Catch you,If I can
黒板の上に付いた四角いスピーカーから、音が割れたチャイムが鳴り始め、帰りのホームルームが終わった。
全員起立してからの礼を済ませ、クラスメイト達は、三々五々散っていく。
練習着や胴着、ラケットやスパイクで膨らんだスポーツバッグを肩にかけ、気合の入った顔つきで部活棟へと急ぐ運動部組や、すぐに荷物を纏めて、そそくさと教室を出て行く陰キャ……帰宅部組。
群れ集まって、これからの女子会の会場をどこにするか、キャピキャピとかしましい声で囀る陽キャ女子組や、ゴトゴトと机を移動し、秘かに持ち込んだ遊戯帝カードでデュエルし始める男子達――。
そんな、ざわめく教室の窓際で、俺は机の上に置いたカバンを見下ろしながら迷っていた。
――これから、自分はどこへ行くべきなのか、を。
即ち、
①これまでと同じ様に、文芸部の部室へ行き、諏訪先輩が来るまで待ち続ける。
または、
②今から二年生の教室へ向かい、諏訪先輩を捕まえる。
のふたつである。
正直、②の方法を採るのは、気が進まない。
大きな溜息を吐いた俺は、暗鬱な表情を浮かべて、天井を見上げた。
俺たち一年生の教室は、校舎の一階にあり、二年生の教室はその上の二階にある。
確か、諏訪先輩は2年B組だったはずだから、今俺が見上げている天井の真上に、彼女がいるという事だ。
だから、迎えに行くと言っても、そう難しい事ではない。教室を出て、D階段を昇れば、すぐに二年生の教室が並ぶ二階に上がる事が出来る。
だが……、
たった天井一枚隔てただけなのに、俺にとっては、日本とブラジルくらい……いや、地球圏と木星帝国くらいの距離に感じる。
何か、俺みたいな陰キャ一年生が二階になんかに上がったりしたら、頭をモヒカンにして肩パットを付けた、世紀末的にガラの悪い先輩に「通行税だ!」と脅されて、有り金全部カツアゲされるくらいの事はされるんじゃないのか……という不安が頭をもたげるのだ。
……いや、さすがにソレは考えすぎか。
でも、選ばれしコミュ障である俺にとって『二年生の教室に向かう』というのは、そのくらい難度の高いミッションに思えるのだ、マジで。
――だが、だからといって……今日も今日とて、部室にひとりきりで先輩の来訪を待ち続けるというのも、とても上策には思えない。
もう、日付は十二月に入っている。
何とか、先輩にもう一度頼み込んで、クリスマスイブに計画している俺とシュウが立てる計画に協力してもらわないと――。
いや……
それは、もういい。
そうではなく、諏訪先輩に以前のように戻ってもらって、中断している“星鳴ソラ”としての執筆活動を再開してもらわないと――。
「……違うな」
俺は、そう独り言ちると、フルフルと頭を振った。
そして、机の上のカバンを引っ掴むと、椅子を撥ね飛ばす勢いで立ち上がる。
――そんな事はどうでも良いんだ。そんな事よりも先ず、俺は諏訪先輩に謝罪をしなければならない!
あの日の俺の言動が、諏訪先輩の心を酷く傷つけてしまったらしい事は確かだ。
……そりゃそうだよな。
年頃の女性に対して、クリスマスイブの予定が無いものと決めつけて、ド厚かましいお願いを持ちかけたのだ。
そりゃあ、諏訪先輩がここまで怒るのも当然だ。……今更ながら、己の無神経さに呆れかえる。
だから俺は、何を置いても、その事を謝らなければならないんだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「え……? こ、高坂くん?」
数分後、2年C組の教室に向かおうと、D階段に足をかけた俺の頭上に、驚きに満ちた聞き慣れた声が降ってきた。
俺は顔を上げると、目を輝かせて叫ぶ。
「あ――! 居たっ、諏訪先輩!」
「――ッ!」
俺に声をかけられ、眼鏡の奥の目を大きく見開いて、D階段の踊り場で立ち尽くした諏訪先輩は――次の瞬間、三段飛ばしで階段を駆け下りてきた。
「あ――! ちょ、ちょっとぉ?」
部室で、タブレットを前にキーボードを叩いている姿しか見た事の無かった諏訪先輩が取った、それまでの勝手なイメージからは考えられないアクティブな行動に、俺はすっかり不意を衝かれた。
まんまと横を抜かれ、慌てて振り返った時には、既に諏訪先輩は一階の廊下に着地し、下駄箱に向かって走り出していた。
「な――何で逃げるんすかっ! 諏訪先輩ぃぃっ!」
そう叫びながら、俺も身を翻す。慌てて先輩の背中を追いかけるが、同じく昇降口へ向かう沢山の生徒達に行く手を阻まれる。
一方の諏訪先輩は、密集する人混みの間を巧みにすり抜けながら、どんどんと先に進んでいく。
「ちょ……ちょっと待って下さいよ、諏訪先輩――!」
呼び止める俺の声も空しく、彼女の背中はどんどんと遠ざかっていく。
人混みを掻き分けながら、ようやく俺が昇降口に辿り着いた時には、諏訪先輩は既に靴を履き替えて、外に出ていた。
「す――諏訪先輩! ゴホッ……ま、待って下さい! はな……話を、させて下さい~!」
まんまと体力不足を露呈し、息を切らして膝に手をつきながら、俺は諏訪先輩に叫んだ。
と、先輩は振り返り、俺の顔を見つめ……睨む。
「……もう! 何で、今日に限って二階に上がってくるのよ、高坂くんは……」
「へ……へ?」
諏訪先輩の言葉の意味が分からず、俺は目をパチクリさせる。
すると、先輩は俺を睨みつけたまま、腕を横に伸ばして、古ぼけた建物を指さした。
「早く! あなたは部室に行きなさい!」
「へ……? で、でも、諏訪先輩は――?」
俺は戸惑いながら、先輩に尋ねる。
――彼女は、少しだけ寂しそうな表情を浮かべて、小さく頭を振った。
「私は……帰るわ」
「な……何でですか? そんなに、この前の事を怒って――」
その問いに対して、諏訪先輩はもう一度首を横に振った。
「……別に、そんなんじゃない」
「じゃあ、一緒に――」
「……」
諏訪先輩は、俺の言葉に応えず、クルリと背中を向けた。そして、そのまま左手を上げて、俺に向けて振りながら言った。
「じゃあ、さよなら、高坂くん。――頑張って」
「え? あ――」
俺が訊き返す間も与えてくれず、こちらを振り返りもせずに彼女は歩き出す。
その背中は、どことなく――あの満月の夜に見た彼女の背中とダブって見えた。




