シュガーレスとビタースピーク
「……Zzz」
「……おーい……工藤クーン……寝るな~……寝たら死ぬぞ~……成績的に……」
ノートにシャーペンを深々と突き刺して、安らかな寝息を立て始めたシュウを、俺は半分夢心地で窘めた。
俺の声に、シュウはカッと目を見開き、千切れんばかりに首を横に振りまくる。
「わ……悪ぃ……! オレ、寝ちゃってた! 何か、キレイな川の向こうで、死んだばあちゃんが手を振ってて……」
「……それ、もはや眠気とは別の方向にイッちゃってねえか……?」
シュウの言葉に顔を引き攣らせる俺だったが、言ってる側から、生アクビが喉の奥からこみ上げる。
「ふ……わぁぁぁ……って、もう2時か……」
俺は、掌で口元を覆い隠してアクビをごまかし、ベッドの横に置いた目覚まし時計に目を遣りながら呟いた。
と、
「高坂くん、眠いんだったら、あなたは寝ても大丈夫よ」
キーボードを打つ手は止めぬまま、諏訪先輩が俺に言った。
「プロットのチェックはもう済んでるでしょ? あとの清書は私の仕事だから、あなたが起きている必要は無いのよ」
「い……いや……、それはそうなんですが……」
諏訪先輩のドライな物言いに、俺は困ったように頭を掻く。
「シュウが数Aの追い込みして、先輩がその勉強を見つつ『Sラン勇者』の清書してる中、俺だけがのうのうと高いびきって訳にもいかないじゃないですか?」
「だからって、手持ち無沙汰で生アクビを噛み殺してられちゃ、私達の気が散るのよね」
「……スミマセン」
諏訪先輩の辛辣な皮肉に、俺は言い返す事も出来ずに項垂れた。
「……気が散らないように、端っこの方でジッとしてます……」
「あ……いや! オレは助かってるぞ、ヒカルが居てくれて! い……今みたいに、オレが寝そうになってたら、すぐに起こしてくれるし、な!」
落ち込んだ俺を見たシュウが、慌ててフォローを入れてくれる。
すると、諏訪先輩がキーを打つ手を止めて、顔を上げた。
先輩は、困ったような表情を浮かべると、
「……ごめんなさい、高坂くん。つい、キツい言い方しちゃって……。ダメね。私も少し眠気にやられてるのかも……」
そう言って、俺に向かって小さく頭を下げた。
そんな先輩の態度に、俺はテキメンに慌てて、ブンブンと手を横に振る。
「い――いや! 大丈夫です! 先輩の言う事は、何も間違ってませんって!」
リアクションに困った俺は、助けを求めるように視線を四方に彷徨わせる。――と、諏訪先輩の前に置かれたマグカップが空になっているのに気が付いた。
「あ! こ、コーヒーが空っすね! お、おかわり持ってきますんで、ハイ!」
俺はそう叫ぶと、脇に置いてあったお盆を手にして立ち上がった。
そして、ローテーブルの上に乗っていたマグカップ3個をお盆に載せて訊く。
「え……ええと、先輩はいつも通りのブラックでいいですね? シュウはどうする? ミルク入れるか?」
「あ、ええ……お願い」
「あー……オレもブラックでいいや。カフェインたっぷりの濃い~ヤツで頼む」
俺の問いかけに対するふたりの返事を聞いた俺は、シュウに心配げな顔を向けた。
「つか、シュウ……甘党なのに、ブラックコーヒーとか大丈夫かよ? マジで苦いぜ、ブラックは……」
「脅すなよぉ。……いや、この眠気を吹き飛ばすには、それくらいやらないとダメそうだからさ」
「まあ……確かに。――じゃあ、俺もブラックにしようかな?」
俺は、シュウの言葉に苦笑いを浮かべると、小さく頷くとドアを開ける。
「じゃあ、待ってて下さいね、ふたりとも。すぐに持ってくるんで!」
「……ごめんなさいね。そんな雑用させちゃって」
「あ、いや、お気遣い無く!」
俺は、申し訳なさそうに言う諏訪先輩に向かって、ブンブンと頭を振った。
「……元はと言えば、俺の我が儘で、ふたりに負担を強いてるんですから。これくらいの事はやらせて下さい、ね!」
◆ ◆ ◆ ◆
俺は、台所で淹れてきた3杯のブラックコーヒーをお盆に載せ、零さないように階段を慎重に昇る。そして、部屋のドアの前まで来たが、その前でハタと困った。
――両手が塞がっていて、ドアを開けられない……。
しょうがない。中から開けてもらうしか無い……そう考えて、俺は声を上げ――
「おーぃ……」
『――センパイは、いいんですか? これで……』
「……ん?」
――ようとして、中から聞こえてきたシュウの声が耳に入り、思わず俺は声帯を詰まらせた。
聞こえてきたシュウの声が、何やら真剣な響きを帯びていたからだ。
「……何だ?」
俺は、微かに胸の鼓動が早まるのを感じながら、息を潜めてドアに耳を付ける。
『……「いいんですか?」って、何の事かしら?』
さっきのシュウの問いかけに答えた諏訪先輩の声には、何故かいつもよりも少しだけ硬質な響きを感じた。
『そりゃ……アイツの事ですよ』
シュウの声に、苛立ちが混ざっているのが分かる。――って、“アイツ”って、一体誰の事だ?
『……このままだと、明明後日には、アイツは早瀬――他の娘のものになっちゃうんですよ? センパイはそれでもいいんですか――って、訊いてるんです』
『……いいんじゃない? ……別に、高坂くんは、私のものでも何でもないし』
……おろ? ひょっとして、俺の事を話してる?
『私は……“星鳴ソラ”として、本当に高坂くんに感謝してるの。彼が居なかったら、いつまで経っても、“作品を完結できない読泣ソラ”のまんまだっただろうし……。高坂くんが私に発破をかけてくれて、一緒に頑張ってくれたから、自分で始めた物語を初めて完結させる事ができるの。本当にありがたいと思ってる』
……あ、あれ? いつもの先輩の口からは、絶対に出てこない様な言葉を聞いたぞ?
『……だから、感謝してる人が幸せになる事を祈って、その成就に協力してあげようとしてるの。――それが、何か変かしら?』
『――自分の気持ちは殺して……ですか?』
え……何を言おうとしてるんだ、シュウ……?
――先輩の気持ち……って?
『……だから、別に私は、自分の気持ちを殺してなんか――』
『嘘、っすよね?』
『……ッ! そ、そんな事、あなたに――』
『分かりますよ』
自信に満ちたシュウの断言に、諏訪先輩が息を呑んだ気配が、ドア越しでも伝わってきた。
シュウの静かな――それでいて決然とした言葉が続く。
『ヒカルから聞いた、センパイの話だけでも充分に。……この前初めて実際に会って、センパイとヒカルのやり取りを見て、その予感は確信に変わりましたよ』
『……』
『まあ、多分、オレじゃなかったら気付かなかったかもですけどね。オレも、センパイと同じですから……』
『え……?』
え……? ちょ、ちょっと、シュウッ? お前、いきなり何を言い出そうとしてるんだ――?
俺は、更に激しさを増す心臓の鼓動をうるさく感じながら、より強く、耳をドアに押しつけたが、その拍子に、お盆に載せていたマグカップが擦れ合って、甲高い音を立てた。
『――ッ!』
『あ……!』
ドアの向こうのふたりが、俺に気付いて驚き慌てる気配が伝わってきた。
『あ……ひ、ヒカル! 戻ってきたのかッ?』
シュウの上ずった声が、ドア越しの俺にかけられる。
「あ……え……えエト……」
知らない間に、喉がカラカラに渇いていたようで、変に裏返った声が出てしまった俺だったが、
「ゴホン! え……ええと――ご、ゴメン! お盆にマグカップ載せてるから、手が塞がっちゃっててさ。ちょ、ちょっと、ドア開けてくんね?」
慌てて咳払いすると、殊更に明るい声を出して、室内のふたりに向けて呼びかけた。
『あ――おお! ま、待ってろ。今開ける!』
俺と同じ様な、取り繕ったような明るい声を出して、シュウが立ち上がった気配がした。
――俺は、ドアが開くまでの間に何とか平静を取り戻そうと、気を落ち着かせる事に必死で神経を集中させるのだった――。




