先輩がいない部室
……困った。
切実に困っている。
――諏訪先輩が、部活に来なくなった。
いつも、俺が行く時には必ず開いていた文芸部の部室の扉が、あの日以来、開いていなくなった。
しょうがないので、職員室から部室の鍵を借り、鍵を開けて、部室の中でコーヒーを飲んだり、スマホを弄ったり、机の上に突っ伏して昼寝をしたりして時間を潰すが、諏訪先輩は一向に姿を現さない……。
その内、下校時間となり、俺は倦怠感を感じつつ、扉の鍵を閉めて部室を後にする――そんな日が、もう一週間も続いている。
そうこうしている内に、カレンダーの紙が捲られ、世間は一年の締めくくり――12月に入っていた――。
◆ ◆ ◆ ◆
……困った。
切実に、ガチのマジに困っている。
「はぁ……」
昼休みの間ずっと、自分の席に座ってスマホとにらめっこしていた俺は、大きな溜息を吐いて、“のべらぶ”のトップページを表示していたスマホの画面を消し、目を上げた。
今日は、病院で定期検査を受ける為、シュウは欠席している。なので、久しぶりのボッチ飯&ロンリータイムを絶賛やり過ごし中なのである。
だが、こんなにも気分が浮かないのは、シュウが居ない昼休みが寂し……退屈だからだけが理由ではない。
「どうしよう……。このままじゃヤベえよなぁ……」
俺は、机の上で頬杖をついて、教室の窓から見える灰色の空をぼんやりと眺めながら、ひたすら途方に暮れていた。
――と、
「――コーサカ氏! キミは知っているかい?」
「う――わっ!」
突然、背後から声をかけられた俺は不意を衝かれて、思わず椅子から飛び上がった。
そのはずみでバランスを崩し、椅子から転げ落ちる。
「あ……大丈夫かい、コーサカ氏……?」
「い、痛つつつつ……」
ヨロヨロと立ち上がった俺は、したたかに打った腰を擦りながら、涙目で声をかけてきた奴を睨みつける。
「な……何だよ、小田原……! いきなり後ろから大声で……。ビビるだろうが!」
「あー。いやはや、それは申し訳ないね」
申し訳ないという態度を微塵も見せる事なく、小田原翔真はケロッとした顔で謝罪の言葉を吐いた。
「まあ、それはどうでも良いのだが」
「……いや、全然良くないんですけど! お前のお陰で、俺は腰を強打して悶絶してますがッ? 真摯な謝罪と賠償を要求してやるぞ、オイィッ!」
思わず声を荒げる俺だったが、小田原は涼しい顔で、俺が手に持っているスマホを指さした。
「――コーサカ氏。キミ、のべらぶを見てただろう?」
「いや、人の話を聞けよ――って、え?」
反省の欠片も見られない小田原の不遜な態度に、頭に血が上りかけたが、彼が何を言ったのかを認識した俺は、思わず困惑の声を上げた。
「……ま、まあ……確かに見てたけど……それが?」
「モチロン、キミなら気が付いていないはずがないと思うけど――」
小田原は、なぜかプリプリとしながら、大きな身振りを交えて、やけに甲高い声で捲し立てる。
「他でもない――星鳴ソラの事だよ! 今、『22ちゃんねる』でも話題になっているのを、大の“星鳴ソラ”ファンのキミが知らないとは言わせないぞ!」
「う――!」
小田原の言葉に、俺は言葉を失った。
――知らないはずがない。
いや……22ちゃんねるで、どう騒がれているかは(何となく察しはつくけど)知らないが、星鳴ソラの現状がどういう状態なのかは、嫌と言う程知っている。
……俺が今、正に頭を悩ませているのは他でもない、その件についてなのだから。
「ほら、貸し給え!」
「あ、ちょ――!」
小太りな体に似合わず、俊敏に動いた小田原の手が、俺の手の中にあったスマホを奪い取った。
俺は、慌ててスマホを奪い返そうとするが、それを小田原は、小デブのクセに巧みな動きと脂の乗った背中でガードしつつ、太い指を動かしながらブラウザを開き、22ちゃんねるのトップページにアクセスする。
しまった……。この前、『メンターキー・フライドチキン』でシュウにやられたのと同じ手を喰らった……。
奪われても操作されないよう、事前にパスワードを作成しておくんだった――と後悔しても後の祭り。
――と、忙しなく動いていた小田原の指が止まった。
どうやら、お目当てのページに辿り着いたようだ。
小田原は、「やれやれ……また増えてるじゃあないか」と独り言ちながら、その手首を返して、俺にも見えるように、スマホの画面を向けた。
「ほら……コーサカ氏。もうボチボチこんなスレが立ち始めているんだよ。……もう一週間も、星鳴ソラが作品の更新を止めているから――」
「……」
……ああ、やっぱり。
小田原が突きつけてきたスマホの画面を見た俺は、頭を伏せて嘆息した。
薄々そうなんじゃないかと思っていたが、やっぱり心配していた通りになってしまっているようだ……。
――【悲報】のべらぶ作家・星鳴ソラ、やっぱりエタりそう【信じる者は救われない】――
――【信じていたのに】星鳴ソラ、息してない【読泣ソラ】――
――【定期】読泣ソラ先生、一週間更新無し――
――【やっぱり】一体いつから――星鳴ソラ先生がエタらないと錯覚していた?【知ってた速報】――
などなど……。
スマホに映し出された『22ちゃんねる』内の『星鳴ソラ』検索該当一覧には、目を覆いたくなるような表題のスレが、ズラリと並んでいたのだった……。




