼とは、人に似た姿をしていながら人を主食としている怪物だ。バタルは実物に遭遇したことはないが、内陸の方で出現したという話は稀に聞いていた。
忌々しそうに、隊長はターバンの上から口元を押さえた。
「それどころかどんどん食人鬼の数が増えて、最近じゃあどっかから舟まで手に入れて、海まで奴らの縄張りだ。マシュリカの住人はみんな逃げちまったから、どっかで人間を捕まえては食料として連れ去ってるって話だ。実は君主が食人鬼を呼び込んでるんじゃないかってな噂までたって、マシュリカの君主を魔王なんて呼ぶやからも出てきた」
「虐殺妃の次は魔王ときたか」
隊長の話に、これまで黙っていたジャワードが反応した。
「とことん統治者に恵まれないな、マシュリカは」
「虐殺妃?」
バタルが引っかかりを覚えて問えば、ジャワードは続けた。
「聞いたことくらいあるだろう。君主のお渡りが長く絶えた正妃が、嫉妬のあまり後宮の他の妃たちを毎夜一人ずつ殺したって話さ」
「それは知ってるけど、あれって実話だったのか」
時おり町へやって来る語り部の朗ずる話として、バタルは知っていた。町から町へ旅する語り部が朗ずる異国の物語は、庶民にとって手軽な娯楽だ。しかしその中に実話があろうとは、考えたことがなかった。
「語り部の話は聴衆を楽しませるために色々と脚色がされてるが、おおむね事実さ」
「それで、その舞台がマシュリカ国」
「そういうこったな」
バタルの反芻に答えたのは、商隊の隊長だった。
「しかもそんなに古い話じゃあない。二十年になるかどうかってところだ」
そこで商隊長は一旦言葉を句切り、語調を改めた。
「それで話を戻すが、そのマシュリカ国の魔王が、さぼってんだか頑張ってんだかのせいで、とても人が近づける状態じゃねぇ。前はロック鳥のいる島にさえ近づかなきゃ平気だったが、そのロック鳥の行動範囲が広がってる上に食人鬼も出る。海賊すら姿を消したよ。東との交易は、陸路と外海の航路でどうにかもってる状態だ。いずれ食人鬼もこっち岸までくるだろうよ」
そう締められた隊長の話に、バタルは呆然とした。自分がのうのうと絵を描いて暮らしている間に、砂漠の反対側がこんなことになっていようとは、思いもよらなかったのだ。
(父さんは無事だろうか……)
急に不安になった。ずっと、父は異国の地でも楽しげに布を織っているだろうと信じて疑っていなかった。しかし旅立って以来、沙汰がない事実に胸がざわめいた。
父も、妹のファナンも、幼馴染みのヤーセルも。幼い頃からずっとバタルの身近にいた人間の安否が、今は誰一人として分からない。その事実に行き当たり、バタルは目眩を覚えた。
突然、後方で銅鑼が鳴り響いた。隊列のどこにいても聞こえるだろうその音にバタルたちが振り返ると同時に、誰かが叫んだ。
「盗賊だ! 盗賊が出たぞ!」