ここは今から数Aです
「さあどうぞ、先輩……と、ついでにシュウ。一応掃除と片付けはしたんで、安心して下さい」
俺は、少し緊張しつつ自室のドアノブを回し、背後のふたりを招き入れた。
「お邪魔しまーす。……て、何か久しぶりだなぁ~。ヒカルの部屋に入るのも」
と、シュウが遠慮の欠片も無く、ズカズカと俺の部屋に入り――、
「……って、ホントにキレイになってる! この前来た時とは見違えてる!」
と、目を大きく見開いて、感嘆の声を上げた。
「へえ……本当に片付いてるわね。男子の部屋って、もっとグチャグチャになってるような印象だったけど、意外ね……」
シュウに続いて、おずおずとした様子で部屋に入った諏訪先輩も、周囲を見回しながら驚きの声を上げる。
ふたりの賛辞を受けて、俺は気を良くして胸を張った。
「ま、まあ! やっぱり高校一年生になったら、自分の部屋くらいは綺麗にしとかないと――」
「ホントに見違えたな! この前来た時なんか、ベッドはグチャグチャだし、着替えが床に散乱してるやら、食いかけのポテチがぶちまけられたりとかで、足の踏み場もないほどのヒドい有様だったのに……! それに――」
「おいぃぃぃぃ! せっかく2時間かけて、必死で部屋を取り繕った俺の苦労を、過ぎ去った昔の事を蒸し返して台無しにするのは止めようか工藤秀君!」
俺は声を張り上げて、慌ててシュウの言葉を遮った。これ以上、コイツの口を自由にしていたら、どんな事を口走るか分かったものではない。
……が、既に遅かった。
「やっぱり。そんな事じゃないかと思ってたわ」
「う……」
諏訪先輩の冷ややかな視線を受けて、俺は気まずさで目を宙に彷徨わせつつ、
「さ、さ……! 時間が惜しいですから、ふたりとも早く座って!」
話題の矛先を変えようと、必死でふたりを、部屋の中央に置いたローテーブルへと手招きした。
俺の招きに応じて、諏訪先輩とシュウがローテーブルを挟んで座り、俺も座ろうとしたが――、
「あ……あれぇ? おかしいな? 俺の座るところが無いよぉ?」
と、首を傾げる。
四角形のローテーブルの辺は、当たり前だが四つ。その内二辺をシュウと諏訪先輩が座っているなら、あと二辺は空いているはずなのに――?
「……って、何しれっと当たり前みたいな顔して着席しとんねん、バカ姉妹ぃ!」
俺は、顔を引き攣らせながら、すまし顔でローテーブルの前で姿勢正しく座っているハル姉ちゃんと羽海をジト目で睨んだ。
俺の声に、風呂上がりにも関わらず、バッチリとフルメイクでキメているハル姉ちゃんが、片目ウィンクで舌を出した。
「あれぇ、バレちゃったぁ? ……てへぺろ」
「バレないとでも思ったかあぁぁっ! つか、二十歳過ぎて『てへぺろ』はキツいぞハル姉ちゃ――!」
「……誰が年増で、いい年して彼氏のかの字も出来ない干物女ですって、ひーちゃん?」
「あがが……お、俺はそこまでは言ってな……スミマセンでしたお麗しいハルカお姉様ァッ!」
凄惨な笑顔のハル姉ちゃんに、襟首を掴んでギリギリと締め上げられ、俺は恐怖の叫びを上げる。
――と、そんな俺たちの様子を見た羽海が、わざとらしい悲鳴を上げて、シュウの腕に縋り付いた。
「きゃあっ! お姉ちゃん達怖いっ! 助けてシュウちゃん!」
「え? う……羽海ちゃん、どうした?」
戸惑いの声を上げるシュウの腕に、ブルブルと震えるフリをしながら、抜け目なく身体を押し付けてくる羽海。
……玄関では、子供のように(まあ、子供なのだが)泣きじゃくっていたのがウソのような強かさである。――今からこの調子では、成長したらどんな肉食系女子に進化してしまう事やら……お兄ちゃんは怖いぞ!
一方、あざとすぎる羽海を目の当たりにしたハル姉ちゃんが、眦が裂けんばかりに眼を剥き、絶叫する。
「あ――っ! うーちゃんズルいッ! ドサクサに紛れてシュウくんに抱きつくとか! 小癪な小学生めッ、負けるかぁ! だったら――私も抱きつくぅッ!」
「いや、お姉ちゃんがシュウちゃんに抱きつく理由無くないっ?」
「うるさいっ! 理由はアレよ……さっきからひーちゃんが、いやらしい目でスミちゃんの事を見てるからっ! きゃー」
「は、はああああっ? な……何じゃそりゃ! いきなりとんでもない所から俺を刺しに来るんじゃねえぇぇ!」
「キャアアアアッ! やっぱり愚兄ッ! フケツ~ッ!」
ハル姉ちゃんが放ったとんでもないキラーパスを、羽海が阿吽の呼吸で受けて、そのまま、俺のメンタルに向けてダイレクトボレーシュートを放った。
「ちょ……羽海まで……ち、違うって――!」
ザルキーパー森○くんよりもセーブ力が劣る俺は、タ○ガーショットばりの攻撃力を持つシュートに、為す術も無く吹き飛ばされる――!
――と、その時、
バァンッ!
けたたましい音が部屋に居た全員の鼓膜を劈き、俺やシュウはもちろん、姦しく騒いでいたハル姉ちゃんと羽海も、驚いてその動きをピタリと止めた。
「……」
その音は、諏訪先輩が、カバンから取り出した数学Aのテキスト類を、ローテーブルに思い切り叩きつけた音だった。
「……」
先輩は顔を上げると、無表情のまま首を廻らし、俺たちをゆっくりと睥睨した。その眼鏡の奥で光る目は紛れもなく、アフリカのサバンナで、怠け者の旦那を叱りつける雌ライオンのそれだった。
その眼光の鋭さに、俺たちは背筋が凍る思いを感じつつ、慌てて姿勢を正す。
――そして、先輩はゆっくりと口を開いた。
「……あの、ハルちゃんさん、羽海ちゃん――」
「「あ、ひゃい!」」
低い声で名を呼ばれたふたりが、身体をビクリと震わせて、裏返った声で返事する。
そんなふたりに、容赦なく冷たい視線を浴びせながら、諏訪先輩は静かな口調で言う。
「……すみませんけど、これから工藤くんは明日の再試験に備えて、一夜漬けで勉強をしなければならないんです」
「「は……はい……」」
「おふたりと工藤くんが仲良しなのは分かります。けど、今日は勉強に集中させてあげて下さい」
そう言うと、諏訪先輩は深い溜息を吐き、言葉を継ぐ。
「……正直、シュウくんの数学Aの成績は壊滅的なので、あなた達と遊んでいる余裕は無いんです。分かります?」
「はい……」
「分かりますです……」
諏訪先輩が静かに紡ぐ言葉に、ふたりは身体を小さくさせて、コクコクと頷くだけ。
……というか、シュウも「壊滅的でスミマセン……」と落ち込んでいた。
と、先輩がその表情を和らげ、深々と頭を下げた。
「なので……申し訳ないんですけど、今日はご遠慮下さい。ごめんなさい」
「あ……はい、もちろん!」
「ご……ごめんなさい、スミちゃん……」
諏訪先輩に促され、ハル姉ちゃんと羽海は、ガックリと肩を落として、素直に大人しく出ていった。
おお!
俺が全く太刀打ちできない極悪姉妹コンビが、諏訪先輩の前ではすっかり形無しだ……。
何故か感動している俺を余所に、諏訪先輩は涼しい顔で数学Aのテキスト類と、執筆用のタブレットを取り出す。
そして、俺とシュウの顔を見回して言った。
「――さてと。じゃあ始めようか、工藤くん。再試験、絶対に合格できるように、出来る限りの努力をしましょう」
「あ――はい!」
諏訪先輩の言葉に、シュウは顔を引き締めて、背筋を伸ばした。
「よ――よろしくお願いします、諏訪センパイ!」
そう言って深々とお辞儀するシュウに続けて、俺も慌てて頭を下げる。
「あ……俺もお願いします、諏訪先輩。『Sラン勇者』最後の追い込みを――」
「うん……分かってる。こちらこそ宜しくね、高坂くん」
俺の言葉に、諏訪先輩は小さく頷く。
――そして、微かに眉を顰めると、心なしか俺から距離を取りつつ言葉を継いだ。
「あと……、あ、あんまり私をいや……いやらしい目で見ないでね……高坂くん」
「――って! 何でよりによって、その発言は鵜呑みにしちゃってんすかアアアアァッ?」
今回のサブタイトルの元ネタは、マンガ「ここは今から倫理です」からです。
マンガも面白いですが、ドラマ化も決定らしいので、是非とも読んでみてくださいな。
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