恋愛、諦めが肝心……?
その翌々日の放課後。文芸部の部室にて――。
「……諏訪先輩、これが……次々話のチェック済みプロットっす……」
ともすれば、熱い接吻を交わしそうになる自分の両瞼を必死でこじ開けながら、俺は手にした原稿用紙の束を諏訪先輩に差し出した。
「ありがとう……って、高坂くん?」
「……ふ、ふぁい……?」
原稿用紙を受け取りながら目を丸くした諏訪先輩が、訝しげな声を俺にかけ、俺は欠伸混じりの返事を返す。
「にゃ……何でしょう……せんぷわい……?」
「いや、物凄く眠たそうだから、どうしたのかなって思って……」
「……Zzz」
「……おーい? ……ええと……もしもーし! 高坂くーん!」
「Zzz……ファッ?」
一瞬、意識を失っていた俺は、諏訪先輩に大声で呼びかけられ、慌てて目を開けた。
「あ……す、すみません、諏訪先輩。……一瞬、寝落ちしてました……」
「……立ったまま寝る人、初めて見たわ。――『Zzz』って言いながら寝る人も」
「……すみまふぇん」
俺は、諏訪先輩に謝るが、その語尾に欠伸が混じる。
と、諏訪先輩が立ち上がり、心配な顔をして俺の顔を覗き込んできた。
諏訪先輩の、度が強いメガネと、その更に奥の切れ長の黒い瞳が、眠すぎて半分目の開いていない、間の抜けた俺の顔を反射して映し出していた。
――と、
諏訪先輩の柳眉が、つと顰められる。
「……寝てないの? 目の下のクマが凄いわよ」
「は……はい、実は……」
……やっぱり、鋭い諏訪先輩相手には隠しきれないか――。
俺は観念して、正直に話をする事にする。
「――シュウの奴が、補習のテストで酷い点を取っちゃって……。22日に再テストになったんですけど、このままじゃ確実に赤点で……。そうなったら冬休み返上で補習の補習になっちゃうんです」
「補習の補習……それは確かに大変だけど、それと高坂くんの寝不足が、どう関係あるの?」
俺の言葉に、諏訪先輩が首を傾げた。
そんな彼女に、俺は苦笑いで応える。
「実は……。昨日の夜、俺ん家で、シュウの勉強を見てやってたんです、プロットの推敲をしながら。……それで、結局徹夜に近い感じになっちゃって。――で、ご覧の有様です」
「徹夜……?」
「――あ、もちろん、プロットのチェックは手を抜いてないですよ。確認してもらえば分かると思いますけど」
「……う、うん」
俺に促されて、諏訪先輩は原稿用紙を広げ、スラスラと目を通した。
そして、小さく頷くと顔を上げ、険しい顔をして俺を見た。
「うん……大丈夫そう。――でも、何で、徹夜なんて無茶な事を……」
「……シュウが冬休み返上の補習を食らったら、クリスマスイブの計画がおじゃんになっちゃうじゃないですか。先輩にも協力してもらう事になったあの作戦を決行する為には、シュウの補習回避は必須のイベントフラグなんですよ」
「ああ……そうなんだ……。でも――」
「それに、クリスマスイブ前に、『Sラン勇者』を完結させるっていうのも、先輩と約束しましたし……。ふたつの事を達成しないと、俺の目的が果たせないですから、少しくらい無茶をしてでも――」
「ちょ、ちょっと待って、高坂くん! それはダメ……」
「――っていうのも、あるにはあったんですけど……」
「……え?」
俺を諫めようとしていた諏訪先輩だったが、俺が言葉を継いだ事に目を大きく見開いて、戸惑いの表情を浮かべる。
そんな先輩に、俺はペコリと頭を下げた。
「――すみません、先輩。『Sラン勇者』なんですが、やっぱり、年末までの完結にしてもらっていいですか?」
「……え?」
「一日だけだったんですけど……やっぱり、プロットの推敲とシュウの“家庭教師”の二足の草鞋を履いた上で徹夜するのは、さすがに無理ゲーっていうか、普通にキツいっぽいので……。なので、シュウのテストが終わるまでは、アイツの勉強を見てあげる方に集中したいんです。アイツには、色々と借りがあるし……」
「……」
「あ、あと――」
そして、俺は断腸の思いで、その事を先輩に告げようとする。
「……例の、クリスマスイブの件ですが、忘れて下さい。――お騒がせしました」
「え――?」
諏訪先輩が、唖然とした顔をする。
「で……でも……」
「……昨日、シュウに勉強を教えたんですけど、俺の英語と数Aの教え方が全然ダメだって事に気が付いちゃって。『ああ、これじゃ赤点回避は無理だ』って悟っちゃいました」
そう言って、俺は強がる意味で苦笑いを浮かべてみせる。
「あ、シュウの覚えが悪いとか、マジメに勉強してないとかじゃないんですよ。……むしろ逆なんですが、何せ教える先生の出来が悪いんで、アイツの学力を上げるのは厳しいかな……と」
「……」
「ま、まあ! 大丈夫です! 何も、『クリスマスイブ以外で告白しちゃいけない』みたいな法律がある訳でも無いですし! これからも、正月とかバレンタイン……は無理でしょうけど、ホワイトデーとかで、告白するチャンスはいくらでも――」
「――もうっ!」
俺がペラペラと垂れ流す、自分自身に諦めさせる為の、後ろ向きに前向きな言葉を途中で遮ったのは、諏訪先輩の強い声だった。
彼女は眉を吊り上げ、その白い頬を真っ赤に紅潮させて、俺を睨みながら声を荒げた。
「何で、あなたはそんなにカンタンに諦めようとするのよ。本当は諦めきれないクセに!」
「……で、でも――」
「クリスマスイブに、早瀬さんに告白するって決めたのは、他ならぬあなた自身でしょ! 私や工藤くんを巻き込んだんだから、すぐに諦めないで、責任持って最後まで足掻きなさい!」
「あ……足掻きなさいって言っても……」
諏訪先輩の言葉に、俺は思わず反論した。
「足掻こうとはしましたよ! でも……昨日の時点で無理だってハッキリと解ったから――」
「そういう割には、全然足掻いてないでしょ?」
諏訪先輩は、俺の言い訳をバッサリと斬り捨てると、怖い目で俺をジッと見据えた。
「高坂くん……。自分ひとりで解決しようとしなくていいのよ? 周りの人に頼れば――」
「ま……周りの人って――」
俺は、諏訪先輩から目を逸らしながら、ぼつりと呟いた。
「……居ませんよ、陰キャの俺に、そんな人……」
――こういう時、いつも俺が頼って、俺に頼らせてくれるのは、シュウだった。……だが、今回に限っては、問題の当事者中の当事者であるアイツに頼る事は、当然出来ない。
シュウ以外で、俺が頼れるのは――誰も……。
「居るわよ」
諏訪先輩の一言に、俺は思わず顔を戻して、先輩を見た。
――彼女は、自分の胸に手を当てて、
「ここに、居るわ」
そう言って、大きく頷いた。
「え――、せ、先輩が……?」
「何? 不満かしら?」
呆気に取られて、思わず口から漏れ出た俺の言葉に、諏訪先輩は少しムッとした。
慌てて、俺は首を横に振る。
「あ……いえ! 滅相も無い! ……でも――」
「これでも、数Aは結構得意なの。少なくとも、高坂くんよりは上手く工藤くんに教えられると思うわよ」
「あ――い、いえ! そ……そうじゃなくて」
自慢げに胸を張ってみせる諏訪先輩に、俺は慌てて言った。
「せ……先輩だって、『Sラン勇者』の執筆が――」
「書きながら教えればいいだけでしょ? 出来るわよ」
あっさりと言ってのけた諏訪先輩に、俺は唖然とする。
……誰だ、この自信満々の豪傑みたいな人は?
俺の知っている諏訪先輩じゃ無いんですけど……!




