あの世配達人
『あの世配達人』
私の住む町ではそんな都市伝説のような噂があった。
なんでも言葉通りあの世へと手紙を送り届けてくれるらしい。
生きている人が死んでしまった人へ手紙を出すことができる。それがこの都市伝説のような噂の内容だ。
と言ってもやっぱり噂は噂。信憑性は薄く、情報元も定かではない。
少なくとも私は生まれてからずっとこの街に住んでるけど、この話を聞いたことはなかった。
後から知った話だけど、この話は別に知名度の高いものでもなかったらしい。
これが私の住んでいる町の都市伝説で、噂。
どこにでもありそうで、どこかで聞いたことがありそうで、でも本当はない噂。
―――の、はずだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ねぇ、どういうこと? どうしてあたしに黙ってたの?」
今週のすべての授業が終わった放課後。
帰宅部の生徒がカバンを持って校門を抜け、野球部やサッカー部が大きな声をあげながら練習に励み、校舎の中からは吹奏楽部の綺麗な音色が響く茜色の時間。
みんながみんな明日からの連休に思いを馳せ、思い思いの時間を過ごし始める夕暮れ時。
私は親友の絵美ちゃんと一緒に帰宅していた。
「なんで何も言わないの? 言えない理由でもあるの?」
お互い帰宅部の私たちはいつも仲良く笑顔で帰宅している。
だけど、今日は笑顔なんてものはどこにもなかった。
「ご、ごめん……」
「ごめんじゃなんにもわかんないよ友里。ちゃんと説明して」
険しい顔をした絵美ちゃんが私に詰め寄ってくる。
誰が見てもわかると思うけど、私たちは喧嘩とまではいかないものの、それに近いものをしていた。
「あのね、別に絵美ちゃんに黙ってたわけじゃないの。ただ私も突然のことで混乱しちゃってて、ちゃんと落ち着いたら絵美ちゃんにも言うつもりだったんだよ?」
「……信じられない。だってもう三日だよ? 三日も黙ってたってことは何かやましいことがあるから言えなかったってことじゃないの? 違う?」
「ち、違うよ! 私本当に初めてのことで混乱しちゃってて、どうやって絵美ちゃんに話したらいいのかわからなくなっちゃって……。本当にそれだけなんだよ」
どうしても絵美ちゃんに自分が言ってることを信じてほしい私は、ありったけの思いを込めて説明をした。
この言葉のどこにも嘘なんてない。私は絵美ちゃんに嫌われたくないし、幸せになってほしい。
嘘を吐く理由なんてどこにもない。
「……ごめん。やっぱり無理だよ。私は友里を信じられない」
「そ、そんな……」
それでも絵美ちゃんは私の言ってることを信じてくれず、私を拒絶した。
「友里。……私たちもう終わりだね」
それどころか―――
「絶交しよう」
友達の解消。絶交を言い渡された。
悲しかった。すごい悲しかった。
悲しくて辛くて苦しくて、この世の負の感情が全部ごちゃまぜになったような気分だった。
正直どうやって家に帰ったのかすらよく覚えてない。晩御飯の味もよくわからなかったし、お風呂も入った気がしなかった。それでもどうにか寝るころには気持ちを落ち着けることができた。
月曜日にもう一度説明しよう。もう一回ちゃんと説明した上で私の思いも気持ちも全部伝えて、勘違いを正して謝って、それで元通り。
また毎日放課後に一緒に帰って、何気ないことで笑って、今まで以上に楽しい時間を一緒に過ごす。
それを信じて疑わなかった。当たり前にある日常だと思っていた。当然のように帰ってくるものだと思ってた。
次の日、絵美ちゃんのお母さんから電話で絵美ちゃんが死んだことを聞かされるまでは―――。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
絵美ちゃんがこの世を去ってから十日が経った。
お葬式もお通夜も終わり、最後のお別れを済ませてからの数日間、私は部屋に閉じこもり、心を閉ざしていた。
最低限の食事は取っていたけど、基本的には遮光カーテンを閉じ、電気もつけていない真っ暗な部屋の隅で座り込むか、枕に顔を埋めてひたすらに涙を流していた。
お風呂だとか、枕が涙でぐちゃぐちゃだとかはどうでもよかった。そんなことよりも絵美ちゃんと話がしたかった。
それが叶わないとわかっていたとしても。
「友里……もう大丈夫なの?」
「うん。いつまでもこうしてるわけにもいかないもん」
「……だったら学校は明日からにして今日は休んだら? 目元も少し赤いし、ちゃんと寝れてないんでしょ?」
「大丈夫だよ。お母さんは心配しすぎ」
「そりゃあ心配するわよ。ここ数日の友里を見て母親の私が心配しないはずがないでしょ」
「あはは……それは素直にごめん」
お母さんの言うことはもっともだ。
ここ数日の私はとにかく暗かった。死んだように生きているっていう言葉がぴったりなくらい絶望しきった顔をしていたんだと思う。
だけど、いつまでもこうしているわけにはいかないことくらい私でもわかった。だから今日は学校に行くことにしたんだ。
「ほんと大丈夫だから。気分転換もしたいし、学校行かせて、おねがい」
「……わかったわ。でも無理はしちゃダメよ? 気分が悪くなったら保健室に行くなり早退なりしてきなさい」
「わかってる。それじゃあ行ってきます」
どうにかお母さんのお許しを得た私は、約一週間ぶりに制服に身を包み、学校へ向かう。
久しぶりに浴びた太陽の光は暖かくて気持ちが良かった。
「あっ! 岡野さん!」
「ひさしぶりーっ!」
「授業のノート取っといたよ!」
教室に入ると、クラスメイトの暖かい言葉がたくさん飛んできた。
それが素直に嬉しかった私はその一つ一つに笑顔で答えていく。
「みんな、本当にありがとうね。……あっ」
みんなとのやり取りが一段落したから自分の席にカバンを置こうとすると、あるものが目に入ってきた。
それがあったのは窓際の最後尾にある私の席の一つ前、絵美ちゃんの机の上だった。
綺麗な花が一輪添えられた花瓶が机の真ん中に置かれていた。
「あ、あの……岡野さん。その……大丈夫?」
さっきまで笑顔を向けてきていたクラスメイト達の表情がどっと暗くなる。
わかってた。さっきまでのみんなの笑顔は親友を失った私に対する同情のようなものだって。
それにこの状況が予想できなかったわけじゃない。むしろ当然のことだとすら思う。
「あはは、みんな心配しすぎだよ。それは私だって親友の絵美ちゃんが死んじゃったのは悲しいよ? でも大丈夫だから」
これ以上みんなに心配をかけたくない私は少し無理をしてでも笑顔を作った。
悲しくないわけじゃないし、辛くないわけじゃない。正直今すぐにでも泣きたい気分だ。
でもこれ以上周りの人たちに心配をかけるわけにはいかない。それだけが今の私の原動力だった。
そう。本当は大丈夫なんかじゃない。大丈夫なフリをしているだけだ。
「ほ、ほんと? 無理してない?」
「ほんとほんと。ちゃんと自分なりに折り合いつけてきたんだから」
嘘だ。
そんな簡単に折り合いなんてつくはずがない。
「それならいいんだけど……」
ここまで私が言ってもクラスメイト達はまだ心配した顔で見てくる。
どうしたものかと頭を悩ませるとほとんど同時に救いの鐘が鳴り響いた。
チャイムだ。
「ほら、もう時間だよ。先生来る前に席に戻らないと」
「う、うん……」
笑顔で私が促すと、しぶしぶと言った感じではあったけど、クラスメイト達は各々自分の席に戻っていく。
「ふう……」
みんなには聞こえないように注意しながら息を零す。
どうにか朝は乗り切った。このまま放課後まで頑張ろう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
昼休みになった。
いつもは前の席の絵美ちゃんと一緒にお昼ご飯を食べていたこの時間。でももう絵美ちゃんはいない。
これは一人お昼ご飯かな。なんて思っていると、隣の席の女子が話しかけてきてくれた。
「岡野さん。よかったら一緒にお昼食べない?」
「え? いいの? 邪魔じゃない?」
「そんなことないよ。だから岡野さんさえよければお昼一緒に食べよ」
「うん。こっちからお願いしたいくらいだよ」
「じゃあこっちで一緒に食べよ!」
朝は私の様子を窺っているみたいだったクラスメイト達も、この頃にはいつも通りに戻りつつあった。
完璧に戻ったとはお世辞にも言えないけど、お通夜みたいな状況ではなくなったんだから立派な進歩だと思う。
「それでさー」
「うんうん」
「だよねー」
なんてことない会話をしながら箸を進めていると、一緒に食べていた女の子の一人がおずおずといった様子で私に話しかけてきた。
「あのさ……岡野さん。こんなこと言うのちょっとあれだとは思うんだけど……」
彼女はそう前置きした上で話を切り出した。
「『あの世配達人』?」
「うん。知ってるかな?」
「ううん、知らない。どんな話なの?」
「えっとね、そのまんまなんだけど、あの世に手紙を届けてくれる配達人がいるらしいの」
「死んだ人に手紙を出せるってこと?」
「そうそう。ね? そのまんまでしょ」
彼女が話してくれたのは、この町の都市伝説のような噂話だった。
いつもの私だったらその場の話題としては会話をしても、そのまま興味を持つことはおそらくなかった話だ。
でも今は状況が違う。今の私にとってはとても興味深い話だった。
だって都市伝説や噂話とはいえ、絵美ちゃんと話ができるかもしれないというものだったから。
そんな気持ちが顔に出てしまっていたのか、彼女は少しほっとしたように笑いながら説明を続けてくれる。
「それで手紙の出し方なんだけど、普通に手紙を書いてポストに出すわけじゃないんだ。ちょっと変わったことをしなくちゃいけないの」
「それはそうだよね。普通に手紙を書いたらあの世に届けられたなんて話、信じられないもん」
「だよね。それでそのやり方なんだけど、まず手紙は普通に書いていいんだ。言い残したことでも思い出話でも、本当に内容は自由みたい」
「うんうん」
一言一句聞き逃すまいと彼女の話だけに耳を傾ける。
彼女はそんな私を笑うことなくゆっくりと説明を続けてくれて、他の子たちも茶化すことなく静かにしてくれていた。
「その後は普通に手紙を出す時みたいに封筒に入れるの。そして変わったことをするのはここから」
ここからだ。
ここから先は意地でも聞き逃すわけにはいかない。
「普通ならここで相手の住所と名前を書いて、自分のも書いて、最後に切手を貼るよね? だけど『あの世配達人』に手紙を出すにはこれじゃダメなんだ」
「どうすればいいの?」
「まず相手の名前を書くのはそのままで、住所は『あの世』って書くんだ。死んだ人に届けるからね。次に自分のことは名前だけでいいみたい。それで最後に切手のところには切手じゃなくて相手の顔写真を張るの」
「相手の顔写真? 私の場合は絵美ちゃんの顔写真を貼ればいいってこと?」
「そうそう。でも気を付けてね。その相手以外が写ってたらダメみたいだから」
「私と一緒の写真じゃダメってことだね」
「うん。でも切り抜きとかしていいみたいだから写真さえ用意出来れば何とかなると思うよ」
「そう言うことなら大丈夫。絵美ちゃんとの写真なら家にたくさんあるし、スマホにもいっぱい入ってる」
絵美ちゃんと私は中学からの付き合いだ。
一年生でたまたま一緒になって、席が前後だったっていう理由だけで仲良くなった。
たぶん何でもズバッと言えて行動力のある絵美ちゃんと、色々とうだうだ悩んでしまう私の相性が良かったんだと思う。
それからというもの、私たちは一緒に居ることが多かった。班を作るときはいつでも一緒だったし、放課後や休日に遊びに行くこともたくさんあった。
私のスマホやアルバムには絵美ちゃんとの三年間がたくさん詰まっている。
「それなら大丈夫そうだね。でも当然と言えば当然だよね。二人はあんなに仲良かったんだもん。写真くらいたくさんあるよね」
「あはは……みんなからそんなに仲良く見られてたんだ、私たち」
「そりゃあそうだよ。いつも一緒だったもん」
みんなに私と絵美ちゃんがそういう風に見られていたことを嬉しく思いながらも少し照れくさくも思っていると、彼女はフッっと表情を暗くする。
どうしたのかと声をかけようとすると、彼女の方からポツポツと語り始めてくれた。
「実はね、私もこれ試してみたことがあるんだ」
「え!? そうなの!? 」
まさかの話についつい前のめりになってしまう。
そんな私に彼女は寂しい笑顔を見せながら話を続けてくれた。
「私も大切な子を失って塞ぎこんでた時期があったんだ。その時に私も今の岡野さんみたいにクラスメイトにこの話を聞いて試してみたの」
「ど、どうだったの……?」
「私の手紙が届いたのかどうかはわからない。返事はなかったから。でも、届いてたらいいなって思うよ」
「そっか……わからないんだ……」
「ああ……でも私の場合は少し特殊だから」
「特殊?」
しょんぼりとしていた私を見て、彼女が気を遣ったように補足を加えてきた。
「私の場合は相手が人じゃなかったの。私が手紙を出したのは飼ってたペットだから。だからもしかしたら岡野さんにはなにかがわかるかもね」
その言葉は救いであると同時に、不安をあおる言葉でもあった。
返事が来ないことが最初からわかっていれば単なる噂話みたいなものだし当然だよね。と、諦めもつく。
でも、返事が来るかもと一度でも思ってしまえば、帰ってこない=届かなかった。という風に考えてしまうから。
でも―――
「ありがとう。帰ったら早速試してみるよ」
可能性を否定するにはまだ早いから。
私はそう信じて希望に縋ってみることにする。
絵美ちゃんに謝れるチャンスがあるのなら、私はそのチャンスを掴みたいから。
「まって、岡野さん。まだもう少し続きがあるの!」
「続き? まだほかにもあるの?」
「うん、これで本当に最後。手紙の出し方ついてだよ」
「聞かせて。お願い」
それから私は最後まで『あの世配達人』への手紙の出し方を聞いて、徹底的に頭に叩き込んだ。
しかも嬉しいことに、話を聞かせてくれた彼女は『あの世配達人』への手紙の出し方の手順を書いたメモをわざわざ授業中に用意してくれていたみたいで、それを私にくれた。
「手紙、届くといいね」
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴っているときに掛けてくれた彼女の言葉を、私は忘れることはないだろう。
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「よしっ! できた!」
午後の授業を終えて、学校帰りに便箋と封筒などの必要なものを買って帰った私は、家に着くなり自室の勉強机に向かい便箋を広げてペンを握った。
あーでもない、こーでもない、これじゃあ言いたいことが全部言いきれてないと悪戦苦闘しながらも、納得のいく手紙を書くことができた。
「えーっと、もらったメモメモ……」
手紙を書き終えた私は学校カバンからもらったメモを取り出す。
「結局三枚になっちゃったけど、枚数制限とか書いてないし、封筒に入れば大丈夫だよね?」
一枚にまとまりきらなかった絵美ちゃんへの手紙を教えてもらった通りに封筒に入れ、相手の名前、つまりは絵美ちゃんの名前を記入する。それから裏面に私の名前だけを書いて―――。
「あとは絵美ちゃんの写真を切手の部分に貼れば準備はオッケー。写真、どれにしようかな」
一旦手紙の入った封筒を机の上に置き、押し入れの中にあるアルバムを取り出す。
アルバムの中には少し前まで当たり前の様にあった絵美ちゃんの笑顔がたくさんあって、少し泣きそうになった。
涙をこらえて絵美ちゃんが一番いい笑顔で笑っている写真を探す。
これじゃない、これでもないと探すこと一時間。ようやく納得のいく写真を選ぶことができた。
「ふふっ。なつかしいな……」
選んだのは高校受験を二人とも受かったときの写真。
せっかくこんなに仲良くなれたのに離れ離れは嫌だと言っていた私たちにとって、約束された高校の三年間はとても価値のあるものだった。
絵美ちゃんの隣にもちろんは私も写っていて、お世辞抜きに二人とも良い笑顔だと思う。
「はさみ、はさみ」
机からはさみを持ってきて、データはスマホの中に残っているので問題ないはずなのに、少しもったいないなんて思いながら絵美ちゃんの顔の部分だけを切り取っていく。
「これでいいのかな? ……大丈夫だよね」
少し不安に想いながらも絵美ちゃんの顔写真を手にした私は改めて勉強机に向かいなおる。
「これを切手の部分に貼って……完成!」
完成した。
教えてもらった通りに手紙の入った封筒を仕上げることができた。
クラスメイトの彼女はわざわざイラストまで描いてわかりやすくしてくれていたので間違いはないだろう。
もし間違いがあっても何度でもやり直せばいいだけの話だ。
「あとは時間まで待つだけか。……うっかり寝ちゃったりしないように気をつけないと」
手紙を完成させたからと言って安心してはいけない。
彼女が最後に教えてくれた手紙の出し方がまだ残ってる。
「午前零時ちょうどに手紙を燃やしながら祈る……か」
『あの世配達人』への手紙の出し方は今言った通りだ。
夜の零時に相手のことを思いながら書いた手紙を封筒ごと燃やす。ただそれだけ。
でも少しでも時間がズレるとダメらしいので、気を抜くわけにはいかない。
うっかり寝ちゃったり、時間を逃したりしたら明日まで待つことになる。
できるだけ早く絵美ちゃんへこの思いを届けたい私には致命的だ。
「時間はまだあるし、今のうちにお風呂とか夕飯済ませちゃおう」
時計を確認すると今の時刻は夜の九時。家に帰ってきてから思ったより時間が経っていた。
それでも手紙を燃やすまでには三時間もある。やるべきことは済ませておいた方がいいだろう。
お風呂に入り、少し遅めの夕食を取り、部屋に戻る。
部屋に戻った後も時間を気にしながらそわそわとしていたら、あっという間にその時がやって来た。
「時間だ……」
深夜零時五分前。私は必要なものを持って自室のベランダに出た。
「封筒よし、中身も大丈夫。絵美ちゃんの名前は書いてあるし、私の名前も書いた。絵美ちゃんの顔写真も貼った。ライターも百金で買ってきたし、もしもの時の水も用意した」
念のための最終確認をてきぱきと済ませ、スマホのアラームをチェックする。
あと三分。あと三分経ったら私はこの手紙をライターで燃やす。絵美ちゃんとの思い出を振り返り、絵美ちゃんの声を思い出し、絵美ちゃんの姿を思い浮かべながら火を着ける。
もしもの時の火消しも用意してあるし、準備は万端だ。
ピピピピピピピ
そしてついにその時間がやって来た。
深夜ということもあって素早くスマホのアラームを止めて、急いで封筒とライターに持ち変える。
火傷をしないように注意をしつつライターに火をつけ、そっと手紙の入った封筒に火を近づける。
「絵美ちゃん……」
そしてありったけの思いを胸に、私は封筒に火をつけた。
少しでもこの手紙に気持ちを込めたくてギリギリまで握り続ける。それでも限界はやってきて、封筒が残り四分の一ほどになったところで私はたまらずに手を放した。
それでも私は祈ることを止めない。少なくとも火が消えてしまうまでは祈っていたい。
「おねがい……届いて……」
流れ星も流れていないのに願い事を口にする。
でもそんなことどうでもよかった。流れ星じゃなくても絵美ちゃんにこの手紙を届けてくれるならだれでもよかったんだ。
そうこうしているうちに完全に手紙は燃えきってしまった。残ったのは少量の真っ黒な灰のみ。
その灰に大丈夫だと想いながらも、もしもを考えて水をかけておく。
「……」
燃え尽きた手紙の残骸を眺めながら切に願う。
もう一度だけでいい。何回もなんてわがままは言わない。返事だってなくていい。だからどうか
―――あの日のことだけは謝らせてほしいと。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「結。見てみな、久しぶりに手紙が来たよ」
「わかった。今行く」
おばあちゃんに呼ばれた私は、縁側から立ち上がり居間に戻る。
「ほれ、これだよ。今回は女の子みたいだね。どんな手紙なんだろうね。どれだけの気持ちが詰まっているんだろうね。どれだけの思いが籠もってるんだろうね」
優しい声音で話すおばあちゃんから封筒を受け取り、眺める。
可愛らしい封筒だった。字も丁寧だし封も綺麗に留めてある。相手の写真もとてもいい笑顔で写っている。これだけでもこの手紙を書いた人の思いが伝わってきそうだった。
「どうだい結。今回は届けられそうかい?」
「まだわからない」
「そうかい。……今回は届けられるといいね」
「うん」
返事をしながら隣の部屋に目を向ける。
私に釣られるようにおばあちゃんもそちらに目を向けた。
「できることなら、あの子たちも届けてあげたいものだね……」
「そうね」
目を向けた先には部屋からあふれ出しそうなほどたくさんの手紙が積み重なっている。
ここに送られてきたはいいものの、行く先にたどり着くどころかスタートすらさせてもらえなかった可哀そうな手紙たち。
帰る場所も行き先もなくし、ここに留まるしかなくなった、思いや気持ちの成れの果て。
「でも……できない」
「……悲しいね。あの子たちにだって大切な思いや気持ち、願いがこもってるっていうのに。優劣なんてありはしないのにね」
「うん。でもこれがルールだから」
私たち、『あの世配達人』にはいくつかのルールがある。
一つ.特定の人物に肩入れしてはならない。
二つ.差出人、受取人と必要以上の接触をしてはならない。
三つ.いかなる理由があろうとも私情を挟んではいけない。
この三つが私たち『あの世配達人』のルールだ。
誰が作ったかわからない。いつからあったのかもわからない。けど破ったらどうなるのかわからない以上、ルールを破るわけにはいかない。
だって。
「もしものことがあって私がいなくなったら誰も手紙を届けられない。それだけはダメ」
「ふふっ。そうだね。結だけが頼りだものね」
だってここに配達人は一人しかいない。
私以外に配達人はいないのだ。
なんで手紙を届けなくちゃダメだと思うのか自分でもわからない。ただ絶対に手紙を届けられないのはダメだと本能が言っている。
「私も結みたいにできればいいんだけどね。そうだったら私がルールを破ってみるのにねえ」
「できないものはしょうがない」
「そうだねえ。できないんじゃどうしようもないものねえ。ないものねだりをしても仕方ない」
少し寂しそうに笑うおばあちゃん。
でも私はなんて言葉をかけたらいいのかわからなかった。
心配すればいいのだろうか? 慰めればいいのだろうか? それとももっと他にするべきことがあるのか? わからない。
結局最後までわからなかった私は、逃げるように縁側の方へ手紙の入った封筒を持ったまま戻っていく。
「おや、もう行くのかい? 仕事熱心だねえ」
「別にそういうわけじゃない」
「ん? でも行くんだろう?」
「うん。行ってくる」
「気を付けるんだよ」
「大丈夫」
それだけの短いやり取りをおばあちゃんと交わしたあと、私は縁側にあった自分の靴を履いて、目の前にぽつんとあるドアへと向かっていく。
「行ってきます」
「はいはい。行ってらっしゃい」
最後にもう一度だけ行ってきますを言ってから、ゆっくりとドアノブを回す。
すんなりとドアは開き、中は真っ白な空間。その異質な空間へと私は進んでいく。
「人の考えてることはわからない」
そんなつぶやきを漏らしながら。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
私たち『あの世配達人』の仕事は、生きている人間である生者から送られてきた手紙をあの世にいる人間、いわゆる死者に届けること。
ただその前にも少しだけ手順がある。それは差出人の思いの強さを確認すること。
私たちはなにも思い通りにあの世に出入りができるわけじゃない。普段私とおばあちゃんがいるあの場所とこの世はドアを通れば簡単に行き来できるけど、あの世へ行くのには必要なものがある。それが『思い』。
あの世へ行くには差出人の強い思いが必要になる。
その思いを確認し、受け取るために私はここに来た。
「……いた」
この世に来てからすぐに手紙の差出人を見つけ出した。
手紙に込められた思いを辿って探す都合上、思いの弱い差出人は見つけにくいのに彼女はすんなり見つかった。
岡野友里。それが今回の差出人の名前。
「岡野さん。手紙は出せた?」
「うん。教えてもらった通りにやってみたよ。なにも起こらなかったけどね」
「そっか……残念だね」
「そんなことないよ。まだわからないし、気長に待ってみる」
彼女は学校の友達らしき人たちと三人で町中を歩いている。
その顔は笑顔で、とてもつい最近に大切な人を失ったとは思えないほどのものだ。
「……」
手紙に込められた思いは人一倍強かった。けれど今はまるでなにごともなかったように笑顔で歩いている。
『あの世配達人』という仕事の都合で、人の思いを敏感に感じ取れる私からしたら意味がわからなかった。本当に彼女があの手紙を書いたのだろうか。
「決めつけは良くない」
勝手な決めつけはこの仕事の上でいいことではない。
ルールに抵触してしまう可能性があるし、正しい判断をできなくさせるから。
だから私はこの世の人からは姿が見えないことを利用して彼女たちの数歩後ろを歩き、彼女を観察することにした。
「それじゃあね、岡野さん」
「うん。また明日学校でね」
少し歩くと彼女は友達と別れて一人になった。
その瞬間、彼女の顔にさっきまでとはまるで違う顔が出てくる。
「……はあ~」
彼女は大きなため息を零すと、そのまま歩き出した。
ただその足取りはさっきより重いように感じる。
「何言ってるんだろうなあ、私。残念じゃないわけないのに……」
それは、注意していなければ聞き逃してしまうほど小さな独り言。
姿が見えないことをいいことに、彼女が友達と別れてからその隣を歩いていた私でなければ聞こえるはずのない小さなつぶやき。
「絵美ちゃんから返事があった方がいいに決まってるよ。返事がもらえなくても、せめて私の思いが届いたのかどうかわかればいいのに……」
愚痴にようにも聞こえる彼女の本音。
本来なら誰も聞くことのできないはずの彼女の本心。これが私が聞きたかったもの。
「そうだ! 気休めかもしれないけど神社で神様にもお願いしていこう!」
急に大きな声を出した彼女は、来た道を少し引き返してさっきとは違う道を行く。
大人しく私もそれに従い彼女の隣を歩くこと数分、彼女はやってきた神社の賽銭箱に五円を投げて両手を合わせていた。
「お願いします。どうか私の手紙を絵美ちゃんに届けてください」
さっきまでもすごく感じていた彼女の思いがひときわ強くなる。
少なくとも私が『あの世配達人』なんてものになってから、こんなに強い思いを感じたことはない。
「やっぱり手紙を書いたのは彼女」
これだけ強い思いを感じさせられたら疑う余地もない。
あの強い思いの籠もった手紙を書いたのは間違いなく彼女。
「あー、ダメだなー……。絵美ちゃんのことをゆっくり考えるとすぐに涙が出てきちゃう。学校じゃ気をつけないと。みんなにまた心配されちゃう」
合わせていた両手を離し、涙の零れた瞳を拭きながら彼女は虚勢を張っていた。
「……他の人のために無理して笑ってた?」
ここにきてようやく私はさっきの彼女の笑顔の真相を知った。
自分も辛いはずなのに、彼女は友達を心配させないために笑顔の仮面を張り付けていたのだ。
「もう帰ろう。お母さんに心配されちゃう」
涙が止まったらしい彼女は、少し物足りなさそうに賽銭箱の方を眺めてから神社を後にする。
遅れることなく私もその後に続いた。
「明日も来ようかな。何もしないのも落ち着かないしね」
帰り道に彼女はそんなことを口にしていた。
もしかしてこれから毎日通うつもりなんだろうか? 届くかもわからない手紙の為に、もう二度と話すことのできない友人の為に、ここに来るのだろうか。
「うん。そうしよう。少なくとも四十九日が終わるくらいまでは続けようかな」
実は『あの世配達人』が死者に手紙を届けられるのにも期限がある。それが今彼女の言った四十九日だ。
死者は四十九日を過ぎると徐々に魂を洗われて個を失っていく。そうなってしまうと、いくらあの世に行くことができても受取人を探すことができなくなってしまう。
受取人の江藤絵美が死んでから既に十一日が経過している。日にち的には十分に余裕があるけど、早い方が受取人は探しやすい。
「これなら大丈夫そう」
ここまでの彼女を見ていると、問題なくあの世への扉を開くことができそうだ。
私は半ば成功を確信しながら、その時が来るのを彼女の傍で待つことにした。
時間が少し過ぎて―――その時が来た。
私たち『あの世配達人』には、一日の内に現実に干渉できる時間、実体化できる時間がある。
その時間は夕方の五時から翌朝の五時まで。夕方は逢魔時といって、不思議な力が一番発生しやすいらしい。その時刻から少しずつ月の神秘の力が強くなっていき、月が姿を隠す夜明けまでが私の主な活動時間だ。
「ねえ」
ようやく実体化のできた私は、夕日の差し込む部屋のベッドで横になっている彼女に、満を持して声をかけた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ねえ」
話しかけてきた女の子に私は戸惑いを隠せない。
普通に街中で声をかけられたのならわかるし、学校で声をかけられたんだとしても状況は理解できる。
でも誰もいなかったはずの私の部屋に、まるで最初からそこにいたとばかりに女の子が現れたら驚くに決まってる。
「……え?」
あまりの出来事に言葉を失っていると、目の前に突然現れた彼女はなんで私がこんなにも驚いているのかわからないというような無表情で私を見つめてくる。
その瞳は本当にきれいで、ふとした瞬間に吸い込まれてしまうんじゃないかというほど澄んでいる。
髪は腰まで届く綺麗で長い黒。服装は袴。身長は私より少し低い中学生くらいの身長。身体のパーツすべてがきめ細やかでお人形みたいな女の子だ。
そんな町中に歩いていれば何かのコスプレなのかと疑ってしまうような女の子が私の部屋に突然現れた。
「あ、あなたは誰……どこから入って来たの……?」
悪意のようなものを感じなかったので、とりあえず質問を投げかける。
その質問に彼女は無表情のまま淡々とした口調で答えた。
「私は『あの世配達人』。名前は結。ここにはあなたと一緒に入ってきた」
部屋の入り口の方を指さす彼女。
でも私にそんな記憶はない。私は一人で家に帰ってきて、一人で部屋に入ったはずだ。
いや、今はそんなことどうでもいい。彼女の言葉の中には私がもっとに気にするべき言葉があったから。
「あなたが……『あの世配達人』なの?」
「そう言った」
信じられない。
いたらいいな。くらいの気持ちだった『あの世配達人』が今目の前にいる。
しかもそれが少し変わった格好をしているけど、普通の女の子だなんて……。
「確認したい。貴女の名前は岡野友里。届け先は江藤絵美。間違いはない?」
「え……? う、うん。両方とも合ってるけど……」
「そう。じゃあ手紙を届けたいという気持ちに変わりはない?」
「も、もちろん。変わるはずがないよ」
「わかった」
こっちが困惑しているのにまるで気づいていない様子で、こちらを置いてけぼりにしたまま、自分のしたい質問をいくつ投げかけてくる『あの世配達人』の彼女。
こんな状況で普通に答えちゃってる私も対外だとは思うけど……。
「なら、これからあなたの手紙を届けに行く」
そう宣言した彼女はポケットから一枚の封筒を取り出した。
それは昨日私が書いて燃やしたものだった。絵美ちゃんの名前が書いてあって、顔写真も貼ってあるから間違いない。
ちゃんと燃やしたはずの手紙が、燃え尽きたはずの手紙が、たったいま彼女の手の中にある。
そんなものを見せられたら、もう信じるほかなかった。
「本当に『あの世配達人』なんだね……」
「さっきそう言った」
「うん。そうだよね。ごめんね。でも―――」
ダメ。これはダメ。もう堪えられない……。
「ちゃんといてくれたんだ……私の手紙……届けてもらえるんだ」
気がつけば私は大粒の涙を流していた。
ありえないと思っていたことが現実になって、私の思いや気持ちを届けることができるとわかって、どうしようもなくうれしくなってしまった。
「なんで泣いてるの? ちゃんとあなたの手紙届けるのに」
なんで私が泣いてるのか本当にわからないと言った顔で彼女は私を見ていた。
ちょっと失礼だけど、こんな仕事をしてるのに人の感情に鈍いのかな? なんて思いながら目元をぬぐう。
そして私は誠心誠意お願いした。
「お願いです。私の気持ちが籠もった手紙を親友の絵美ちゃんに届けてください!」
思いっきり頭を下げた。
それくらいしか今の私にできることがなかったから。
「さっきから届けるって言ってる」
「そうだね。でも、言いたかったの。私の手紙を届けてくれるあなたにちゃんと言葉で伝えたかったの」
私の言葉の意味がわからないのか、彼女はこてんと小首を傾げた。
そんな仕草が可愛くって、つい微笑んでしまう。でも彼女からしたら今度はなんで私が笑ったのかわからなかったらしくて、さらに小首をかしげていた。
そして考えるのを諦めたのか、彼女は私に背を向けてしまった。
「早く扉を開いて」
「扉?」
言っている意味がわからずにオウム返しすると、彼女はこちらを振り返らぬまま説明してくれた。
「私たちは自分であの世に行くことができない」
「え!? それじゃあどうやって絵美ちゃんに手紙を届けてくれるの!?」
「さっき言った。あなたがあの世への扉を開いて」
「む、無理だよ! 私そんなことできないよ!」
「できる。手紙を届けたい相手のことを強く思う。それだけでいい」
「……わかった。やってみるよ」
正直彼女の言っている意味がわからない。
絵美ちゃんのことを強く思うだけであの世への扉が開くと言われたって、わけがわかるはずない。
でも―――やるしかない。
そうしないと絵美ちゃんに手紙を届けられないなら、私に選択肢なんてないのだ。
「絵美ちゃん……」
絵美ちゃんの名前を呼びながら目をつむり、両手を胸の前で合わせた。
「絵美ちゃん……絵美ちゃん……絵美ちゃん」
何度も何度も絵美ちゃんの名前を呼ぶ。
返事があるはずもないのに、何度も何度も未練がましく絵美ちゃんの名前を口にする。
あの日のことを謝りたい。今までのお礼を言いたい。私の気持ちを全部伝えたい。
私の中にあるたくさんの思いを、絵美ちゃんという名前に込めて何度も何度も。
「もういい」
「え……?」
彼女からもういいと言われたので目を開ける。
そこにはさっきまでなかったはずの白く大きな扉がぽつんと一つできていた。
「な、なにこれ……」
呆然としている私を気にかけることなく、目の前に突然現れた扉についても一切触れず、彼女は扉に向けて歩き出した。
そのまま何も言わずに白く大きな扉を開け放つ。
そこには長い長い階段があった。見える部分からじゃ天井も出口も見えないほど長い階段だ。
「それじゃあ、行ってくる」
「ちょ、ちょっと待って!」
私の静止の声を聞かずに彼女はその扉をくぐった。
その瞬間に扉は光を放ちながら姿を消していく。これでもう私は追いかけることすらできなくなった。
「お願いします。『あの世配達人』さん」
もう何もできなくなってしまった私は、せめてこれくらいはとベランダに出て、暗くなり始めた空を見上げながら少しの間お祈りをすることにした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
終わりの見えない白く長い長い階段を一段ずつ上る。
景色が変わることはない。ただ真っ白な壁が続いているだけ。
そんな代わり映えのない空間をただただ進んでいく。
「……」
いったいどれくらい歩いただろうか。
ただ繰り返し階段を上るという作業を続けて結構な時間が経過した。
でも、それももう終わり。
「……見えた」
少し先に大きな白い扉が見えた。
あれが私の目指していた場所。今回の小旅行の目的地。
すなわち、あの世。
「着いた」
階段を上り終え、ようやく大きな白い扉の目の前までやって来た。
何となく扉の一番上までを眺めてから扉を両手で押し開ける。
ギギィ。と、少し甲高い音を立てながら開いた扉の先は、どこまで広がっている真っ白な空間。
ここには私以外にもたくさんの人がいる。
正確に言えば、天国へ行くか地獄へ行くかの判決を待っている死人たちの魂が、だけど。
「あいかわらず数が多い」
ここから見渡すだけでもかなりの魂が確認できる。
この中から目的のたった一人を見つけ出すのは至難の業だ。
しかもすべての魂が白い球体をしているため、個人を特定するためには一人一人に話しかけて確認する必要がある。
その間に向こうに動かれてしまえばこちらにはわからないので、下手をすれば永遠に見つけられない。
その問題を解決するために、私はポケットから預かってきた手紙の入った封筒を取り出す。
「おねがい。案内して」
私がそう言うと、封筒から一本の光の糸が出てきて、どこかへ向かって伸びていく。
「ありがとう」
お礼の言葉を口にしつつ、私はその光の糸を辿るように歩き始めた。
封筒から出ている光の糸は、手紙の差出人である岡野友里の思い。
さっきも説明した通り、同じ姿をした数いる魂の中から特定の一人を見つけ出すのは非常に困難。そのための案内役としてどうしても彼女の思いが必要だった。
彼女の思いが、この無数にいる魂の中から江藤絵美を見つける唯一の手段。
光の糸の先に受取人の江藤絵美がいる。
「ほんとうに強い思い……」
『あの世配達人』は仕事の上でどうしても差出人の強い思いを必要とする。
一つはあの世への扉を開いてもらうため、もう一つは今行っているようにあの世に来てから受け取りの元へ案内してもらうため。
ただこの場所は本当に広い。だから入り口からでは差出人の思いが足りず、光の糸が出ないことが多い。
そのためいろいろと適当に歩き回って、光の糸が出てきたらそれを辿るというのが一般的な行動パターンだ。
それなのにこの封筒からは既に強い光を放った糸が伸びている。それは差出人である岡野友里の思いの強さの証拠に他ならない。
ただもう一つ最初から光の糸が伸びる可能性がある。それは単純に入り口付近に受取人がいるパターンだ。
ここで勘違いしてほしくないのは、受取人の江藤絵美が近くにいるから光の糸が伸びているのであれば、差出人の岡野友里の思いは対して強くないと思われること。
その考えは間違っている。なぜなら封筒から出ている光の糸がすごく太いから。
光の糸は長く伸び、糸が太ければ太いほど差出人の思いが強いことになる。
だけどこの糸は私が今までに見たことないくらいに糸が太い。それだけで彼女の思いの強さは十分に証明されている。
「これならすぐ見つかりそう」
入り口の時点で既に伸びた光の糸。その光の糸の太さを見てそう呟いたものの、実際には結構な時間をかけて真っ白な空間を歩くことになった。
既に一時間近く私はもうこの場所を歩いている。
「……」
ここまでくると言葉は何も出てこない。
だってこんなに強い思いを私は見たことがない。
元から岡野友里の思いが強いことは知っていたけど、これは予想外どころではない。規格外だ。
「思いが強すぎる……」
さらに驚くことに、受取人である江藤絵美に近づくほど封筒から伸びる光の糸が太くなっていく。
最初は少し太いケーブルくらいの太さだった光の糸は、指一本分くらいの太さまで太くなっていた。
「……みつけた」
封筒から出る光の糸と、それが証明している岡野友里の思いの強さに少し驚いていると、光の糸の終着点が見えてきた。
あそこにいる魂こそが岡野友里の手紙の受取人、江藤絵美。
「江藤絵美」
目的の人物のすぐ背後まで来た私は彼女の名前を呼ぶ。
すると彼女は「え?」と口にしながらこちらを振り返った。それと同時に白い球体から元の人間だったころの姿へと形を変えていく。
私より頭二つ分くらい高い身長。髪はポニーテールの黒い長髪。姿は運動が好きそうな健康的な体形。服は岡野友里が来ていた制服と同じ。顔も封筒に貼ってある江藤絵美の写真と特徴が一致している。
「あ、あなた誰……? どうして私の名前知ってるの?」
「私は『あの世配達人』。あなたへの手紙を届けに来た。あなたの名前はここに書いてある」
名前を知っている証拠として岡野友里の手紙を江藤絵美に見せる。
「なにこれ……え? これって友里の字……それに私の写真まで……」
「これで信じてもらえた?」
「信じろって言われても……」
「じゃあどうやったら信じてくれるの?」
「それは……」
「あなたの名前を私は知っている。あなたの写真を持っている。あなたへの手紙にはあなたの親友の字が書いてある。これ以外に何が必要?」
別に江藤絵美の反応は特別なものではない。
今まで何通もここに手紙を届けに来た私だけど、みんな似た反応をした。でも勘違いしちゃいけない。私の仕事は手紙を届けること。私や私の仕事についてを信じさせることは私の仕事ではない。
信じるも信じないも彼女の勝手だ。私はちゃんと岡野友里の手紙を江藤絵美に届けたのだから。
「……ねえ、これは本当に友里が書いた手紙なの?」
「さっきからそう言ってる。あなたもさっき友里の字だと言っていた」
「そう……だね。この字は友里の字だし、この写真は友里と私しか持ってない。なら、これは友里からの手紙だ」
「信じた?」
「うん。信じたって言うよりは信じたいって感じだけど」
「そう。なら手紙を読む前に説明を聞いて」
私の仕事は手紙を届けることだけど、渡してそれで終わりというわけでない。
もう少しだけ私の仕事は続く。
「まず私はあなたに岡野友里の手紙を届けた。これはいい?」
「うん。ちゃんと受け取ったよ」
江藤絵美は手紙の入った封筒をひらひらとチラつかせる。
「その手紙を読んで、もしあなたが岡野友里に返事を出したい場合、このベルで私を呼んで」
私は小さなベルを取り出して江藤絵美に渡した。
「そのベルを鳴らしてくれれば私はすぐにここに来る。でも注意も必要。このベルはあなたが私を呼びたいと思いながら鳴らさないと、私にベルの音が届かない」
「わかった。あなたのことを考えながら鳴らせばいいんだね」
「そう。それともう一つ。私があなたから手紙を受け取れるのはあなたがここにいる間だけ。あなたの魂が洗われてしまうまでの約一か月が期限」
「それをすぎちゃったら……?」
「諦めてもらうしかない」
私の説明を聞いた江藤絵美は難しい顔をした。
そんなに難しい話をしただろうか?
「わかった。すぐに手紙読んですぐに返事を書く」
「そう」
「うん。だから絶対に私の手紙を友里に届けてね」
「あなたが期限までに手紙を渡してくれるなら」
「それなら絶対に大丈夫。死んでも書く……って、もう死んでるのか」
江藤絵美は寂しそうに笑った。
何がそんなに悲しいのだろう? 死んだことがだろうか? 死んだことだとしたら何が悲しいのだろう? 人はいずれ死ぬものだし、それが早いか遅いかの差しかないはずだ。
「それじゃあ私はもう行く」
「そっか、じゃあまた後でね」
また後でね、と言われても、私はなんと返していいのかわからない。だから私は無言のまま彼女に背を向けてこの場を去ることにした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ただいま」
「おや、結。おかえり。こんなに時間がかかったってことは今回は成功したのかい?」
「うん。今回はもう一仕事ありそう」
「あらあら、今回は返事も届けるのかい。久しぶりの大仕事だね」
あの世からここに戻ってきた私は、おばあちゃんに簡単に今回の仕事について話した。
「そうかいそうかい。今回のお客さんは二人ともすごい思いの持ち主なんだね」
「そうみたい」
「お互いの思いがちゃんと伝わるといいね」
「うん」
それからしばらくの間、私はおばあちゃんとお茶を飲みながらゆっくりとした時間を過ごした。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「さて、早速読んでみよう!」
『あの世配達人』とかいう女の子が帰って早々に、私は受け取った封筒から手紙を取り出した。
はやる気持ちを抑え、破けないように細心の注意をしながら手紙を広げていく。封筒の中身は友里の好きそうな可愛い系の便箋だった。
そこに書かれている大好きな親友の文字を、思いを読み上げていく。
『絵美ちゃんへ
こんにちわ! は、おかしいのかな? でもおはようなのかこんばんわなのかもわからないから、やっぱりこんにちわ! ……あの世って朝とか昼とかあるのかな?
そんなことより、ねえ絵美ちゃん。私の手紙届いてるかな? ちゃんと『あの世配達人』さんが届けてくれたかな? わからないから届けてくれたって前提で話すね。
あのね、絵美ちゃん。もう難しいかもしれないけど、無理かもしれないけど、私は絵美ちゃんと仲直りしたい。ケンカしたままお別れなんて絶対に嫌だ。
だからもう一度だけちゃんとあの日のことを説明させて! ちゃんと私の話を聞いて! それを聞いて、それでも私を許せないならそれでもいい。でも、せめて一回だけちゃんと話を聞いてほしい!
あの日、私は確かに絵美ちゃんが好きな大野くんに告白されたよ。おふざけとか罰ゲームとかじゃない、気持ちの込った告白をされたよ。
でも、私は断った。
絵美ちゃんが大野くんを好きだったからじゃないよ? ただ単純に私が大野くんをそういう相手として、恋愛の対象として見れなかっただけ。
もちろん大野くんを悪い人だとは思ってないよ。クラスの女子の間でも結構人気だし、絵美ちゃんから聞いた話でも悪い人だなんて思ったことないもん。
あとね、仮にだけど、私がもし大野くんのことを好きだったとしても、やっぱり告白は断ってたと思う。さっきは絵美ちゃんが大野くんのことを好きなの知ってるからじゃないって言ったけど、やっぱり少しはそうかもしれない。だって仮に私が大野くんのことが好きだったとしても、絵美ちゃんの好きより強い思いだなんて思えないもん。
私ね、絵美ちゃんは大野くんの話をしてるときが一番楽しそうだなって思うの。私は絵美ちゃんみたいに本気の恋をしたことがないから羨ましいとも思った。ちょっと大野くんに嫉妬もしたかな……。
と、とにかくね! 私は絵美ちゃんに気を遣ってとか、絵美ちゃんの為に自分を犠牲にしてとかって思いで大野くんの告白を断ったわけじゃないの。
私なんかより絵美ちゃんの方が大野くんに相応しいって言うか、お似合いだなって思ったし、私自身も大野くんとそういう関係になる気がなかったから断ったの!
お願い! 信じて! 私、こんなことで絵美ちゃんに嘘ついたりしないよ?』
「わかってたよ……そんなの……」
一枚目の手紙を読み終え、本人には聞こえるはずもないのに友里の手紙の内容に返事をする。
本当はわかってた。
友里がそんな酷いことをする子じゃないってことは私が一番知ってた。いつも私が大野くんのことを話するときに笑顔で聞いてくれて、協力するよって応援までしてくれて、相談にも乗ってくれて、こんなに優しい友里が私を傷つけるようなことをするはずがないってわかってた。
それでもあんな態度を取ってしまったのは、私の醜い部分のせいだ。
違う。そんなはずないと思いながらも、心のどこかで友里のことを疑って嫉妬してしまったせいだ。私の大好きな人に告白された友里を羨ましく思ってしまったせいだ。
そんな醜い感情の数々が私の気持ちをかき乱して、動転させて、心にもないことを口にさせた。
「仲直りしたいのは私だって同じだよ」
仲直りしたいと言ってくれた友里の優しさに甘えて、私は二枚目の手紙に目を通す。
『ここからはクラスのみんなや絵美ちゃんの家族の話をするね。
まずは絵美ちゃんが一番聞きたくて嬉しいと思うはずのことから話すね。
絵美ちゃんが死んだ後のお葬式でね、大野くんちょっと泣いてたよ。あんまり話したことないけど、やっぱりクラスメイトが死ぬのってヤだなって泣いてたよ。他の男子は悲しい顔はしてたけど泣いてなかったのに、大野くんは泣いてた。
もちろん女子はみんな泣いてたよ。絵美ちゃんはクラスの中心だったからみんないっぱい泣いてた。私も……たくさん泣いたよ。
ごめん。今は私の話じゃなくてクラスのみんなや絵美ちゃんの家族の話だよね!
学校ではね、みんな絵美ちゃんの机の上にある花瓶の水替えを積極的にやってくれてるよ! 来月の月命日にはクラスの何人かでお墓参りに行こうって話も出てるんだ! 私ももちろん参加予定!
次は絵美ちゃんの家族の話ね!
絵美ちゃんのお父さんとお母さんは元気だよ! 絵美ちゃんが死んじゃってから少しの間はやっぱり落ち込んでたけど、今では少しずつ元気になってきてるってうちのお母さんが言ってた。
あと絵美ちゃんの部屋はそのまま残してくれるって言ってたよ。夏のお盆に絵美ちゃんが家に帰って来た時に自分の部屋が無くなってたら困っちゃうだろうからだって。優しいお母さんとお父さんだよね。
これもお母さんから聞いた話なんだけど、絵美ちゃんのお母さん絵美ちゃんが死んじゃってからも三人分のご飯を作ってるんだって。間違って作っちゃってるとかじゃないよ? 死んじゃっても絵美ちゃんは家族だからって作ってくれてるんだよ? 絶対に勘違いしちゃダメだよ!』
「ははっ。勘違いなんてしないよ。自分のお母さんとお父さんだもん……」
もう何日も顔を見てないけど簡単に思い出せる両親の顔。
怒ると怖いけど普段は優しい顔のお母さん。いつもニコニコと私を見守ってくれていたお父さん。
いくら感謝してもしきれない。それなのに私は両親より先に死んでしまうという一番の親不孝をしてしまった。
言いたいことはたくさんある。ここまで育ててくれてありがとうとか、ひどいこと言っちゃってごめんなさいとか、生まれ変わったらまた二人の子供になりたいとか、数え切れえないほどたくさんの言いたい言葉があった。
それをもう伝えることはできない。それどころか二人の顔を最後に一度でも見ることができない。
最後にもう一度くらいはお母さんとお父さんの顔をみたかった。またいつもの笑顔を見せてほしかった。それがもう叶わないとわかっていても願わずにはいられない。
お母さんとお父さんは私を産んで幸せだったかな? 一緒に暮らせて幸せだったかな?
その答えはもう聞くことはできない。でも二人が私が死んだ後も私を家族として扱ってくれていることは友里の手紙でわかる。
それだけでも、私は十分に幸せだった。
「ああ……やっぱりダメだ……。泣かないって決めてたのに涙が止まらないや」
自分でも気づかないうちに流れていた涙を手でぬぐい、三枚目の手紙に目を向ける。
手でぬぐっても視界はまだぼんやりしてる。それでも私は三枚目の手紙が早く読みたかった。
「だってきっと、私が一番知りたくて、私が一番読みたい内容は、この先だから……」
一枚目の手紙は喧嘩にしちゃったことに対する説明と謝罪と仲直りの内容。
二枚目の手紙はクラスメイトや私の両親といった私の周りの人たちに関する内容。
だとしたら三枚目には何が書かれているのか。
その答えは、何となく想像できていた。
『書きたいことと書かなきゃいけないこと書いてたらあっという間に二枚も手紙使っちゃった。
それじゃあここからは私の話をさせてもらうね。もし絵美ちゃんが私のことをまだ許せないって言うなら読まなくてもいいけど……読んでくれたら嬉しいな。
あのね……私ね……絵美ちゃんが死んじゃって悲しい。
悲しいし、苦しいし、淋しいし、寂しいし、辛い。
絵美ちゃんが死んじゃってから十日間くらい自室に引き籠ってずっと泣いてた。もっとお話ししたかったとか、もっといろんなところに出かけたかったとか、もっといろんな事したかったとか、そんなもしもの未来のことばっかり考えちゃって胸が苦しかった。
色んなときに思うんだ……ひょっこり絵美ちゃんが私のところに来てくれるんじゃないかって。
朝学校に行こうとして家を出たら絵美ちゃんが待ってて「もう、遅いよ」とか言ってくれないかなって。
学校から帰ろうとしたら「一緒に帰ろ」って誘ってきてくれないかなって。
帰り道に「明日どこかに遊びに行こうよ!」って言ってくれないかなって。
また……私の名前を―――友里って呼んでくれないかなって……。ずっと……ずっと考えちゃって……。
ううん。考えちゃってるだけじゃないや。色んなときに絵美ちゃんが隣にいる気がしちゃう。
何か迷ってるときに「ねえ、絵美ちゃんはどう思う?」って話しかけちゃったり、学校終わりに絵美ちゃんから声をかけてもらえるのを机でずっと待っちゃったり、何かある度に絵美ちゃんに教えてあげたくて絵美ちゃんの机や自分の隣を見ちゃう。
それでそこに絵美ちゃんがいないのがわかると心が急に冷たくなって、時間が止まったみたいに感じるの。
……場合によってはそれでもよかったのかもしれない。
毎日絵美ちゃんが隣にいて、たくさん話かけてきてくれて、学校に行って勉強して、休日には一緒に遊びに出かける。そんな当たり前が奪われるくらいなら、絵美ちゃんとずっと一緒に居られる止まった空間の方がよかったかもしれないね……。
……そんなことないか。絶対に私は物足りなくなっちゃう。
絵美ちゃんに抱き着きたくなったり、お話したくなっちゃう。絶対そうだもん。
あっ。もうそろそろ書くところが無くなっちゃう……。
本当はもっといろんなことを書きたいし、いろんなことを伝えたいけど、そんなことしてたら手紙が何枚あっても足りないし、絵美ちゃんが読むの大変になっちゃうからこれで最後にするね。
絵美ちゃん。今回みたいに喧嘩しちゃったこともいっぱいあったけど、私はずっと絵美ちゃんを友達だと思ってるよ。他の誰にも代わることができないたった一人の最高の親友だと思ってるよ。
絵美ちゃんが私のことをどう思ってるかはもうわからないけど、少なくとも私はずっとそう思ってる。これまでも、これからも、私にとって絵美ちゃんはずっと友達で親友。
おばあちゃんになっても一緒に居たいって思える一生の友達だよ!
あと数行しか残ってないからこれで本当に最後。
絵美ちゃん。好き。大好き。大大大好き。
いつまでもあなたの友達でいたい岡野友里より』
読み終わった。読み終えてしまった。
友里の気持ちが込められた大切な手紙を読み終えてしまった。一文字一文字に友里の思いが詰まってるのがわかって、ところどころに私のじゃない涙の跡があって、たった一枚の紙にはとても収まりきらない友里の思いが確かにあった。
涙が止まらない。止まるはずがない。
あんなことを言った私をまだ友達だと言ってくれて、それどころか親友とまで言ってくれて、おばあちゃんになっても一緒に居たいとも言ってくれた。
私にとっても友達で、親友で、おばあちゃんになっても一緒にいたい相手からのこんな手紙、泣かないで読めるはずがない。
私はもう一度三枚目を頭から読み返す。
「私だって死んじゃって悲しいよ……。悲しいし、苦しいし、淋しいし、寂しいし、辛いよ……」
気持ちが口から零れていく。
「私だってもっと友里といろんな話をして、いろんなところに行って、いろんな思い出を作りたいよ……。今だって友里のところに行きたくて仕方がない……」
気持ちとともにあふれ出る涙は留まることを知らない。
「私だって友里と一緒にまた学校に行きたい。一緒に帰りたい。休日に遊びに出かけたい。友里って名前を呼んであげたいし、絵美ちゃんで呼んでほしい……」
気持ちばかりが先行して思考が全く追いつかない。
「私だって今も隣に友里がいるんじゃないかって思っちゃう……。寂しくなるとすぐに誰もいない隣に向かって話しかけちゃう……。いつもの笑顔でそこにいる気がしちゃう……。当たり前の生活だってもっと送ってたかったよ……。友里の近くに居たかったよ……。時間が戻ってほしいし、戻ったまま止まってほしい。でも私たちだけは動いていたい」
胸がぎゅっと縮まるのを感じる。
「私だって友里のこと代わりの居ない友達だって思ってるし、一番の親友だって思ってるし、おばあちゃんになっても一緒に居たいって思ってるよ……」
たくさんの感情が心の中でぶつかり合っている中、その中でも一際強い思いがあった。
「私だって……私だって……」
その気持ちだけは一生変わることのない思い。
生まれ変わって私が私でなくなったとしても、この思いだけは絶対に忘れたくない。
「友里のこと……好きだよ。大好きだよ……大大大好きだよ!」
友里のことが好きだっていう気持ちだけは絶対に嘘じゃない!
絶対に忘れたくない! 忘れてたまるもんか!!
「絶対に……忘れない……」
それから私は何度も何度も手紙を読み返した。
特に三枚目は一枚目と二枚目の倍以上は読み返した。
そうすることで疑似的にだけど友里と会って話している気分になれるから。
「そうだ……返事……」
あの世配達人の彼女は言ってた。
もし返事を書きたいならベルで私を呼んでって。私を思いながらベルを鳴らしてって。
私は迷わずにベルを鳴らした。
すると目の前に大きな白い扉が現れた。そしてその中からあの世配達人の彼女が現れた。
「私を呼び出したってことは返事を書くのね」
扉から出てきたあの世配達人の彼女は、挨拶もなしにいきなり本題を切り出してきた。
「そうだよ。友里の思いに私も答えたい。友里と仲直りしなくちゃ死んでも死にきれない。だって私は―――友里が大好きだから」
「……そう」
「うん、そう」
「それじゃあこれに書いて。書き終わったら今と同じようにベルを鳴らして」
「わかった」
言いたいことだけ言うと、あの世配達人の彼女は出てきた扉を通って帰ってしまった。
彼女が扉を抜けると同時に大きな白い扉は光になって消えてしまった。
彼女がどんな気持ちだったのかは私にはわからない。淡々とした口調で無表情のまま説明と事実確認をしてっただけだから。
でも、そんなことは私には関係ない。友里の手紙を届けてくれたのには感謝してるけど、私が思いを伝えたいのは彼女じゃない。友里だ。
そのために必要なものは確かにもらった。
私の手にはレターセットがある。ペンも紙も封筒もある。
これだけあれば十分だった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あれから結構な時間が過ぎた。
ここでは朝も昼も夜もない。ずっと真っ白な空間のまま。だから時間の経過も日数の経過もわからない。時間という概念があるのかすらもわからないくらいだ。
ここでは天国行きか地獄行きかを決める面談の時以外は自由で、お腹も減らないし喉も乾かないし、眠気も一切ないからとにかく暇な時間が多い。だからこそ手紙を書く時間はいくらでもあった。
書いては何か納得がいかなくて消すを繰り返し、最大限友里に私の気持ちを伝えられるように手紙を綴る。
「もう少しいい言葉ないかな? もっと友里に私の気持ちを伝えたい」
そうしてたくさんの言葉たちから自分が伝えたい気持ちに一番近い言葉を選んでいく。
それを何度も繰り返しているうちにようやく納得のいく手紙を書きあげることができた。
「よしっ! できた!」
書きあげた手紙を掲げ、ちょっとした満足感が心を満たす。
「それじゃあ早速」
早速手紙を届けてもらおうとベルを鳴らす。
あの世配達人の彼女は前回と同じ方法で私の目の前に現れた。
「手紙は書けた?」
「うん、書けたよ。ほらこれ」
私はあの世配達人の彼女に手紙の入った封筒を手渡した。
彼女は相変わらず無表情のまま淡々と封筒を受け取り、なんでかわからないけど私の顔をじっとのぞき込んでくる。
どうかしたのかな?
「最後の確認。手紙の返事は一回しか出すことができない。向こうからも一回しか出すことができないからこれ以上のやり取りはできない。覚えてる?」
「もちろん。だから友里も短い言葉でできるだけ思いを伝えてくれようとしたんだろうしね。私もできる限りの思いを込めたつもりだよ」
「そう。それならいい」
彼女は確認を終えると、すぐに私に背中を向けた。
そのまま彼女を見送れば、彼女が手紙を届けてくれる……らしい。
だから私にこれ以上出来ることはない。ただ彼女のことを信じて、ここで自分の終わりを待つ。
それだけ……それだけなんだけど……。
「ねえ!」
気が付けば私は彼女を呼び止めていた。
彼女は不思議そうな顔をしながらこちらを振り返る。
「あ、あのね! 聞きたいことが、あるんだけど……」
「? なに?」
「友里は元気だった?」
「手紙に書いてなかった?」
「か、書いてあったよ。でもほら、友里は優しいから私に心配かけないように嘘を書いてくれてるのかもしれないじゃん。だからさ」
「よくわからないけど、岡野友里は特にケガや病気はしていなかった」
「そっか。それは良かったよ……」
違う。本当はこんなことを言いたかったわけじゃない。もっと他にお願いしたいことがある。
言わなくちゃ……。言わないと後悔する。
もし断られるにしても、可能性が残ってるうちから諦めたくない。だから……言うんだ!
「話はそれだけ? それなら私はもう行く」
「待って!」
私はもう一度彼女を呼び止めた。
「聞きたいことと、お願いがあるの!」
「なに?」
「友里からの返事がもらえないのはわかってる。ただ、友里が私の手紙を見た反応だけでも教えてくれない!? 嬉しそうだったとか、泣いてたとか、喜んでたとか!」
「仕事のルール上それはできない」
「どうしても……?」
「どうしても」
こればっかりは仕方がない。
むしろ彼女は普通ならあり得ない死者と生者の間で手紙のやり取りをさせてくれた恩人だ。これ以上の無理強いはできない。
でも、もう一つの方は絶対にお願いしたい。
「もう一つは?」
彼女の当然の問いかけに、私は言葉ではなく行動で答えた。
彼女に近づき、思いっきり彼女を抱きしめる。彼女は抵抗しなかった。
「これがもう一つのお願い。私はもう友里のことを抱きしめられないし、抱きしめてもらえない。それどころか会うこともできない。でもあなたは違うでしょ。私の手紙を届けるためにもう一度友里に会うよね? その時にね……今私がしてるみたいに友里をぎゅって抱きしめてあげてほしいの。……お願い」
いくら願っても、いくら望んでも、私はもう友里に会うことができない。
だからせめてもの悪あがきとして、彼女を通して友里を抱きしめたかった。友里に抱きしめてほしかった。
これが本当の私の最後の願い。心残りの悪あがき。
「……わかった。それくらいなら大丈夫」
よかった、せめてもの悪あがきくらいは認めてもらえた。これで私も報われる。
そう思って私はさらに強く彼女を抱きしめた。間接的にとはいえ友里への思いを込めたかったから。
少しの間彼女を抱きしめ続けて、もうそろそろ止めないとな。と、力を抜こうとすると、何故か背中に手が回ってきて今度は私が抱きしめられた。
「……え? どしたの?」
なにがなんだかわからずに困惑した声を漏らす私。
そんな私に彼女は言った。
「? だってあなたのお願いは岡野友里を私を通して抱きしめて、岡野友里に私を通して抱きしめてもらうことでしょ?」
「そうだけど……」
「私はもうここに戻ってくることはできない。抱きしめるなら今しかない」
「そうだね……」
「岡野友里と抱きあったことはないから、そこはあなたがどうにかして」
「うん……ありがとう……」
目の前いるのは友里じゃない。袴姿の女の子。あの世配達人の女の子。
話してても何を考えているのかわからなくて、表情もほとんど変わらなくて、少し抜けたところのある女の子。
だからこの子は友里じゃない。そんなことはわかってる。
わかってるけど、久しぶりの人の温もりは―――とても暖かかった。
「ううっ……うううぅ……」
気が付けば涙が流れていた。
「死にたくない……このまま消えたくない……もう一度だけでもいいから友里と会いたい……話したい……」
今まで我慢していた思いが、彼女と抱き合った暖かさで溶けだしてしまった。
「でも、無理なんだよね……もう友里とは会えないし、話せないんだよね……」
「……」
あの世配達人の彼女は何も言わない。でも抵抗もしない。
泣いてる私の頭を撫でることも、優しい言葉をかけてくれるわけでもない。ただそこにいてくれるだけ。
でも、それが嬉しかった。
それから私は少しのあいだ弱音を吐きながら泣き続けた。
「ごめんね、迷惑かけちゃったよね……」
「構わない」
「そっか」
もうそろそろこの夢のような時間も終わりだろう。
これから私は何度も生きてた頃の話をさせられ、天国行きか地獄行きかを決められる。そして時が来たら生まれ変わって、また違う人生を過ごすのだ。
「私の手紙……お願いね」
「うん」
「さっきのお願いもよろしくね」
「うん」
「あと、ありがとね」
「うん?」
「なんで疑問形なのよ」
彼女の反応が面白くて少し笑ってしまった。
彼女は私が笑った意味がわからないらしく、可愛らしく小首を傾げた。そしてそのまま私に背中を向けて大きな白い扉に向かって歩いていく。
彼女の背中を見送りながら、じゃあね。と、手を振る。すると彼女は白い扉の前で立ち止まった。
「……岡野友里は本当にあなたを思っていた」
「え……?」
「私がここにきてあなたを見つけるためには相当の思いが必要。そのための基準を岡野友里は簡単に超えた。今までに見たこともないほど強い思いだった。ここへの扉を開くときにあなた強く思って名前を呼んでいた」
「そうだったんだ……」
彼女は何が言いたいのだろう? なにかを私に伝えようとしているのかな?
「岡野友里は―――誰よりもあなたを大切に思っていた」
「あっ……」
ようやくわかった。彼女の言いたいことが。
これはきっと彼女なりの優しさなのだ。不器用なリの精いっぱいの慰めの言葉。今のはきっとそれなのだ。
「……ありがとう」
私がお礼を言うと、彼女は何も言わずに白い扉の中に消えていった。
「本当に……ありがとう……」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あの世配達人の彼女―――結ちゃんが私の手紙を届けに行ってから三日がたった。
私はあれからなんてことのない普通の生活を過ごしている。変わったことなど私の隣から絵美ちゃんがいなくなったことぐらいだ。
そんな物足りない生活にも少しずつ慣れてきた。それはきっと彼女のおかげ。あの世配達人の結ちゃんが、最後にもう一度だけ絵美ちゃんと私の間に手紙という架け橋をかけてくれたおかげ。
そのおかげで私は本来伝えられないはずの思いや気持ちを言葉にして伝えることができた。もう行き場所を失ってしまった燻った思いを、無駄にしないで済んだ。やり残してしまったことを処理することができた。
だから私はもう大丈夫。たまに思い出したり、泣いちゃったりすることはあると思う。それでももう立ち止まったり、絶望したりはしない。ちゃんと絵美ちゃんが死んだという事実を受け入れ、前を向いて歩いて行ける。
なんとなくベランダに出たくなった私は、ベランダに出て夜空を眺める。燦然と輝く星々と、幻想的な光を放つ月が夜空のカーテンを美しく飾っていた。
手を伸ばせば掴めないかなって空に手を伸ばしたけど、当たり前の様に私の手の中は空っぽだった。
「ダメダメ。こんなことしたって絵美ちゃんには届かない」
首を左右に振って、弱気になりそうな気持ちを振り払う。そして改めて綺麗な夜空を眺めた。
「届いたかな……読んでくれたかな……」
夜の静けさがそうさせたのか、私の中の弱気な気持ちがまだ燻っているのかはわからないけど、なんだか感傷に浸ってしまう。
「……何してるの?」
「……え? この声……」
夜空を眺めていると、後ろの方から聞き覚えのある声が聞こえた。
まさか、とは思いながら後ろを―――私の部屋の方へ向く。そこには大きな白い扉があって、あの世配達人の彼女―――結ちゃんが立っていた。
「な、なんで? どうして結ちゃんがここにいるの?」
私が聞いた『あの世配達人』の噂は、死んだ人に手紙を届けてくれるあの世配達人という人がいること。そのためにはいくつかの手順を踏む必要があること。それだけ。
私は絵美ちゃんへの手紙を結ちゃんに渡してお別れした時点で、もう彼女とは会えないんだろうと思っていた。だからあの時にお礼もしたし、感謝もした。
なのになんで? そう思いながら彼女と向かい合っていると、彼女の右手に握られているものに目が留まった。
茶色い封筒。
嫌な予感がする。とんでもなく嫌な予感が全身を駆け巡る。
「ね、ねぇ……なんでそれを持ってるの……?」
「ん? これ?」
わなわなと震える指で茶色い封筒を指さすと、結ちゃんはなんてことないように封筒に目をやった。
「もしかして……届けられなかったの?」
どうにかなりそうだった。
あれだけ気持ちを込めたのに、思いを込めたのに、せっかく仲直りできると思ったのに、そんな数々の思い達が私の心で暴れまわる。
「違う」
「じゃあ……受け取ってもらえなかったの?」
「それも違う」
「じゃあ、なんで……」
考えていた最悪の可能性は全部潰れた。でも安心はできなかった。
結ちゃんが茶色い封筒を持っている。その事実がどうしようもなく私を動揺させる。
困惑し、動揺し、気が気でない私の元へ結ちゃんは一歩一歩近づいてくる。そして私の前まで来ると、その茶色い封筒を差し出してきた。
「お届け物」
「お、お届け物……?」
「そう。あなた宛てのお届け物。江藤絵美から」
「絵美ちゃんからっ!?」
結ちゃんの口から出てきた、絵美ちゃんから。という言葉に反応して私はもう一度茶色い封筒に目を向けた。
よく見てみれば私が出したものと違う。絵美ちゃんの写真はないし、字も私の文字じゃない。
でもこの字には確かに見覚えがあった。
「絵美ちゃんの字だ……」
「江藤絵美からの手紙なんだから当たり前」
「ど、どういうこと? あの世配達人って死んだ人へ手紙を届けてくれるだけなんじゃないの?」
「少し違う。私たちあの世配達人は、生者の手紙を死者に届け、死者からの要望があれば死者の返事の手紙を届ける。今回で言えばあなたの手紙を江藤絵美に届け、江藤絵美があなたに返事を出したいと言えば、それをあなたに届ける。そこまでが私の仕事」
「じゃあ、本当にこの手紙は……」
「江藤絵美からあなたに宛てた手紙」
差し出された茶色い封筒を受け取り、お礼の言葉も言わずに封を切る。
お礼を言わないとという気持ちはある。でもそれよりも絵美ちゃんからの手紙が私の気持ちを優先させた。
封を切った封筒から中身の手紙を取り出し、勢いのまま読み始める。
『友里へ
そっちが今何時なのかわからないから、おはこんばんちわ。
元気にしてる? って、死んだ私が言うのもおかしいか。でもいいよね? 言いたいことは伝わってるでしょ?
それじゃあ早速本題に入るね。まずは手紙ありがと! すっごい嬉しかった!!
私が死んじゃってからのクラスの様子とか、お母さんとお父さんの様子とか、気になってたからすごく助かった。さすが私の親友! 私の考えてることはお見通しだね!
あと、仲直りの件はもちろん仲直りだよ! むしろ私の方こそごめん……。本当は友里がそんな子じゃないってことわかってたのに、あんな心にもないこと言っちゃって……傷つけちゃったよね? ……本当にごめん。
それで親友に戻ったから確認なんだけど、手紙に嘘は書いてないよね?
友里は優しいから私が悲しまないように手紙に嘘を書いてる可能性あるし、一応言っておくね。私が死んじゃったからっていつまでも落ち込んでたらダメだよ。
ちゃんとご飯食べて、ちゃんと学校行って、ちゃんと友達と話して、ちゃんと勉強して、ちゃんとお風呂入って、ちゃんと寝なきゃダメだよ? さっきの元気にしてる? って、そういうことだからね! でもちゃんと私が死んじゃったのは悲しんでね! 私が悲しいから!!
あと毎年お墓参りにも来てね! お盆には自分ちだけじゃなくて友里の家にもいくからね!その時には私の好きなお菓子用意しておくんだよ。ケーキも!』
ここで一枚目の手紙は終わっていた。
気づかないうちに流れていた涙が手紙に落ちる。これ以上大事な手紙を濡らさないように慌てて涙を拭ったのに、際限なく涙は溢れてくる。
「これまでも結構泣いたのにな……。涙がとまらないや……」
顔をくしゃくしゃにしながらも手紙の続きが気になって紙を捲る。
もう次の紙がないからこれで最後みたい。
『というわけで今までのは手紙をくれたお礼とお願いね。これからは友里の手紙への返事を書くから。
まずはやっぱりありがとう。さっきも書いたけど、手紙すっごく嬉しかった! どうやって『あの世配達人』なんて知ったのかわからないけど、私の為にこんな都市伝説みたいな話を信じてくれてありがとう。手紙を出してくれてありがとう。仲直りさせてくれてありがとう。友達でいてくれてありがとう。親友になってくれてありがとう。今まで一緒に居てくれてありがとう。
って、このままじゃお礼を言ってるだけで手紙終わっちゃうか。まだまだいっぱいお礼言いたいのになぁ。
話変わっちゃうんだけど、友里手紙で私のことついつい隣にいると思っちゃうとか、話しかけちゃうって書いてくれたよね? あれ、私もなんだ。ついつい友里の名前を呼んじゃうし、隣にいてくれてるって思っちゃう。それで友里がいないってわかると、淋しいし、寂しいし、苦しいし、悲しい。
わたし今すごく広くて真っ白な空間にいるんだけど、基本的に暇なんだ。周りにたくさん人がいるけどみんな知らない人だし、やることといえば毎日ちょっとだけ生きてた時のことを聞かれるだけ。それで天国行きか地獄行きか決めるんだって。
私天国行けるかな? 友里と喧嘩しちゃっけど仲直りしたし行けるよね? 少し不安になってきた……。
あっ、また話脱線しちゃった。戻すね。
えっとね、とにかく私が言いたいのは友里が手紙に書いてくれたことは全部私も思ってるってこと!
いつも友里が隣にいる気がしちゃうし、ついつい話しかけちゃうし、もっといっぱい話したかったし、もっといっぱい一緒に出掛けたかったし、遊びたかった。
生きてた頃に戻りたいって思うし、そのまま時間が止まっててほしい。私と友里だけが動ける空間でもいいから一緒に居たい。うううん。動けなくてもいいから一緒に居たい。私も友里と一緒で絶対に物足りなくなっちゃうだろうけどね!
あーあ。友里も手紙に書いてたけど手紙って結構あっという間だね。
まだまだ書きたいこといっぱいあるのにもうほとんど残ってないよ。でももう一枚なんて書かないよ? 私も友里と一緒でこの一枚に全部の気持ちとか思いを込めるんだ。どうせどんなにたくさん書いたって伝えきれない。だけど伝えたいことは変わんない。
友里。友里も言ってくれたけど、私たちはずっと友達だよ。他の誰かの代わりは居ても、友里の代わりは絶対にいない。あなたの一番の友達は誰ですかって聞かれたら間違いなく私は友里だって言う。胸を張って、自信を持って、堂々と友里だっていう。岡野友里だけだって言う。
あなたの一番好きな人は誰ですかって聞かれても友里だって言う。私は大野くんのこと好きだけど、それ以上に友里が好きだよ。これだけは絶対だから!!
手紙で友里は私が大野くんの話をする時が一番楽しそうって書いてたけど、それ違うから。私は友里と話してる時が一番楽しいの。一緒に居るのが嬉しいの。話す内容なんて正直どうでもいい。
これで手紙にあった友里の聞きたいことには答えられたよね?
あと、おばあちゃんになるまで友達で居られなくてごめん……。
でも死んじゃっても一生一緒に居たいって思えるのは友里だけだから! 友里が私を忘れちゃっても私は友里をずっと覚えてるから!
だから天国で会ったら友里のこれからの話を聞かせてよね。遅かったらこっちから生まれ変わって会いに行っちゃうから。 その時はちゃんと私を見つけてね。
友里の子供として生んでくれてもいいよ? あー、でも次は男の子として生まれたいかな。そしたら友里と結婚できるし。それまで結婚しちゃダメだよ? なんてね!
もう書くとこなくなっちゃうから最後。
友里。私も友里が好きだよ。大好きだよ。大大大好きだよ。世界で一番愛してる。
へへ。これで私の方が大好き度が上だね!
どうなってもあなたと友達で居続けたい江藤絵美より』
「……」
言葉が出てこない。
思うことはたくさんある。言いたいこともたくさんある。たくさんあり過ぎてごちゃごちゃしてる。
仲直りできてよかった。
親友だって言ってもらえてよかった。
また会いたいって言ってくれてよかった。
同じ思いを抱いてくれててよかった。
私を好きでいてくれてよかった。
こんなにたくさんのよかったがあるのに、どうして言葉が出てこないんだろう。
いや、本当はわかってる。……わかってるの。
絵美ちゃんも手紙に書いてた。
『どうせどんなにたくさん書いたって伝えきれない。だけど伝えたいことは変わんない』
って。
本当にそう。
いっぱいいっぱい思いがあり過ぎて言葉にならない。言葉にできない。言葉なんかじゃ表現できない。しきれない。
私の思いが言葉なんかになるはずがない。ありがとうの感謝とか、ごめんなさいの謝罪とか、もっと一緒に居たいの願いとか、そういったたくさんの大切な思いが全部混ざったこの感情を言葉になんかできない。できるはずがない。させない。
この思いはそんな単純なものじゃない。簡単なもののはずがない。
私と絵美ちゃんのこの思いは私達にしかわからない。他の誰もにわからない。
どんなにたくさんの文字を綴っても、どれだけ多くの言葉を用いても、この気持ちに名前なんてない。
「ずるいなー……絵美ちゃんは。これじゃあ言い逃げだよ」
もう一度絵美ちゃんからの手紙を最初から読み直して、それでも足りなくてもう一回読んで、まだまだ足りなくてさらにもう一回読んだ。
そこまでしてようやく言葉が少しだけ出てくる。
「世界で一番愛してるなんてずるいよ……。私だって同じなのに書き忘れちゃった……。私より上だって言いたくてわざわざ考えたんだ」
こんなの後出しじゃんけんと同じだ。先に出した方が絶対に負ける。
先に出すしかなかった私には絶対に勝てない勝負だった。
「もう一回手紙を出せるなら私だって宇宙で一番愛してるって書くのに……」
「それはできない」
「うん……わかってる」
ここにきてようやく私は結ちゃんの方へ目を向けた。
「結ちゃん。ありがとう。本当にありがとう。本当の本当に……ありがとう……」
感謝してもしきれない。
手紙を送れるだけでもうれしかったのに、その返事まで届けてくれた結ちゃんには感謝しかない。
「お礼を言われるようなことはしてない。私は私の仕事をしただけ」
「そうかもしれないけど、私は結ちゃんにお礼を言いたいんだよ」
いつの間にか座っていた私はゆっくりと立ち上がって、部屋の中央にいる結ちゃんに歩み寄る。
「結ちゃんは自分の仕事をしただけなのかもしれない。でも、それで私と絵美ちゃんは救われたんだよ? 結ちゃんのお仕事は―――『あの世配達人』のお仕事は、とっても素敵なお仕事なんだよ」
「そう?」
「そうだよ。誰かの思いを誰かに届けるお仕事が素敵じゃないことないよ。すごく立派で素敵なお仕事だと私は思うな」
「そんなこと考えたこともなかった」
真顔でそう返してくる結ちゃんに私は言う。
「私ね、本当に絵美ちゃんが大好きだったんだ。絵美ちゃん以上の友達なんてできないって思うくらい大好きだった」
「うん」
「ケンカしちゃって、絵美ちゃんが死んじゃって、もう仲直りできないってずっと思ってた。それを結ちゃんが救ってくれた。切れちゃったと思ってた私たちの関係を繋げてくれた。だから私にとって結ちゃんは恩人で、あの世配達人は素敵なお仕事」
ここまで言っても結ちゃんはよくわからないと言ったような顔をしている。
本当に不思議な子だ。
「あーあ。無理だってわかってても、もう一度絵美ちゃんに会いたいな……。絵美ちゃんの笑った顔を見て、元気いっぱいな声を聞いて、一緒歩いて、学校に行って、一緒に帰って……また、ぎゅってしたいな……」
何度目になるかもわからない未練がましい願い。
普通ではありえない経験をしておきながら、本来はできない死者との手紙のやり取りをしておきながら、私はさらなるわがままを求めてしまう。
「……え? ど、どうしたの結ちゃん? 急に抱き着いたりして」
また溢れてしまいそうになった涙を堪えようと上を向こうとしたら、胸の辺りに小さな衝撃があって下を向く。すると結ちゃんが抱き着いていた。私より少し小さい結ちゃんの頭は私の胸元すっぽりと収まっている。
どうしたんだろうと困惑していると、結ちゃんが胸に埋めていた顔を上げた。
「もう一つのお届け物」
「もう一つのお届け物?」
意味がわからずにオウム返しをすると、結ちゃんが淡々とした口調で答えてくれた。
「江藤絵美から頼まれた。私はもうあなたを抱きしめられないから代わりに抱きしめてきてと。あなたに抱きしめられたいという願いは叶えられないから少し違うけど私が代わりに抱きしめてきた。満足したかはわからないけど」
それだけ言った結ちゃんは再び私の胸元に顔を埋めて、背中に回した手に力を入れた。
「そっか……そっか……そっかぁ~」
せっかく留めた涙が再びあふれ出した。
今わたしの胸の中にいる結ちゃんに絵美ちゃんの影を見たから。
本当の絵美ちゃんと結ちゃんはいろいろと違う。身長は私より絵美ちゃんの方が少し高いし、力だって絵美ちゃんは痛いくらいにぎゅってしてくるのに結ちゃんは少し控えめだ。
そんなことを抜きにしたって結ちゃんと絵美ちゃんは全然違う。なのに、なのに―――。
「絵美ちゃん……絵美ちゃん……絵美ちゃん……」
どうしようもなく結ちゃんに絵美ちゃんの影が重なる。本当の絵美ちゃんの様に見える。
あの元気いっぱいの笑顔が、強くて優しい声音が、少し痛いくらいの愛情が、もう失われてしまったはずのものが目の前にある。
自分でも気づかないうちに結ちゃんの背中に手を回していた。その手に力を込める。
「好き……大好き……ありがとう……本当にありがとう……」
背中に回した手にさらに力を込めながら、言葉には気持ちを込めながら、結ちゃん越しの絵美ちゃんを抱きしめる。
「そして……さよなら」
いつまでもこうしてはいられない。結ちゃんにだって迷惑だ。だからもうそろそろ離れないといけない。この気持ちに整理をつけなくちゃいけない。
そうやって自分を言い聞かせて絵美ちゃんへの別れの言葉を口にする。そして名残惜しい気持ちを押し殺しながら背中に回した手の力を緩める。
「もういいの?」
「うん。もう十分、これ以上は贅沢になっちゃう」
「そう」
短く答えた結ちゃんが私の背中から手を放して、数歩だけ後ろに下がった。
そして相変わらず無表情のまま彼女は口を開く。
「これで私の仕事は終わり」
「そうだね。……また会えないかな? 結ちゃんと」
「無理。『あの世配達人』の仕事は一人一回まで。またあなたが同じ方法で手紙を出しても私は誰にも手紙を届けられない。それ以前に私のところに手紙が届かない」
「そうなんだ。残念」
私は残念で肩を落とした。
手紙を出せないことがじゃない。結ちゃんともう会えないのが残念だから。
「なんで私なんかに会いたいの?」
「私が結ちゃんと友達になりたいから」
「友達? 私と?」
「うん、そうだよ。私は結ちゃんと友達になりたい」
不思議な形とはいえ、せっかく会えた結ちゃんと私は友達になりたい。
素敵なお仕事をしている人と友達になりたい。
絵美ちゃんの代わりなんかじゃない。絵美ちゃんの代わりなんてこの世のどこにもいない。
だからこれは代替行為なんかじゃなくて、私の素直な気持ち。
「ごめんなさい。私はもうあなたと会えない。会う方法がない。だから友達にはなれない」
「そっか、私がもう手紙を出せないんだから会う方法がないんだ」
さっき結ちゃんは言っていた。
あの世配達人に手紙を出せるのは一人一回までだって。
「あっ! そうだ! 私があの世配達人になればいいんだ!! どうかな!?」
「わからない。あの世配達人になる方法を私は知らない。私も気が付いたらなってた」
「そっかそっか! じゃあ可能性はゼロじゃないんだ!」
それはとても小さな可能性。砂漠で一粒のお米を見つけるくらい小さな可能性。限りなくゼロに近い可能性だ。それでもゼロじゃない。
「私も結ちゃんみたいなことしたい。誰かの思いを誰かに届けたい。大切な気持ちを届けてあげたい」
そう。私はすっかり憧れていたのだ。
結ちゃんの職業に。『あの世配達人』という嘘みたいな素敵な職業に。
「まっててね、結ちゃん! 私、絶対に結ちゃんに会いに行くから!」
「そう。それなら待ってる」
「うん! ……えいっ!」
あまりに嬉しすぎて私は結ちゃんに再び抱き着いた。
「もう十分だったんじゃないの?」
「さっきのとは違うよ。これは絵美ちゃんにじゃなくて結ちゃんに抱き着いてるの」
「?」
私の言ってる意味がわからないのか、それとも行動の方がわからないのか、結ちゃんは不思議な顔をしている。
さっきのように背中に手を回してくれたりもしない。それでも私は満足だった。
たっぷり一分間ほど結ちゃんをぎゅっとして、離れる。
「もういい?」
「うん。もういい!」
「それじゃあ私は帰る」
「わかった。寂しいけどけどしょうがないよね。じゃあね」
帰るという結ちゃんに私は手を振る。それに結ちゃんは小さく手を振って返してくれた。
そうしていると彼女の目の前に玄関くらいの木製の扉が現れる。その扉が勝手に開いた。
「さようなら」
「うん! さようなら。またね」
またね。
このたった三文字に込めた私の気持ちに結ちゃんは気づいているのかはわからない。私の自己満足かもしれない。それでも構わなかった。
また会いたいという気持ちを込めたこの言葉に嘘はない。それだけで十分だ。
こちらを向いて手を振り返してくれていた結ちゃんが私に背を向けて木製の扉をくぐる。扉の先は真っ白に光っていて、扉の先の光景はうかがえない。
でもきっと素敵な場所なのだろうことは容易に想像できた。
徐々に結ちゃんの背中が光に溶けていき、やがて完全に結ちゃんの姿が見えなくなる。それと同時に扉は私の前から消えていった。
「さてと」
すぐに気持ちを切り替えた私はまたベランダに出た。
さっき見ていた夜空と変わらず、空には幻想的な月と燦然と輝く星々が輝いている。
「とりあえずは配達人になるところから始めようかな」
ついさっき交わした約束。『あの世配達人』になるという約束。
そのために今の私にできることは、それに近いことをすることだと私は思う。
「私、絶対に『あの世配達人』になる。だから見守っててね、絵美ちゃん」
綺麗な夜空に向かって届くのかわからない絵美ちゃんへの言葉を口にする。
ある種の決意表明だ。
「それとお手紙ありがとう。今までありがとう。大好きだよ、絵美ちゃん」
手紙を読み終えたときに言い忘れた言葉を少し遅れて絵美ちゃんに届ける。
きっと届いてるはずだと、空に向かって言葉を紡ぐ。
言いたいことを言い終えた私が、少し体が冷えてきたのでそろそろ部屋に戻ろうと、閉めていた窓に手をかけたその時―――。
『こっちこそありがとう……私も大好きだよ、友里』
と、絵美ちゃんの声が聞こえた気がした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『あの世配達人』
実際にその話を聞いても噂話とか都市伝説とか言われてとても信じられないような話。
生者の手紙を死者に届けるなんていうこの街特有のファンタジーな話。
この話を信じている人はほとんどいないだろう。私にこの噂を教えてくれたクラスメイトの子だって半信半疑だったくらいだ。
でも私は知っている。
『あの世配達人』という職業は確かにあって、あの世配達人は確かに存在していてることを。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
もしよろしければご意見やご感想をお願いします。
短編作品ではありますが、続きも書きたいな。とも思ってネタも考えてあるので、その時もよろしくお願いします。
裏話なんかを活動報告に書きますので、よかったらそちらもよろしくお願いします。