幸せのアイロニー
「……で、話って何なのさ、ヒカル」
トイレで用を足し、スッキリした顔でドアを開けたシュウが、水で濡れた手をズボンで拭きながら、俺に訊いてきた。
「え……えと……話……うん……」
シュウに訊かれて、俺は視線を宙に舞わせながら、言葉に詰まった。
そんな俺の様子を見たシュウは、苦笑いを浮かべる。
「……その様子だと、早瀬に『チャンスだよ!』だ何だってケツを叩かれて、アイツの手前、とにかくオレを呼び出してみたって感じか」
「……うん」
シュウの鋭い指摘に、俺は小さく頷く。
「ご迷惑をおかけします……」
「いやぁ……まあ、いいんだけどさ」
シュウは、困った様な顔で、鼻の頭を掻きながら言った。
「オレは、お前と早瀬をくっつける為に、あえてアイツの誤解に付き合ってやってる訳だからな。気にするな」
「――って、それなんだけどさ!」
シュウの言葉に、俺は思わず声を上げた。……そういえば、シュウに訊きたい話、あるじゃないか!
俺は、真剣な表情で、シュウの顔を見つめながら尋ねる。
「お前さ……、そもそも、何で今日、早瀬を呼んだんだ? そもそも、お前と早瀬って、そんなに接点無いだろ? ……俺関係を抜きにしたら」
「何で早瀬を呼んだんだって? ――そりゃモチロン、お前と早瀬を付き合わせる為のサポートだよ。さっきも言ったじゃん」
事も無げに答えたシュウに、俺は困惑しながら、更に問いを重ねる。
「いや……おかしいだろ? だって、お前は、俺の事が……その……アレじゃんかよ!」
面と向かって言うのは恥ずかしすぎるので、ぼかしたが、俺が言いたい事は、シュウに充分に伝わったと思う。
シュウは、一瞬複雑な表情を浮かべると、困り笑いをしながら頷いた。
「まあ……そうだな。うん」
「ほ……ほら! おかしいじゃん! 何で、す……好きな奴と、お前にとっての恋敵をくっつけようと動いてるんだよ、お前は……?」
「いや、全然おかしくねえじゃん」
シュウは、俺の言う事に対し、あっさりと首を横に振る。
そして、つと表情を引き締めると、真剣な眼差しで俺の顔をじっと見ながら言った。
「……好きな相手の倖せを願う事の、どこがおかしいんだよ?」
「……っ!」
シュウの言葉を聞いて、俺は思わず呼吸を止め、目をまん丸にして、その顔を見返す。
そんな俺を前にしたシュウは、頬を真っ赤に染めながらも、一片の曇りも無い真っ直ぐな瞳を俺に向け、力強い口調で言った。
「……確かに、俺はお前の事が好きだ」
「うぇ……う、うん」
ド直球な言葉に、思わず俺は妙な声を上げかけたが、シュウの真剣極まる顔に気が付くと、慌てて言葉を呑み、躊躇いがちにおずおずと頷いた。
シュウは、更に言葉を継ぐ。
「……でも、お前は早瀬の事が好きだ」
「……うん。――あ! いや、でも!」
頷きかけた俺は、慌てて頭を振った。
「お……俺は、お前の事も好きだぞ! でも……俺の“好き”は、お前の“好き”とは違う意味の“好き”なんだよ……ごめん」
「……分かってるよ、ヒカル。オレはちゃんと分かってる。別に咎めてる訳じゃあない――お前が謝る事なんてないよ」
シュウは、俺の言葉を聞くと、穏やかな笑みを浮かべて言った。
「まあ、そんな訳で――オレは男だし、お前も男。そして、早瀬は女だ。……だったら、オレと早瀬、どっちがお前を幸せに出来るかなんて、言うまでもねえだろ?」
「……」
「――だったら、オレは精一杯、ふたりの仲を取り持つ事にして、お前の想いを叶えさせてやる。そして、ヒカルが幸せになってくれれば、オレはそれで満足だ。――そう考える事に決めたんだ」
……『考える事に決めた』って……。
それじゃまるで――!
「しゅ、シュウ! おま――」
「だからさ」
シュウは、俺の言葉を遮る様に言葉を重ねた。
「お前も、頑張って早瀬にアタックしろよ。お膳立てなら、いくらでも手伝ってやれるけど、実際にお前が動かないと意味ないんだからな」
「……う、うん……」
シュウの吐いたド正論に、俺はぐうの音も出せずに、頷くしかない。
そんな俺の頼りない返事に、シュウは呆れた様子で肩を竦めた。
「そんな頼りない顔をするなよ。前から言ってるだろ? お前は、もっと自分に自信を持っていいってさ」
「そ……そうは言ってもさぁ。相手は、あの早瀬だぜ? 思いっ切り勘違いされたまんまだし……」
「じゃあ、先ずはその勘違いを解くところから始めればいいんじゃねえの?」
「あーもう。そんなのは俺も分かり切ってるんだけどさぁ。そんなカンタンに言うなよ……」
俺は、頭を抱えた。
「第一、俺と早瀬の唯一の共通項が、その勘違いなんだから……。その誤解を解いちゃったら、俺と早瀬との接点も切れちゃう訳じゃんか……。そうなったら、前みたいな、他人同士に戻っちゃうだけなんじゃないか……?」
「そうかぁ?」
激しく首を横に振りながら捲し立てた俺を前に、シュウはキョトンとした顔をして首を傾げる。
「いや、『そうかぁ?』 って……」
「オレは、結構脈はあると思うけどなぁ、お前と早瀬」
「そ……そうかぁ?」
シュウの答えに、今度は俺がキョトンとする番だった。
「シュ、シュウ……! 俺を慰めるつもりか何かなのか知らないけど、そ……そんな、根拠も無い事を――」
「根拠はあるさ」
シュウは頭を振ると、ニコリと微笑みを浮かべて答える。
「――考えても見ろよ。いくら、オレとお前の仲を勘違いしてて、その関係を進展させたいなぁ~って思ってるっていっても、わざわざせっかくの日曜日に、他人のオレの退院祝いにやって来るもんかよ?」
「う……!」
シュウに言われ、俺は思わずハッとした。言われてみれば……。
「た……確かにそうだな……」
「案外、オレたちの仲云々は二の次で、本当はお前に会えるから来たのかも知れないぜ?」
「そ! そう――かな……?」
シュウの言葉に、やにわに俺の心臓は拍動を早める。……ひょっとしたら、そう――なのかな?
「――そうだよ。多分な」
シュウは、やけに自信ありげに頷いた。そして、どこか寂しそうな表情を浮かべながら、言葉を続けた。
「だから、お前ももっと積極的に攻めていけよ。それで、さっさと幸せになってくれ。それで……このオレの気持ちに、さっさとトドメを刺してくれ」
「シュ、シュウ……」
「――さもないと」
と、突然シュウは俺の肩に腕を回してきた。――当然、俺の顔とシュウの顔が、息が届く距離まで近付く。
ビックリした俺は、目を見開いて硬直するしかない。
――そんな俺を尻目に、シュウは声を顰めて囁いた。
「……オレの気が変わって、本気でお前をオトす事にするかもしれないから――な」




