香澄様は告らせたい
「へぇ~、わざわざ高坂くん家に行ったんだ、香澄先輩」
俺から、諏訪先輩とハル姉ちゃんが知り合った時の話を聞いた早瀬は、眼を大きく見開きながら、首をちょこんと傾げた。
「そこで初めて香澄先輩と会ったハルちゃんは、一目でそのソシツを見抜いたんだね。さすがだねぇ」
「そ……そうなるのかな?」
うんうんと大きく頷きながら、ひどく納得している早瀬を前に、俺は訝しげな表情を浮かべる。
「いやぁ、ハル姉ちゃんの事だから、新しいおちょくり相手が来たくらいにしか思ってなかったんじゃないかなぁ……? それで、からかい半分でイメチェンしてみたら、思いの外似合っちゃってた……そんな感じなんじゃない?」
「え~、その言い方は、ハルちゃんに対するヘンケンを感じるよぉ」
「へ……偏見? そうかなぁ……」
俺は、少し不満げに口を尖らせる。
……とはいえ、ついこの間、初めて顔を合わせた早瀬は、『真なるハル姉ちゃん』を知らないのだ。――なら、ハル姉ちゃんの外面の良さにコロリと騙されてしまうのは、無理からぬ事かもしれない。
そう考えて、ついつい渋面を浮かべてしまったが、早瀬は、そんな俺の表情にも気が付かぬように、うっとりとした表情で笑みを浮かべた。
「私も見たかったなぁ、香澄先輩が目一杯おめかしをした姿……!」
そう言うと、更に眼を輝かせながら、早瀬は俺に訊く。
「高坂くんは見たんでしょ? キレイだった、香澄先輩?」
「あ……う、うん。まあ……」
好きな娘に、共通の知り合いを「キレイだった」と言い切る事に、些かの気恥ずかしさを覚えた俺は、曖昧に言葉を濁した。
だが、早瀬は俺の答えを聞くと、両掌で頬を当てながら悶える。
「あ~、やっぱりそうだったんだぁ! 見たいなぁ――」
と、暫くの間うっとりとしていた早瀬だったが、突然何かに気が付いた様子で、小さく首を傾げた。
「……でも、いくら高坂くんが熱を出して休んでるからって、家までお見舞いに行くって……行動力凄いね、香澄先輩」
「う――うん、言われてみれば確かに……」
早瀬に言われて、俺も頷く。
「まあ、その時『からかう相手が居なくてつまらないから』って言ってたし……。この部室に一人っきりっていうのは、確かに退屈しそうだよ、うん」
そう答えながらも、俺は心の中では疑問符を浮かべていた。
――俺は、諏訪先輩が来なくなった間、部室にひとりで滞在し続けた。部室でやる事も碌に無く、ひとりでボーッとするか、スマホをいじるか、ラノベを読むかくらいしかやる事が無い。
正直、退屈でつまらなく、苦痛だった。
――だが、諏訪先輩は違う。彼女はいつも、この部室で“のべらぶ”に投稿する作品の執筆をしている。退屈などと感じる暇も無いだろう。だから、別に俺が部室にいないとしても、全く差し支えは無いはずなのだ。
なら、何故、諏訪先輩はあんな事を言って、俺の家まで来たのか――?
「……もしかして」
「――え?」
考え込もうとする俺の耳朶に、早瀬の呟きが飛び込んできた。
その声で我に返り、俺は早瀬の方に顔を向けた。
「もしかしてって……何か、心当たりになる事でも?」
「……え? あ、ううん……そういう訳じゃなくてね」
早瀬は、俺の問いかけに目を丸くすると、慌てた様子で両手を大きく横に振った。
「ほんと、フッと思いついたスイソクってやつだから、全然根拠とか無いんだけど……」
「推測……? それって、どういう――」
早瀬の引っかかる言い方に、思わず俺は興味を覚えて問いを重ねる。
――だが、早瀬は慌てて首を横に振った。
「だ――ダメだよ! ホントにタダの思いつきだし……。それに、もしも、私の考えた通りだったとしたら、高坂くんにだけは言っちゃダメなやつだから!」
「ええ……?」
殊の外激しい拒絶に遭い、俺は思わず声を上げる。
しかも、何処かで誰かに、似たような事を言われた気が――。
『……それはさすがに、オレの口からは言えないなぁ――』
……あぁ、そうだ。
「何か、シュウの奴にも、同じ様な事を言われてはぐらかされたような気が――」
「え! く、工藤くんっ?」
俺の口からシュウの名前が出た瞬間、早瀬は獲物を見つけたライオンの様に眼を輝かせた。
彼女は、パイプ椅子から腰を浮かせて、俺の方に顔を寄せてきながら、ワクワクした顔で訊ねてくる。
「そういえばさ! 高坂くん、あれから工藤くんとはどんな感じなの?」
「ど……どんな感じって……ま、まあ、ふ……普通です……ハイ」
俺は、再び接近した早瀬の顔と、質問の内容、両方に胸をドキドキさせながら、しどろもどろになりつつ答えた。
早瀬の髪から漂ってくる、爽やかなシャンプーの香りが鼻をくすぐり、俺は夢の世界に居るような錯覚を覚える。
夢は夢でも、最高級羽毛布団の温もりに全身を包まれながら見る、最上のハッピードリームだ。……そんな最高級羽毛布団なんて、包まるどころか見た事もないけどさ。
――と、
そんな想いに包まれながら、この上なくだらしない顔で蕩けていた俺を前に、早瀬は頬を膨らませた。
「普通って、まだ関係は前進してないって事?」
「……え? あ! い、いや――」
早瀬の言葉に、微かな失望の響きが含まれているのを敏感に感じ取った俺は、慌てて首を横に振った。
――そして、この前シュウと話し合って立てた計画の事を思い出す。
(あれ? ひょっとして……これってチャンスじゃね?)
と、遅まきながら気が付いた。
俺とシュウが、クリスマスイブに一緒に出かけるという話をして、俺たちの事に興味津々な早瀬を誘う――。今が、その計画を実行に移す絶好の好機だ。
「あ……あの! 実はさ……」
だが、早瀬にクリスマスイブの話をしようと口を開き始めた俺は、
(……いや、待てよ?)
と、何故か引っかかりを感じて、口を噤んでしまった。
一方、何かを言いかけて黙りこくってしまった俺の事を、キョトンとした顔で見つめる早瀬。
俺は、ドギマギしながら視線を彷徨わせ――長机の上に置いたままだった『鈍感な彼女と残念な僕』の表紙に目を留めた。
その瞬間――、
「あ――!」
さっきからモヤモヤしていた件と、今現在引っかかりを感じている件が、キレイに繋がり、俺は思わず声を上げた。
早瀬が怪訝な表情を浮かべながら、心配そうに俺に尋ねる。
「……どうしたの、高坂くん? 何かあったの?」
「――え? あ! い、いや……何でもない!」
俺は、早瀬の問いかけに心臓を激しく弾ませながら、千切れんばかりに首を振った。
そして、回転させすぎて煙を吹き出さんばかりの脳味噌の中で、パズルのようにバラバラになっていた事実がどんどんとくっついていき、ひとつの結論を導き出そうとしていく。
――長机の上にわざと置かれた、恋愛小説『鈍感な彼女と残念な僕』。
――その告白シーンのページに挟まれた、諏訪先輩の字で『参考にして』と書かれたメモ用紙。
――『鈍感な彼女と残念な僕』の告白シーンと、現在俺が置かれた状況の類似。
――諏訪先輩から、この部室に呼び出された早瀬。
――放課後、諏訪先輩が口走った『何で、今日に限って二階に上がってくるのよ……』という言葉。
――そして、諏訪先輩が帰り際に俺に向かって言った『頑張って』という言葉。
……間違いない。
俺は、ひとつの結論に到り、サーッと顔面の血が引いていくのを感じた。
――間違いない。
諏訪先輩は、二重三重にお膳立てを整えていたのだ。
……今日この場で、俺が早瀬に告白せざるを得ないようにする為――!




