第四話
荷馬車がごとごとと音を立ててながら道を辿る。舗装されていない道がこんなにも揺れるだなんて知らなかったと改めて考えながら、荷台の巨大な「荷物」を見つめた。
熊と、熊の姿をした魔獣に襲われた夜、気を失ってしまった俺は、二日間も眠り込んでいたらしい。目覚めたときは村長夫妻に何度もお礼を言われ、理解が追い付かないままに食事を振舞われた。長時間眠り込んでいたからか、とても腹が減っていて、熊の肉の煮込みを食べに食べた。
不思議なことに怪我が治ったのは夫人だけではなく、熊に殴られたというダイィさんも、腕を切断するか否かという大怪我がたちまち治ってしまったそうだ。
「……もしかすると、贈り物かもしれません」
鍋一杯の煮込みを空にしてしまった俺に、村長が言った。
この世界には、これまでにも稀に俺のように外の世界から来た人間がいるようだった。村長は「外側」と呼んでいた。はじめて会った俺の服装が見慣れないものだったのでもしやと思っていたそうだ。
外側からやってくる人間は、みな神からの贈り物を携えてくる。岩をも持ち上げる怪力やすべてを見通す眼など、散々読んだり観たりしたギフトやチートスキルのようなものだ。
俺も、アルマドと会ってすぐはそういうものがあるのかも、と思ったがいかんせん盗賊ひとりに対し何もできなかったこともあり、この世界にはそういった能力は存在しないのだなと考えていた。
しかし、フィオの足や村長夫人たちの大怪我が治ったことを考えると、俺には治癒能力があるのかもし
れない。
村長たちは能力を調べてもらってはどうかと提案してくれ、隣町の冒険者ギルドを教えてくれた。
「そんなもの、調べたところで仕方がないだろう」
俺は溜息を吐いた。
アルマドも当然その場にいた。出された食事に手を付けず、俺の方に器を差し出しながらそう言ったのだ。
アルマドは何かを隠している。トーゴさんに旅の目的を聞かれたときも探し物をしていると答えた。適当な嘘をついたのかとも思ったが、村長夫妻の前どころか俺と二人だけのときでもかたくなに兜を取ろうとしないのだ。怪しむなという方が無理だ。
それとなく、なぜ能力を調べることに反対するのかと聞いてみたが、必要ないの一点張りだった。
あの夜襲ってきた熊は魔獣も含めると三頭いたという。二頭はダイィさんが華麗に解体して村人たちの食卓にあがり、毛皮は町に売りに行くことになったが、魔獣はこうして荷馬車に積み込んで冒険者ギルドに引き渡すそうだ。
この世界で魔物と呼ばれるものは、魔力が体内を循環し、驚異的な身体能力や魔法を使う。その中でも、先天的に魔力循環を備えた魔族と、何らかの原因で動物が魔力を手に入れた魔獣に分かれる。
ドラゴンなどのように生まれながらにしての魔獣もいるそうだが、ともかく魔物の解体は、小さな村の人間が手にすることができる刃物では不可能らしい。なので、こうして魔獣の解体も行える冒険者ギルドのような場所に亡骸を引き渡し、解体料を差し引いた金額を受け取るのだそうだ。
村はすでに遠のいて、丘の果てに消えてしまった。穏やかな風が桜の甘い香りを運ぶ。
俺はトーゴさんに頼んでこっそり荷馬車に潜り込んだ。魔獣の死体との相席は気が引けたが、それでも俺はギルドに行って、本当にそんな力があるのかを知りたかった。
くう、と腹が鳴き、トーゴさんにまで聞こえてしまったらしく、干し肉をもらった。何の肉かと尋ねると、綿羊だと答えた。綿のような繊維質の毛が取れる羊で、毛は糸に加工されて衣服になるそうだ。今あなたが着ているのも綿羊の毛から織ったものですよ、と言われ、自分のシャツに触れてみた。やわらかくほぐしたガーゼのような手触りのそれが、羊の毛から作られていることに驚く。
干し肉をかじると、肉本来のにおいがした。噛み締めるごとにうま味が染み出し、シンプルな塩だけの味付けがそれを引き立てる。
能力のことを知りたいと思う原因のひとつにこれがあった。
俺はそもそも食が細い。ラーメンの大盛なんて頼んだことはないうえ、ライスもつけられない。引きこもるようになってからは一日一食というのもざらだったし、パン一枚で満足してしまうこともあった。
それなのに、ここに来てから、特に気を失ってしまったあとはどうしようもないくらい腹が減る。どっしりとした肉の煮込みなんて一口で満足できてしまいそうなものなのに、鍋いっぱい平らげてしまうなんて考えられなかった。この異様な食欲が何なのか、不思議に思わないわけがない。
「旦那ァ。本当にいいんですかい。嫁さんになんも言わずに来ちまって」
ほろの外からダイィさんが声をかけてきた。
「あんなおっそろしく強い嫁さん、怒らせたらこえぇぞ。うちのかみさんでさえ怒り狂ってるときは手がつけらんねえ」
強いをつよぉいと発音したダイィさんはからから笑った。彼は病み上がりのようなものなのに熊を二頭さばいたばかりか、森へ行って鮮やかな赤い羽根の鳥をしとめてきた。それも、俺の腹にすっかり収まってしまった。
ドアテラのような盗賊に襲われたこともあって、用心棒としてついてきてくれたのだ。本来なら、アルマドが来るはずだった。しかし、アルマドは調子が悪いといってあてがわれた部屋に引っ込んでしまい、
俺はしめしめと荷台に乗り込んだのである。
「そんなことで怒るようなひとじゃないですよ」
本当はどうだか知らないが。
「ははぁ、そうですかぁ。まあ結婚なんてしてるとたまには息抜きもしたくなるもんなあ」
俺たちはしばらく会話を楽しみ、季節のうまい食い物のことを山ほど教えてもらった。彼らの間では俺はすっかり食いしん坊と認識されてしまっている。ダイィさんに町の上手い飯屋の話を聞いているうちに、隣町のエーデルガに着いていた。
「しばらくお待ちください」
ギルドの中は様々な人間でいっぱいだった。柄の悪いそうな屈強な男たちもいれば、革鎧に身を包んだまだ十代そこそこの女の子もいた。ローブを目深にかぶった白い髭の老人は、見るからに魔導士だ。ふと、本当に遠いところに来てしまったと思った。
壁には所せましと依頼内容を報せる紙がピンで掲示され、窓口には依頼を受ける冒険者と呼ばれるものたちが並んでいる。申し訳程度に据えられている丸テーブルに肘をつき、何らかの手続きを待っている男は投擲用のナイフを弄んでいた。
トーゴさんとダイィさんはギルドの隣に併設されている解体場へ直接魔獣の死体を持っていき、俺とは入り口で別れた。ダイィさんはついていこうかと申し出てくれたが、丁寧に断った。
数分並んで受付へ向かい、能力の調査を依頼すると、受付嬢はしばらく待てと言って奥へ引っ込んでしまったのでこうして目立たないように壁の傍で時間を潰している。
「お待たせしました」
十数分ほどして戻ってきた受付嬢が、ついてこいというそぶりをしたので、そっとその背中を追う。通されたのは六畳ほどの個室だった。壁に掛けられているのは地図だろうか、五つの大陸が絶妙なバランスで並び、いくつものピンが差し込まれている。
部屋のソファにひとりの老女が腰かけていた。テーブルには仰々しい金細工を施された鏡のようなものがある。しかし、よくよく見ればあるはずの鏡面はなく、ふちだけが鏡のような形を装っているだけだった。
「はじめまして。エーデルガギルドのカサンドラと申します」
老女が挨拶をしたのであわてて頭を下げて自己紹介をした。それが済むと、彼女が自分の前のソファをすすめてくれたのでそこに腰かける。
いたって普通の老女に見えた。まっすぐにのばされた背筋と切れ長の目が冷徹な印象を与えるが、声色は穏やかだった。
「これから、こちらのヴェリタス鏡を用い鑑定させていただきます」
「はい」
まるで意思の診察を受けるときのような落ち着かない気持ちで俺は居住まいを正した。
カサンドラさんがふちだけの鏡をそっと持ち上げて、まっすぐ俺に向ける。ふちを通して見つめあう形
になったので俺はますます落ち着かずあちこちに視線を彷徨わせた。
「こちらを見て。視線を動かさないでください」
「は、はい」
ぴしゃりと窘められて俺はおずおずとふち越しのカサンドラさんの目を見た。次の瞬間、ふちに切り取られた空間が歪んだ。いくつもの光の線がまるで身体を通り抜けて骨の歪みひとつに至るまで照らし出されていくような感覚だ。
カサンドラさんの眉間に深い皺が寄る。ふちを支える手が震え、まるで鏡そのものが暴れているのを押さえつけているかのようだ。
「まさか」
彼女が呟くのと同時に、バキンッと音を立ててふちが割れた。
「あっ、え? 壊れたっ」
「まさか……」
「あの、すみません、何かまずかったですか、道具壊れて」
「こんなものは見たことがありません」
弁償の二文字で頭がいっぱいの俺は、カサンドラさんの言葉に反応が遅れた。
「あなたが他のものとひどくぶれてみえました。黒い大きな、影と……。魂がこじれて、交じり合って、縛り付けられている……ほとんど呪いだわ」
「の、のろい?」
「最近疲れやすいとか、そういったことはないですか?」
「は、腹はすごく減りますけど……」
「申し上げにくいのですが、あなたの持っている生命の力が少しずつ削り取られています。私に見えたのはそれくらいですが、どこでかけられたものにせよ、早急に解呪することをおすすめします」
頭の中でカサンドラさんの言葉が回る。魂がこじれて縛り付けられている。呪い。
「私と契りを交わし、夫になるならば」
アルマドの声が脳裏に蘇った。俺が呪われているなら、呪ったのはアルマド以外にいない。でも、どうして。
何のために。