交渉人 高坂晄
「! こ……この――ッ!」
人がここまで腰を低くして頼んでいるのに、鼻にも引っかけない、つれない態度で断った小田原に、俺は思わず気色ばみかけるが、軽く肩を叩かれ、ハッと我に返った。
思わず振り返ると、俺の肩に手を置いたシュウが、小さく首を横に振っている。
「落ち着け、ヒカル。……やっぱり、あの手でいこう」
「で……でも……」
シュウに促されながらも、俺は逡巡する。
……確かに、諏訪先輩からはGOサインは出ているが、正直、あの手は使いたくないんだよなぁ……。
一方、小田原は、思い悩む俺を尻目に、玉子焼きを口に放り込み、クチャクチャ音を立てながら咀嚼しながら、
「……用件は、それだけかい? だったら、さっさと行ってくれないかな? ボクはまだランチの途中で、早く食べ終えて、『ニト転』の最新巻を読み進めなきゃいけないもんでね」
そう言って、小田原は積み上げたラノベの山の一番上を箸で指した。
そこには、最近アニメ化が発表された『ニート転生~ゴミ山で窒息死したら万能聖者に転生したので、魔王を適当に弄びつつスローライフを送ります!~』の最新8巻が乗っていた。
それを見た俺は、やっと覚悟を決める。
……諏訪先輩、すみません。奥の手、使わせて頂きます!
「あ、ああ~! 『ニト転』ねぇ~。面白いよね、それって!」
苦労して口元を綻ばせながら、俺はウンウンと大きく頷いた。……まあ、ウソなのだが。
正直、良くも悪くも、いわゆる“のべらぶテンプレ”の典型である『ニト転』は、あらすじを知っている程度で、本文も序盤ぐらいまでしか読んだ事が無い。
いや……、
「――つか、『ニト転』なんかより、ウチの『Sラン勇者』の方が、圧倒的に面白いし!」
「……へ?」
「あ……」
しまった……。つい、心の声が声帯に乗っかってしまった。小田原の眉間に、みるみる皺が寄る。
……やべ、やらかした。最新巻を買うほどに『ニト転』が好きなはずの小田原の前で、『Sラン勇者』を持ち上げようとするあまりに、『ニト転』をディスる様な発言をかましてしまった……。
俺は慌ててフォローしようと舌を全力で回し始める。
「あ……いや! そうじゃなくてね! 『ニト転』もテンプレものとして読む分には全然楽しめるんだけど、『Sラン勇者』の方は、ええと……その――」
「……まあ、そうだね」
「いや! ごめん! そういうつも……あれ?」
小田原の口から出た意外な一言に、呆気に取られた俺は、思わず目をパチクリさせる。
一方小田原は、水筒を傾けてコップに茶を注ぎながら、言葉を続けた。
「確かに『ニト転』は、のべらぶテンプレに忠実なチーレム展開だから、安心して読み進められるんだけどさ。その代わりに、どうせチートで何とかなっちゃうのが分かりきってるから、緊迫感が薄いんだよね。ワンパターンだから、先の展開も読みやすいし」
「お……おう……そ、そっスね……」
毒気を抜かれた俺が、ペコペコと頷くのも意に介さぬ様子で、小田原はコップに満ちた茶を一気に飲み干し、夏の田んぼのガマガエルのようなゲップを吐くと、更に言葉を継ぐ。
「――その点、『Sラン勇者』は、確かに『Sランク』っていうチート要素はあるんだけど、それに頼らない危機の切り抜け方をするから、先が読みづらいよね。例えば、この前の更新でやった、王城攻略の方法とか、読んでて驚いたよ。まさか、城下で余ってた大量の小麦粉で、あんな手を使うなんてね……」
「お! そ……そこに目を付けるとは、お目が高い! あそこはね、ウチの母さんがホットケーキミックスを台所にぶちまけた時に思いついたネタで――」
「……何で、そこでキミの体験談が出てくるんだい、コーサカ氏?」
「あ……その……」
しまった……。あそこの展開を褒められてつい……。だって、思いつくまでにエラく苦労したんだよ、あの窮地を切り抜ける方法……。
――まあ、思わず口が滑っちゃったけど、これからの交渉の枕としては丁度良い……かな?
「……ごほん!」
俺は大きく咳払いをすると、口元を手で覆い隠しながら小田原に顔を近付け、小さな声で囁きかける。
「じゃあ……小田原クンは、『Sラン勇者』も好きなんだね……?」
「……な、何だい、急に? す……少し気色悪いよ、コーサカ氏?」
急な接近に、露骨に顔を引き攣らせて仰け反る小田原。
と同時に、俺の背後――シュウが立っている辺りの空気がピリつく気配がした。
某白い悪魔もかくやという殺気に、みるみる背中が粟立つのを感じながらも、敢えてそっちは無視して、俺は小田原に、「好きなんだよね?」と更にダメ押しする。――と、俺に気圧された様子の彼は、目をパチクリさせながら、無言で顔を縦に振った。
それを確認した俺は、満足げにニッコリと笑って、言葉を継ぐ。
「――なら、小田原クン。……君がシュウに英語を教えてやる事が、君が大好きな『Sラン勇者と幼子魔王』の完結の大きな助けになる――としたら、どうする?」
「……ハァ?」
俺の言葉に、キョトンとした表情になって、間の抜けた声を上げる小田原。――まあ、“星鳴ソラ”の正体について何も知らないのなら、当然のリアクションだろう。
だったら――、
「実は……これは、一部の人しか知らない秘密情報なんだけどさ――」
「た……タァプ・シィークリトゥ……?」
「……いちいちカタカナ文字を本場英語で発音すな」
「オゥ……サァリィ……」
「……」
俺は、ムッとした心を咳払いでごまかしながら、更に言葉を重ねた。
「――ウチの文芸部の副部長って、実は『Sラン勇者』書いてる、星鳴ソラその人なんだ」
「ふ……ふぁ……ファッー?」
……あ、そこは『What!』じゃないのね。




