違う、そうじゃない……orz
「あ――へ……は……はや――早瀬……さん……?」
突然目の前に現れた彼女を前に、俺は目を飛び出さんばかりに見開きながら、まるで陸に上がった金魚のように口をパクパクさせていた。
俺は狼狽えながら、彼女の周囲を見回した。――登校してから、早瀬の周りにずっと張り巡らされていた陽キャの肉壁は、全く見当たらなかった。
俺は、登校してからずっと待ち望んでいた、早瀬と二人きりになれる状況をようやく得られたのだと悟る。
……ずっと、この好機を待っていた。
昨日、風呂に入る間、ベッドの上に横たわって、意識が無くなるまでの間、そして、今日の授業中――。俺は、クレバー且つスマートに早瀬と会話が出来るように、入念な脳内シミュレーションを重ねてきた。……結局、陽キャバリアに阻まれて実行には移せなかったが。
が、今日のアタックを諦め、下校しようと気を緩めたこのタイミングで、あまりにも唐突に訪れたチャンスに、俺は完全に不意を衝かれ、脳内のメモリはオーバーフローを起こし、フリーズしてしまった。
(――な、何で、彼女がこんな所に……?)
それしか思い浮かばない。
俺の胸の中で、大小様々のクエスチョンマークとハートマークが、飛び回り跳ね回りぶつかり回って無双乱舞している。
そんな挙動不審の見本市状態と化した俺を前に、早瀬は少し俯いたまま、もじもじとしていた。
俺たちふたりの間に、奇妙で気まずい沈黙が、重く重く垂れ込める。
……く、苦しい! 酸素を……誰か酸素をくれ……!
その鉛どころかタングステンにも等しい重ったるい空気に、だんだんと気が遠くなってくる――。
と――、
「……あ、あの……高坂くん……」
「! は――はひっ?」
急に口を開いた早瀬に、俺はビクリと身体を震わせて、声を裏返しながら返事をした。
――ああ……いかにもコミュ障丸出しな、クソダサい醜態を曝してしまった、と、俺は心の中で泣きすさぶ。
が、早瀬はそんな俺の心中にも気付かない様子で、キッと顔を上げると、
「高坂くんッ! ごめんなさいッ!」
そう叫ぶや、俺に向かって深々と頭を下げたのだった。
「…………へ?」
俺は、彼女の卵形の頭頂部を覆う艶やかな髪に思わず目を奪われながらも、暫しの間、状況が掴めなかった。
「…………」
「…………」
再び、重い沈黙が俺たちの周囲に――ええい、これでは埒が明かない!
「あ……あの、――は、早瀬さん……?」
俺は、なけなしの根性を振り絞り、縺れる唇を懸命に動かし、言葉を紡ぐ。
「……あのさ、ど……どうして謝ってるの? 何か――あったっけ……?」
「――昨日!」
俺の言葉を受けた早瀬は、勢いよく顔を上げて、短く叫ぶ。
俺は、そんな彼女の勢いに気圧されて、思わず一歩後ずさりつつ頷いた
「き、昨日……? ――ああ、き、昨日ね……うん」
「――昨日ね。話、したでしょ?」
「う――うん……」
「あの後……いえ、あの話をしている間も、高坂くんの様子がおかしいなぁと思ってて。……家に帰ってから、良く考えたの……」
早瀬は、再び俯いた。そして、もじもじしながら、その整った唇を動かし、ポツリポツリと喋り始める。
――やっべえ、恥じらう感じの仕草がすげえ可愛い……!
あ、いや、それどころじゃない。ちゃんと彼女の話を聞かないと……!
「……高坂くん。今日も、何度か私の様子を見に来てたでしょ? 何か大事な事を伝えようとしている感じで。……他の子達が居て、高坂くんの所に行けなくて――ごめん」
「へ、へ……? あ、イヤイヤ! そ……その……お構い無く!」
……お構い無くって何だよ、俺。
「……で、『何を高坂くんは伝えようとしてるのかな』って、気になって……考えて、何となく分かった気がしたんだ――。ひょっとして、私、物凄い勘違いをしちゃってたんじゃないかな……って」
「……お」
おお! もしかすると、早瀬は俺が言うまでもなく分かってくれたか! 昨日の話――俺とシュウがデキてるっつー事が、とんでもなく的外れだって事に!
俺は、大袈裟に頷きつつ言う。
「う――うん! そう! そうなんだよ!」
「……やっぱり、そうなんだね」
思わず身を乗り出す俺の様子に、困ったような微笑みを浮かべつつ、早瀬は頷いた。
ここが正念場だ! 勢いに乗った俺は、彼女に真実を伝えるべく、一気に捲し立てる。
「そ、そう! 早瀬さんが昨日言ってた――俺とシュウが……その……付き合ってるっつうか、デキてるっつうのは、全然違ってて……ほ、本当は――」
「……まだ、片想いなんだよね」
「そう!」
『君に――!』と、勢いに任せて口走ろうとした俺――だったが、
「高坂くんが、工藤くんに片想いしているだけなんだよね」
「うん、そううううううううぅええええ?」
早瀬の口から飛び出た言葉に、俺は脳内で思わずズッコケた。
は――? な、ナニヲイッテイルンダ……?
「やっぱり! そうなんだねぇ! 昨日の話が間違ってるんだとしたら、それしか無いかな~って思ってたけど、やっぱりね!」
想定の斜めどころか、次元すら超越した彼女の解釈に、思わず顎を外した俺を前に、早瀬はさっきまでの神妙な憂い顔が嘘のように、実に嬉しそうにニコニコと笑っている。
(……あーもう、マジで笑顔が可愛いな、このヤロー!)と、その笑顔に思わず見惚れて、二の句を継げなかったのが悪かった。
早瀬は、胸の前でポンと手を叩くと、ズイッと俺に顔を近づけて言った。
「――ねえ! もしも高坂くんが良かったら、なんだけど……。私に、高坂くんの恋のサポートをさせてもらってもいいかな?」
「さ……サ……サポ……サポオト?」
顔を近づけてきた彼女から漂う、髪に残るシャンプーのふろーらるな香りに意識を半分持っていかれつつ、呂律も怪しくなりつつ、俺はうわごとのように聞き返す。
早瀬はニッコリと笑って頷くと、言葉を継いだ。
「そう、サポート! 高坂くんが工藤くんに振り向いてもらう為に、私と一緒に作戦を立てたりするの! デートに誘う段取りとか、偶然に見せかけたハプニングドッキリ仕掛けたりとか!」
「い――いや、だから! そうじゃなくて……んん?」
何やら勝手にウキウキしている彼女に、そのとんでもない勘違いをハッキリと伝えようと声を張り上げようとした俺だったが――途中でその言葉を飲み込んだ。
……待てよ、さっき、早瀬は何て言った?
確か……
「――作戦を立てる……私と……って、は、早瀬と一緒にッ?」
「うん、そーだよー! ……とは言っても、私も、今まで誰とも付き合った事が無いから、そんなに偉そうなアドバイスも出来ないけどね」
早瀬は、形の良い顎を引いて頷くと、柔らかな微笑みを浮かべてみせた。
て、は、早瀬が――だ、誰とも付き合った事が――無いだってぇ? い、いや、それも重要な事だが、今はもっと超重要な事が……!
つ――つまり、早瀬が俺とシュウとの間を取り持とうとしているという間、俺は早瀬と一緒の時間を過ごす事が出来るという事なのではないか……!
……それはひょっとすると――、
「……あ。でも、もちろん、高坂くんが嫌なようだったらやめるし……。本当に、高坂くんが許してくれるんだったら――だから、その……」
「……許すも何も、ないよ」
おずおずと言う彼女の言葉を途中で遮り、俺は低い声で答える。
俺は、真剣な目で彼女を(凝視なんかしたら目が潰れるから)チラ見して、厳かに言った。
「ぜ――是非、さ、サポートを! サポートをミ……ミッチリとお願いしまっす! は――早瀬さん!」
と、土下座せんばかりの勢いで懇願したのだった――。
(……ま、まあ、良いじゃないか)
(一緒に居る時間が増えるって事は、その分、本当の事を打ち明けるチャンスも増えるって事だ。……ま、まだ焦る時間じゃあない、うん)
(そ――それに、上手くすれば、彼女との距離が縮まって、あわよくば――!)
――と、俺は、これから巻き起こる困難の数々の事を毛先ほども知らぬまま、ただひたすら、取らぬ狸の皮算用に心を躍らせていたのだった……。
(イラスト・梨乃実様)