Mr.Hの悲劇は岩より重い
「でも、そっか……。進展無しかぁ……」
と、虚ろな笑いを繰り返す俺を前にして、早瀬が項垂れた。
「ごめんね……。『高坂くんの事をサポートしてあげるんだ!』って言ったクセに、全然役に立てなかったね私……」
「へッ? ……い、いやいや! そんな事無いって!」
俺は、すっかりしょげ返った早瀬の様子に、慌てて首を横に振った。
「え……ええと……。寧ろ、俺の方がゴメン!」
取り敢えずそう言って、今度は腰を90度に曲げて、早瀬に向かって深々と頭を下げた。
「早瀬さんが身体を張って、ハル姉ちゃんと羽海を引きつけてくれたから、俺とシュウが話をする時間が出来たんだよ! そんなチャンスをくれたのに、実らせる事が出来なかったんだから、俺が悪いんだって! ――だから、早瀬さんが責任を感じる事なんて、これっぽっちも無いです!」
そう――、早瀬には全く落ち度が無い。……だって、『俺がシュウの事を好きで、その想いを伝えなければならない』という前提自体が、俺が現在進行形でついている真っ赤な嘘のひとつなんだから。
更に……、シュウを――俺の事を好きだと言ってくれたシュウを巻き込んで、俺の嘘の片棒を担がせているんだ。
謝るべきなのは――俺の方だ。
「あ……あの! は……早瀬さんっ!」
気が付いたら、俺は思わず声を上げていた。こんな俺なんかの為に、シュウとの仲を取り持とうと力を尽くしてくれている早瀬に対して、心から申し訳ないという気持ちが溢れたからだ。
もう、正直に言おう。言ってしまおう――そう思った。
俺がシュウに対して抱いているという感情が嘘だという事も、俺が本当に想っているのが誰なのかも――!
「へ? ど……どうしたの、高坂くん?」
突然、大声を上げた俺に、驚いた顔を向ける早瀬。
俺は、ゴクリと唾を飲み込んで、高鳴る鼓動で頭をクラクラさせながら、早口で言った。
「あ……あの……! 俺……早瀬さんに言わなきゃならない事が……あって――」
「――言いたい、事?」
俺の言葉に、早瀬はキョトンとした表情を浮かべて、ちょこんと首を傾げる。
――ああ、そんな何気ない仕草も可愛らしいなぁ……。
って、違う違う! 早瀬に見惚れてる場合か! ――思わずぽーっとしてしまった俺は気を取り直し、大きく深呼吸をすると、ゆっくりと口を開――
「……ひょっとして、本当は迷惑だったのかな?」
「……え?」
――こうとしたら、早瀬の方に先を越されてしまった。
俺は、口元まで出かかった言葉が、のどちんこの辺りで急ブレーキをかけて止まったせいで、口をパクパクさせながら目を白黒させる。
早瀬は、俺の様子にも気付かない様子で、困り眉で顔を俯かせながら、ぽつぽつと話し始める。
「そうだよね……。せっかくの自分の恋だもんね……。自分のペースで、ゆっくり進めていきたいよね。……私みたいなのに、脇から口を挟まれたり、勝手にお膳立てを整えたりされるのは、余計なお世話。――言いたい事って、そういう事――」
「う――ううん! そ……そうじゃないって!」
項垂れる早瀬の姿を見た瞬間、俺は反射的に否定の言葉を発していた。
俺は、何度も何度も首を横に振りながら、言葉を紡ぐ。
「よ……余計なお世話だなんて思ってないよ、全然! 寧ろ……本当に有り難いなぁ――って」
「……そう、なの?」
「そう、だよっ!」
懐疑的な目で見る早瀬に、俺は力強く頷いてみせた。
「ほ――ホントに助かってるよ! 早瀬が一生懸命、俺の為に考えてくれててさ。こ……心なしか、だんだんとシュウとの距離が近付いてきている様な気が……するよ、ウン!」
俺は、引き攣った笑みを顔面に貼り付けつつ、大袈裟に何度も頷いてみせた。……心の中に居るもうひとりの俺が、『口からでまかせ言ってねえで、キチンと正直に言えよコノヤロー!』と連呼しているのを、頑なに無視しながら……。
俺の言葉を耳にした早瀬は、その顔を上げた。縋る様な目で、俺の顔をじっと見つめてくる。
いつも無邪気で明るい早瀬が見せた、弱々しい表情に、思わず俺は、ドキドキと胸を鳴らす。
「……ホント?」
「ほ……ホントホント!」
俺は、良心がチクチクと痛むのを感じながらも、それをひた隠しにして、偽りの笑顔で何度も頷いてみせた。
すると、俺の笑顔に安堵したのか、早瀬の顔も綻んだ。
「……そっか! そうなんだ! じゃあ、ちょっとずつ前進してるんだね、高坂くんと工藤くん!」
「う……うん……」
キラキラと瞳を輝かせて、俺の顔を覗き込んでくる早瀬の顔を直視できずに、微妙に目を逸らしながら頷いてみせる。
そんな俺の後ろめたい様子にも気付かぬ様子で、早瀬はいつもの明るい笑顔を取り戻した。
「じゃ、私は、ちゃんと高坂くんの役に立ってるんだね! ……良かったぁ~!」
「う……うん、も……モチロンです、ハイ……」
「……じゃあ、さっき口にしかけた、私に『言わなきゃならない事』って……何?」
「え……えと――」
早瀬の問いかけに、俺はキョロキョロと落ち着かなげに目を泳がせる。
「そ……それは……」
「それは?」
「……」
今、俺の中では、
『ほら! 今が最後のチャンスです! 正直な気持ちを彼女に伝えるのです!』
と励ましてくる、白い布を身体に巻き付け、頭の上に光る輪っかを乗せた俺と、
『いいのか? ここで正直にゲロッちまったら、今までコツコツと積み上げてきた、早瀬の信頼はおじゃんだぜ? その上で、コイツに告る気か? そんな、今の今まで自分を騙くらかしてた奴の告白されて、コイツはどう思うのかねえ?』
と嫌みたらしく嗤う、真っ黒な全身タイツを着て、矢印の形をした尻尾をピョコピョコと揺らす俺が、互いに喚き立てていた。
「……それは……」
俺は、最悪な不協和音を奏でるステレオ幻聴に苛まれ、頭を痛めながら決断を迫られる。
そして、意を決して言った。
「それは――……」
◆ ◆ ◆ ◆
「じゃあね、高坂くん! 駅まで送ってくれてありがとうね!」
早瀬は、ポケットから取り出した定期入れを改札に翳しながら振り返り、空いた方の手で、俺に向かって手を振った。
「あ……うん。気をつけてね……」
俺も、ぎこちない笑いを浮かべながら彼女に向かって手を振って、軽快な足取りでホームへの階段を下るその背中を見送る。
そして、彼女の姿が見えなくなったと同時に、俺は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
「……言えなかった」
俺の口から、後悔の言葉が漏れる。
――そう。結局、言えなかった。
あの時、俺の口をついて出てきたのは、彼女に対して嘘をついていた事に対する告白でも、彼女に対する想いの告白でもなく――既に天高く聳え立つ、嘘で固めた堅固な城の外壁を、ますます分厚く上塗りする、更なる嘘だった。
そして、その嘘を、彼女は実にあっさりと信じ込み、ニコリと笑って言ったのだった。
『ありがとう! 私、もっといっぱい頑張るね! 高坂くんの想いが、一日も早く工藤くん通じる様に――!』
……違うんだ。俺が想いを伝えたいのは――!
――そう思っても、後の祭り。
彼女に俺の本心を伝える為に越えねばならぬハードルは下がるどころか、上がった上に増えてしまった。
「はぁ~……ホント何やってんだろ、俺……」
と、俺は独り言ちると、駅の改札前の壁に身体を凭せ掛け、髪の毛を両手でわしゃわしゃと掻き乱す。
駅通路を通る人たちが上げる、しゃがみ込んだ俺の事を訝しむ声が耳に入るが、最早そんなモンは、どうでも良かった。
――俺の頭の上では、呆れ嘆く天使が肩を竦め、したり顔を両手で覆い隠した悪魔が肩を震わせていたのだった……。
今回のサブタイトルの元ネタは、CHAGE&ASKAのアルバム『RED HILL』の一曲、『Mr.Jの悲劇は岩より重い』です。
CHAGEボーカルのコミカルな曲ですが、特に独身の男性には、『結婚』というものが怖くなる曲かもしれませんねぇ(笑)。
曲中の『男は一時間後を 女は一年後を 考えてる』という歌詞の意味……解ると、背筋が凍りますネ……。
因みに、今回の最後の一節は、この曲の歌詞の
『天使の嘆きと 悪魔の微笑む姿も知らずに』
をもじってます(笑)。




