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The "What" of the Land

 「だーっ! だから、そうじゃないって何度言えば理解してくれるんだい、クドー氏ッ!」


 いつもは静かな文芸部の部室に、苛立ちに満ちた甲高い怒鳴り声が響く。


「そこに入る関係代名詞は、whenじゃなくてwhoだってば! その後ろに付いているのがheなんだから一目瞭然だろ? もう~! 何で、こんな初歩的なところから教え込まなきゃいけないんだ!」

「いや~、すまねえな、小田原。何せ、この前の試験、8点しか取れなかったからさ。チンプンカンプンなんだ、マジで」

「胸張って言うなッ!」


 脳天気に笑うシュウに向かって、こめかみに青筋を浮かび上がらせながら、小田原は叫んだ。


「それにっ! ここのスペルも違うし! 帽子は、エイチエーティーでhatだ。何でエフエーティーなんだよ! fat(ファトゥ)……って、ボクに対する当てつけかぁっ!」

「ふぁとぅ? ……ああ、それなら分かる。“何”って意味だろ?」

「それはwhat(フワトゥ)だ! ボクが言ってるのはfat(ファトゥ)! デブって意味だよ……て、誰がでぶっちょだあぁぁっ!」

「……誰もお前の事だなんて言ってないでしょ。ノリツッコミしといてキレるな、小田原」


 隣で繰り広げられる即席漫才に、プロットに目を通すのに忙しい俺は、ウンザリしながら口を挟む。


「で……でも、コーサカ氏ぃ~!」

「や……止めろ! そんな、ドラ○もんに泣きつく○び太みたいな顔をすんな! 俺は、男に抱きつかれて喜ぶシュミは無えよ!」


 俺は、今にも縋り付かんとする小田原に向かって、慌てて左手を挙げて制止した。


「……」

「ちょ……! な、何だよシュウ! その顔は……」

「あ……いや、別に……」


 何となく切ない表情で俺を見ていたシュウは、慌てて目を逸らす。それを見た俺は、思わず自分が口走った言葉を思い出し、青ざめた。


「あ……す、すまん、シュウ。そ……そういう意味じゃ無くて……」

「あ……いや、大丈夫。……分かってる……」

「ん? 何が『そういう意味じゃ無い』んだい、コーサカ氏?」

「だーっ! お前は黙ってろ!」


 俺とシュウの話の間に、不躾に割り込んできた小田原を一喝した――その時、

 それまで規則正しく鳴っていたキーボードのタイプ音が、バチィン! というけたたましい音を立て、俺たち三人は、思わず身を縮こまらせた。


「「「――ッ!」」」

「……ごめんなさい。あなた達……もう少し静かにしてもらえるかしら? 気が散るわ」


 俺たちが恐る恐る視線を部屋の奥へ移すと、立ち上る怒気で周囲の空気を陽炎のように揺らめかせた諏訪先輩が、鬼のような無表情で俺たちをジッと睨みつけていた。

 ――次の瞬間、俺たちは、シンクロナイズドスイミングの金メダリストも裸足で逃げ出しそうな、完璧に同期したタイミングで立ち上がり、


「「「スミマセンでしたッ!」」」


 諏訪先輩に向かって、芸術点があったら満点間違いなしな、それはそれは息の合った最敬礼をしたのであった――。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 小田原講師(・・)による英語の再試対策講座は、それから三日間、昼休みと放課後の時間を費やして行われた。

 始めた当初は、先が思いやられるとしか言いようがなかったシュウだったが、三日間ミッチリと小田原に英語を仕込まれた結果、


「……まあ、これなら、平均点は厳しいかもしれないけど、赤点は免れるだろう……多分」


 と、小田原が太鼓判を捺すレベルにまで上達した。……いや、でもこれ、言うほど太鼓判か? ……まあいいや……。


「おう! もうバッチリだ! 今の俺なら、アメリカのロンドンもひとりで歩けるぜ!」


 ……あ、やっぱり、もうダメかも分からんね……。

 早くも心に絶望の暗雲が垂れ込め始めた俺を余所に、シュウと小田原はすっかりテンションを上げて、ハイタッチなぞまでし始める始末……。

 ――と、その時、


「……ふぅ」


 長机の端から、深い溜息が聞こえ、俺たち三人は一様にビクリと身体を震わせた。


「あ……す、スミマセン、諏訪先輩ッ! う……うるさかった――ですよね……。誠に大変申し訳ございませんっ!」

「え……? あ、ああ、ううん、違うの」


 慌てて謝罪の弁を述べる俺に、諏訪先輩は苦笑を浮かべながら、(かぶり)を振った。

 そして、自分の方に向けていたタブレットの画面を俺の方に向けると、はにかみ笑いを浮かべながら言った。


「……最新話、書き上がったわ。――確認、お願いできる?」

「あ、はい! 了解しました!」


 先輩の言葉に、俺は弾かれるように立ち上がり、タブレットを受け取った。

 そして、胸を高まらせながら画面をスクロールさせて、書き綴られた文字を追っていく。

 数分後――、


「…………オッケーです。問題無いっす!」


 俺は諏訪先輩に大きく頷きかけると、彼女にタブレットを返した。

 差し出されたタブレットを受け取りながら、諏訪先輩は安堵の微笑みを浮かべつつ、『Sラン勇者と幼子魔王』の次話投稿ボタンを静かに押した。

 先輩は、もう一度大きく溜息を吐くと、


「あと……四話」


 と、呟いた。

 その呟きを耳にした小田原が、興奮で顔を紅潮させた。


「あ――あと四話で完結ですか、諏訪――星鳴先生!」

「あ、ええ。そうだけど……」


 少し身を引きながらも、穏やかに頷く諏訪先輩に、小田原は溶けた雪だるまのような顔で鼻の穴を膨らませる。


「いよいよフィナーレですね! 実に楽しみであります、ハイ! 自宅に帰ってから、ゆっくりと最新話を拝読させて頂きます、ハイッ!」

「あ……ありがとう。――っていうか、さっき、小田原くんにも読んでもらえば良かったわね、最新話」

「あ――いやいや! それは結構です~」


 気遣うように言った諏訪先輩に向かって、ブンブンと頭を横に振る小田原。

 そして、何故か誇らしげに腹――胸を張って言った。


「ボクは、星鳴ソラ先生の作品は、自室で落ち着いて読みたい派なので、後ほどじっっっくりと読ませて頂きます~、ハイ!」


 ……じっくり読んでくれるのは嬉しいんだけど、クソ長い感想は送ってくれるなよ、“蒼空翔る真なる熾天使”よ……。

 そんな事を思って、僅かに顔を引き攣らせながら、俺は諏訪先輩に声をかけた。


「どうやら間に合いそうですね、『Sラン勇者』の完結……」

「うん……おかげさまで」


 諏訪先輩は、マグカップに残ったブラックコーヒーを飲み干しながら、小さく頷く。

 と、先輩はその柳眉をひそませて、勉強疲れでグッタリしているシュウを見た。


「……あとは、工藤くんよね……」

「……ええ、まあ……」


 先輩の言葉に、俺も表情を曇らせる。

 ……確かに、シュウの古典と英語は、以前よりも格段に――とはいえ、“辛うじて赤点を免れる”レベルではあるのだが――上達した。

 が、残るもう一教科……数学Aは、まだほとんど手つかずだった。

 再試日である22日は明後日……。


「明日一日で、『Sラン勇者』の執筆をこなした上で、工藤くんに数学Aを教える……このままじゃ、明らかに時間が足りないわね

……」


 諏訪先輩は、難しい顔をして、天井を見上げた。

 俺は、藁にも縋る思いで、小田原の顔を見るが、


「……すまない、コーサカ氏。実は、ボクも数学は苦手でね。たぶん、キミとどっこいどっこいの成績なのだよ……」


 俺が口を開く前に、キッパリと断られた。

 ……俺も先輩と同じように天井を仰ぎ、途方に暮れるが、


「……よし、じゃあ、こうしましょう」

「え……?」


 諏訪先輩のサバサバした声を耳にして、戸惑いながら視線を戻す。

 シュウも、伏せていた顔を上げて、先輩の方を窺い見る。

 諏訪先輩は、眼鏡のブリッジに指を当てて、クイッと上げると、俺とシュウの顔を見回しながら言った。


「……こうなったら、工藤くんの頭に、数学Aを一夜漬けで詰め込むしかないわ。――明日は徹夜で勉強と執筆に打ち込むわよ。……いいわね」

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