第二話
俺たちは、エンリクスの北西にあるテオバルドゥスに到着した。テオバルドゥスは北のウィクトル山と地続きになっている谷を越えたところにある小さな村と、その一帯を指す名称らしい。ギルドに戻った俺とアルマドが、午後に受ける任務を探して掲示板に視線を走らせたところ、この村からの荷物の運搬依頼を見つけたのだ。
俺たちの持っている評価点数で受けられる依頼は、他には薬草採取だとか家畜の番だとかあったのだけれども、ウィクトル山から近かったこともあって、この依頼を受けることにした。
テオバルドゥスは馬があれば小一時間ほどで到着する。しかし馬は高価な家畜で、俺たちの所持金ではとても買うことができない。アルマドが自分に任せろというので頼んだところ、俺はアルマドに抱え上げられ運ばれることになってしまった。
「うぷ、昼間の肉が出そう……」
胃のあたりがぐるぐるとして、地面に下ろされてからもしばらく立ち上がれなかったほどだ。というのも、アルマドが選んだ道が、道と呼べない森の中や荒れ地だったからである。走った方が早いという理由だそうだが、その分激しく揺れたので、今俺は猛烈な吐き気に襲われていた。
「クニハル殿、すまない、早く着いた方が良かろうと……」
「あーうん……だいじょばないけど、だいじょうぶ……」
吐きそうなときに背中を擦られると決壊してしまうタイプの俺は、アルマドがおずおずと背中に沿わせた手に身構えてしまったが、不思議な事にその冷たい甲冑の手のひらが背中をゆっくりと撫で下ろすと痙攣していた腹の中身が落ち着いていった。
「あんたたちが冒険者か?」
不意に幼い声が聞こえて俺たちが顔を上げると、そこには一人の少年がいた。
髪を刈り込み、肌は日に焼けて浅黒い。やや丈の短いズボンのすそから細く伸びた足首がのぞいている。
「ギルドから依頼受注通知が届いたから、迎えに来たんだ」
この世界のギルドでは、依頼者に割符のような金属のプレートを渡すという。このプレートには魔法が施されていて、依頼が受注されるとギルドからプレートに通知が行くそうだ。プレートの片割れが受注した冒険者に渡され、依頼を完了したあと依頼者が手続きを行った片割れを冒険者が受け取って、ギルドに戻り、報酬と交換する。
少年は俺たちを上から下までじろじろ眺めまわし、割符の提示を求めた。俺が割符を見せると、彼はこっちだ、と谷を指差した。
「あんたみたいな身なりのいい、従者を連れた騎士が来るなんて思わなかったから、疑った。悪かった」
「いや、良い。しかし、彼は従者ではなく、私の夫だ」
「はっ? 夫っ? 旦那ってこと?」
少年について谷を歩きながら、俺たちは依頼の詳細を聞くことになった。
「二か月くらい前から、この谷に魔物が住み着き始めたんだ。街へ向かう荷馬車が襲われて、三人も死んだ。魔物が、定期的に生贄を差し出せば荷馬車を襲わないと言い出して……二週間に一回、女を差し出してる。次は、明日なんだ」
「生贄⁉」
耳慣れない言葉に思わず大きな声を出してしまい、俺は口を押えた。
「領主や冒険者ギルドに盗伐の依頼は出さなかったのか」
アルマドが尋ねる。
「出そうとした。でも、出そうとしたやつはみんな殺された」
「……ではなぜ、貴殿は……」
少年――パシフィはエンリクスの街まで赴いて依頼を出すことができたのだろう。
「俺は荷馬車に紛れて街まで行ったんだ。帰りも」
両脇に聳え立つ切り立った崖のためか、風が唸るような音を鳴らす。
「街への荷馬車は俺たちの村の生命線なんだ。村でとれたものを売りに行って、村ではどうにもならない生活必需品を買って帰る。だから、荷馬車を襲われたらいずれ村は死ぬ。大人たちは仕方ないことだと諦めてる……」
「……今回の依頼は、荷物の運搬と聞いたが」
アルマドが言うと、彼は唇を噛んで俯いた。
「……運んでほしいのは、俺の姉さんなんだ。明日の、生贄に選ばれちまった」
最初に差し出されたのは、老婆だ。次は病で寝込んでいた寡婦。そして身寄りのないパシフィの姉。
「助けを呼びには行けないし、行けたところで強い冒険者は雇えない……。だから、大人たちは黙って生贄を渡すことにしちまった」
領主の兵たちは、より強力な魔物を倒すために常に派遣されていると聞く。小さな村より、国境や大きな街を守るために。小さな村からの報酬では確かに魔獣を倒せるような冒険者に報酬を出すのも難しいかもしれない。それでも、涙を見せまいと俯く少年の小さな頭を眺めていると、激しい怒りがこみ上げた。こんな子供から姉を取り上げるなんて。他に身寄りもないのに。
村の人たちに選択肢がなかったのも分かる。けれど。
「貴殿の本当の依頼は、運搬ではなく、その魔物の討伐なのだな」
アルマドが言う。
「嘘をついて、悪かった。でも俺が出せる金じゃあ、討伐なんて、頼めなくて。でも、姉さんを差し出すなんて、俺は我慢できなかったんだ」
依頼内容を偽る依頼者はままいるらしい。それが発覚した場合は、命に係わる危険もあるため、冒険者はすぐさまギルドへ報告し、依頼を辞退するのが普通だ。ギルドでの登録のときにも、そう説明されている。
「受けよう」
俺も、アルマドも、同じ気持ちだった。
村についたが、俺たちは姿を隠してパシフィの家に向かわねばならなかった。冒険者を雇ったことが知れるわけにはいかなかったからだ。
俺たちは裏口から少年の家に招かれた。そこには誰もいなかった。
「姉さんは、朝から村長の家に行ってる。そこで禊を受けるんだ。魔物がそうしろって言ったんだってさ」
パシフィは忌々しそうに吐き捨てた。
「禊を求めるなんて、妙な魔物だな……」
俺が抱いたのはそんなつまらない感想だったが、アルマドは違うようだった。
「……贄を求めたところで、いずれこの村から女が消えるだけだ。そうすれば村は遠からず絶える。魔物とやらは一体何がしたいのだろうな」
「何をって……。当面の住処くらいにしか思ってないんじゃないの?」
「ここを潰したら、次はどこへ行くのだ? ここのように上手くいく保障もない。そもそも、人語を操れるような魔物が斯様な卑劣な真似をするとは思えん」
アルマド曰く、人語を操れるのは魔物の中でも魔族であることがほとんどだという。例えば竜種であるとか、高位の魔獣であれば人の言葉を習得していることもあるらしいのだが、非常に稀だそうだ。そして、そういった魔獣や魔族は何よりも誇りを重んじる。己の身に流れる一族の血を汚すような振舞いをするとは思えない、とアルマドは言った。
俺とアルマドは台所へ消えたパシフィの後ろ姿を見つめた。もし、本当に魔族だったら、探していた相手なので願ったりかなったりだ。しかし、そうでないなら、相手は何者で、一体何の目的があるのか。
パシフィが冒険者を雇ったことが村に知れたら、きっと彼と姉の居場所は無くなる。それを覚悟で、姉を助けてくれと頭を下げた少年のために、力を尽くすことに俺とアルマドは異存はない。しかし、無事解決したとしても、彼らは――。
その夜、俺はなかなか寝付けなかった。木戸を締め切った、真っ暗な家の中でただ時間が過ぎるのを待っていた。