ヒカルの家あつまる? (略して『ヒカんち』)
「はいはーい! 今行きますよ~」
玄関のチャイムが鳴り、俺は慌ててクローゼットの折れ戸を閉めながら、階下に向かって叫んだ。
振り返りつつ、ベッドの脇に置いた目覚まし時計を見ると、短針が9を少し過ぎた辺りを指していた。
「……何とか、ギリギリ間に合ったか」
俺は、ホッと胸を撫で下ろしつつ、ドアを開けて、ひんやりとした空気が満ちる廊下に出る。
と、
「え! も、もう? ちょっと待って……まだ、着替えが決まってないのに……」
隣の羽海の部屋から悲鳴が聞こえてきたが、ドアの向こうに居るのは俺の客人だ。関係無い羽海を待ってやる義理は無い。
俺は、小走りで廊下に出て、一段飛ばしで階段を下りようとするが、この前、足を滑らせて思いっ切り尻を打った事を思い出し、逸る心を抑えて、一段ずつ階段を下りる事にする。
と、
「ちょ――もう、シュウくん来ちゃったのっ? 待って! まだ、顔を作ってない……!」
風呂場の方から、ハル姉ちゃんの絶叫が聞こえてきたが、ドアの向こうに居るのは俺の客人――(以下省略)。
制止の声を華麗にスルーした俺は、玄関に辿り着くと、壁のスイッチを押して照明を点けると、三和土に散乱する靴を整理しつつ、ドアを開けた。
「――って、シュウか……。まあ、上がってくれ。」
「おす。お邪魔しまーす」
と、いつもの気軽な調子で、軽く片手を挙げながら無遠慮に入ってきたのは、野球部の紺色のウインドブレーカーを羽織ったシュウだ。
ぶっちゃけ、シュウは遅刻魔なので、30分は遅れてくると踏んでいたので、意外に思った。
「珍しいじゃん、シュウ。……てっきり、諏訪先輩の方が先に来ると思ったけどな」
「え? ああ……いや」
シュウはキョトンとした顔をしたが、ニヤリと笑うと親指でドアの向こうを指さして、言葉を継いだ。
「せっかくだから、駅までひとっ走りして、迎えに行ったよ」
「……え?」
「て、何やってんすか、センパイ。寒いから、早く入って下さい」
ドアの向こうに顔を出して、声をかけるシュウ。
その声に応じて、ひとりの人影が、おずおずと歩を進めてきた。
「あ……お、お疲れ様です、諏訪先輩……」
「お、お疲れ……」
12月の寒風の中を歩いてきたからか、ほんのりと頬を赤らめた諏訪先輩が、伏し目がちに頭を下げた。
……と、ある違和感――というか、違和感を感じない違和感――を感じて、俺は首を傾げる。
「あれ……? 諏訪先輩、制服っすか……」
先輩は、部室でいつも見慣れている制服の上に、クリーム色のダッフルコートを羽織り、大きめのバッグを肩から提げていた。
正直、あの日以来の先輩の私服を見られるかも……と思っていた俺は、ほんの少しだけ表情を曇らせてしまった。
「……ごめんなさい。ガッカリさせちゃったかしら?」
「え? あ、いや……そういうアレではなく……ええと……スミマセン」
そんな俺の心は、あっさりと諏訪先輩に見透かされ、申し訳なさそうに謝る先輩に、俺は慌てて首を横に振りつつ謝り返した。
諏訪先輩は、少し唇を尖らせながら、小さな声で言う。
「……だって、今夜泊まりがけになるんだったら、朝、家に帰って着替え直すよりも、制服のままでいて、ここから直接学校に行った方が……効率的じゃない?」
「ま……まあ、それはそうですね……」
諏訪先輩らしい、効率第一の考えに、俺は頷くしか無い。
と、その時、
「あらあら、いらっしゃぁい、シュウ君……と、香澄さんも」
「あ、おばさん、今日はお世話になります」
「……」
「……あ。――お世話になります、楓花さん――」
「はぁい! 上がって上がって~! 香澄さんもどうぞ~」
「あ……はい、お……お邪魔……します……」
「はい、どうぞどうぞ~! もう、自分の実家だと思ってどうぞ~!」
「ちょ、母さんッ!」
はしゃぎまくるあまり、とんでもない事を口走る母さんを、俺は慌てて窘める。
と、母さんはニヤニヤ笑いを浮かべながら、俺を肘で小突く。
「まあまあ、いいじゃない。ヒカルが女の子を家に泊めるのなんて、これが最初で最後かもしれないんだから、ちょっとくらい、『嫁を迎える義母の気分』ってやつに浸らせてくれてもさ!」
「よ……よメッ……?」
「だーっ! だから! 変な妄想に浸ってるんじゃないよ! 諏訪先輩はそんなんじゃないって、何度言えば……! あ、あのっ、先輩! この通り、ウチの家族はおかしなのばっかなんで、何を口走っても軽く聞き流しておいて下さい!」
「……う、うん……」
俺の必死の弁解も、先輩の耳にキチンと届いているのかどうか……。先輩は、顔を真っ赤にしながら俯いてしまっている。
……ヤバい。勝手にとんでもない事を言われて、怒ってる……。
あーもう! どうするんだよ、この空気!
――と、
「――シュウちゃん、こんばんはッ! ようこそ!」
この重たい空気を変える救世主が、廊下をトテトテと走ってきた。
「――って、ゲッ! ネクラ女まで! な……何でアンタまで居るのよっ!」
……前言撤回。話が更にややこしくなる不特定要素だった。
羽海は、さっきはパジャマ姿だったはずなのに、いつの間にかフリフリの付いたピンクのワンピース姿というフル装備に着替えていた。
だが、そんな可愛らしい格好とは裏腹に、敵意を剥き出しにした獰猛な眼で、諏訪先輩のことを睨みつけながら、俺を押し退けて上がり框の縁でふんぞり返った。
「何しに来たのよアンタ! シュウちゃんは大歓迎だけど、アンタはお呼びじゃないんだけどッ! ていうか、アンタまさかお兄ち――愚兄を……もう! さっさと帰って!」
「う――羽海! やめ……」
「こんばんは、羽海ちゃん」
諏訪先輩に対する、妹の失礼極まる発言に凍りつく俺とは真逆に、シュウはにこやかな笑顔を浮かべて挨拶を返す――が、少しだけその表情を険しくさせ、諭すような声で、羽海に言う。
「……でも、センパイの事をそんな風に言っちゃダメだよ。この人は、オレに勉強を教えてくれる為に、わざわざ来てくれた恩人なんだから。……そんな言い方をされると、何だか悲しくなるな」
「ひぇ……! ご、ゴメン、シュウちゃん! アタシ――」
「謝るのは、オレにじゃないよね?」
「……ぅ~……」
シュウの優しいながらも厳しい言葉に、目に涙を浮かべた羽海は、喉の奥で唸り声を上げたが、ペコリと諏訪先輩に頭を下げた。
「……ごめんなさい。ヒドい事言って……。許ぢて――ぐだざい……!」
言葉の最後は嗚咽が混じった。羽海が人前で泣くのは本当に久しぶりで、俺と母さんはビックリして、思わず顔を見合わせる。
「あ……ご、ごめん、羽海ちゃん。ちょっと……言い過ぎた……」
結果的に、泣かせた形になったシュウも、オロオロして狼狽えている。
――と、諏訪先輩が動いた。
先輩は、ポケットから真新しいハンカチを取り出すと、歯を食いしばりながら大粒の涙を流す羽海の目元をそっと押さえる。
そして、羽海にそっと顔を近付けると、落ち着いた声で言った。
「大丈夫。私は気にしてないから。泣かなくてもいいのよ」
「う……ひっぐ……ご、ごめんなさぁい……」
「うん、分かった。……これから仲良くしてね、羽海ちゃん。私は、あなたと仲良くなりたいから」
「う……うん……はい……うううわあああ~……!」
諏訪先輩の優しい言葉に、羽海の感情の堰が切れたらしい。
羽海は、いつもらしくもない、幼子のような声を上げて、ワンワンと泣き始めた。
そんな妹の肩をそっと抱いて、静かに頭を撫でる諏訪先輩は、まるで聖母マリアの如く――。
「や、やあ、いらっしゃい……。って、ど……どういう状況なのかな、これは……?」
ふと、背後からオズオズとした声が上がった。
振り返ると――タンスの奥から引っ張り出したらしい、些かサイズの合ってないピチピチのハイネックセーターと、ベルト周りが腰に食い込むスラックスという、『だんでぃーにキメようとしたけど体型とか雰囲気とか諸々が遠く及ばなかった』感満々の出で立ちの父さんが、戸惑い顔で突っ立っていた。
「……」
「……」
思わず真顔で父さんをジト目で見る俺――と母さん。
「……」
「……」
「……誠司さん?」
「ひ……ッ!」
暫し無言で対峙した後、ドスの利いた声で、母さんに名を呼ばれた父さんは身体をビクリと震わせる。
父さんは、顔を紙のように白くすると、クルリと踵を返し、
「さ……さーてと……、な……何か変な汗をかいちゃったから……もう一回、風呂に入ってこようかなぁ~……あ、あは、あはは……」
そう言いながら、心持ち早足で廊下の奥へと消えていった――。
作品がお気に召したら、ブクマや評価を宜しくお願い致します!(こう書けば、評価とブクマが増えるかもって、じっちゃんが言ってた)




