連ションの計
「はいよ、野菜全部のせ豆腐付きとカレー大盛りと五目ごはんお待ちー」
「はい、妹ちゃんのカルピスソーダと、お姉さんのパリパリサラダ、あと、ポン酢でーす」
パシリの俺と、それを手伝ってくれた早瀬は、お盆に載せたオーダー品を、各々の前に並べ始める。
「晄くん、ごめんね、ありがとう」
「おー、悪いな、ヒカルー」
「うーん、ちょっと少なくない? もう少し春菊多めの方が――」
「文句言うなら、自分で行けよ……」
素直にお礼を言ってくれた工藤親子に対して、遠慮会釈為しにクレームをつけてくる母さんを睨む。
「『親しき仲にも礼儀あり』って言うでしょうが。感謝の言葉って大切だよ」
「うんうん、確かにそうよねぇ。……で、そういうヒカルは、いっつも家事を頑張ってる母さんに、日頃から感謝の言葉をかけてくれてるのかしらぁ?」
「……イツモアリガトウゴザイマスオカアサマ」
貫通力抜群の切り返しを食らって、ぐうの音も出ない俺は憮然としながら、棒読みで母さんへの感謝の言葉を述べた。
一方、
「あ、その……ありがとう……ござい……ます……」
屈託のない笑顔を浮かべた早瀬から、シュワシュワと泡立つ白い液体で満たされたグラスを手渡された羽海は、頬を染めながら、ちょこんと頭を下げながら、辿々しくお礼を言い、
「おー、ありがとう! いやぁ、こんな可愛らしいお嬢さんに用意してもらったポン酢で食べる肉は、さぞかし美味い……痛ダダダダ!」
すっかりだらしなく鼻の下を伸ばして、早瀬からポン酢を受け取った父さんは、般若の如き笑みを浮かべた母さんに脇腹を思い切り抓られて悲鳴を上げ、
「きゃー、ありがとー、ゆっちゃーん! あと、私の事は、『お姉さん』じゃなくて、ハルちゃんって呼んでね♪」
ハル姉ちゃんは、いつもの調子でヘラヘラと笑う。
ハル姉ちゃんの気さくな申し出に対し、早瀬がどう反応していいのか分からないという様な困り笑いを浮かべていたので、俺は、
「あ、ハル姉ちゃんの事は、ハルちゃんでいいよ。身内以外に『お姉さん』って呼ばれると、年増感感じて嫌なんだってさ」
と助言してあげる。
早瀬は、俺の言葉にホッとした様な笑みを浮かべ、頷いてハル姉ちゃんに応える。
「はいっ! 分かりました、ハルちゃん!」
「そうそう! 素直で良い娘ねぇ、ゆっちゃん!」
「……居酒屋でグダ巻いてるおっさんかよ。だから、年増って……」
「――何か言ったかしら、ひーちゃん?」
「イエッ! 何も言っておりませんであります、軍曹殿ッ!」
俺の呟きを地獄耳で聞きつけたハル姉ちゃんに、殺気の籠もった目で微笑みかけられた俺は、慌ててピンと背を伸ばして敬礼する。
――と、
「……と、私、もう一回あっち行ってくるね。いいのを見付けたから!」
自分の席の前に、ごはんを盛った茶碗を置いた早瀬がそう言った。そして、俺に向けて思わせぶりに片目を瞑ってみせた。
「……え、か、かわ……て、な……何……? い――いいもの……?」
俺が、突然の早瀬のウインクにドギマギしている間に、彼女はハル姉ちゃんと羽海に声をかけていた。
「あ、ハルちゃんと妹ちゃんも一緒にどうですかー? とっても面白いのがあったんですよ~」
「え……? な、何……?」
「へー、何何? 面白いものって~?」
いきなり誘いかけられて、目を丸くして身構える羽海と、興味津々といった様子で目を輝かせるハルねえちゃん。
そんな二人に向かって、早瀬はにんまりと笑うと、
「えへへ~。面白いっていうか、美味しそうっていうか……それは、行ってみてのお楽しみですー」
と、二人を手招きする。
「お……美味しそう……?」
羽海は、『美味しそう』というワードの方に心を惹かれた様子で、
「しょ…しょうがないわね。美味しく……面白くなかったら、承知しないんだからっ!」
と、言葉とは裏腹に、ウキウキした様子で席を立つ。
ハル姉ちゃんも「じゃあ、私も行く~!」と、年甲斐もなく……ゴホンゴホン! ……無邪気な声を上げて立ち上がった。
そして、姉妹はクルリと俺の方に振り返って言った。
「じゃあ、ちょっと、ゆっちゃんの言う“面白いもの”っていうのを見てくるね。ひーちゃん、その間にお肉煮ておいてね!」
「……そこの豆腐、アタシが育ててるヤツだから、絶対に食うんじゃねえぞ、愚兄!」
「あーはいはい。オーケーイ、我が命に代えてもぉ~」
俺は、姉妹の言いつけに、適当に相槌を打ちつつ、ふたりの背後に立つ早瀬が、軽くウインクしてサムズアップするのを見ていた。
(健闘を祈るよ、高坂くん!)
……という事らしい。
やれやれ……。
早瀬は、さっきふたりで立てた作戦通りに、厄介な姉妹をシュウから引き剥がした。
――次は、俺の番だ。
現在、我々の作戦対象は、暢気な顔をしてカレーを無心に掻き込んでいる。
そして、本作戦で、俺が果たすべき役割とは――!
「……お、おい、シュウ」
取り敢えず、鍋で泳いでいた豆腐を掬い、ごまだれに浸けて食ってから、俺はスックと立ち上がり、カレー皿を置いて鍋に箸を伸ばしたシュウに向かって声をかけた。
「んむぐ?」
シュウは、カレーで頬っぺたをリスの様に膨らませた顔で、俺を見上げる。
俺は、精一杯に平然を装い、親指で店の奥を指さしながら言った。
「ええと……、ちょ、ちょっと、あっちの方に行こうぜ!」
「……あっち?」
シュウは、突然の俺の提案に怪訝な顔をして、首を傾げた。
「……何で?」
「……ええと……あの……そ、そりゃあ……」
当然と言えば当然すぎるシュウの問いかけに、俺は言葉を詰まらせた。とにかく作戦通りに、シュウをテーブルから離れさせる事だけを考えていて、その理由付けまでは考えていなかった……。
しどろもどろな俺を前に、シュウは更に訝しげな表情を深める。俺が親指で差した方を見て、不思議そうな様子で、俺に尋ねた。
「あっち……って、あっちにはトイレしか無いぜ?」
――トイレ! それだぁっ!
シュウの一言に天啓を受けた俺は、一気に捲し立てた。
「そ……そうだよ! トイレ! 一緒にトイレに行こうって言ったんだよ、俺はっ!」
「トイレ……何で?」
「そ――そんなの、お前と一緒にしたいからに決まってんだろ!」
「――ぶふぉっ!」
俺の絶叫を聞いた瞬間、シュウが盛大に噎せた。
初めのうちは、何故、突然シュウがカレーを喉に詰まらせたのか分からず、キョトンとしていた俺だったが、遠くの方で「きゃっ! 高坂くんったら……!」という早瀬の黄色い声が聞こえてきた瞬間、俺は、シュウが今の言葉をどういう意味で取ったのかを把握した。
「あ! いや! ち……違うっ!」
俺は、顔面から血の気が引くのを感じながら、慌てて首と両手を振りまくった。
「い――今のは、そういう意味じゃなくって! その……つ、連れション! そう! 連れションに行こうぜ! ……って、そういう意味だから! 連れションしたいだけ、な!」
「晄……飲食店で、そのワードの連発はちょっと……」
すっかりテンパって、捲し立てる俺を見かねて、父さんが声を顰めて諫める。その声に少し我に返ると、周囲の喧騒がパタリと止んでいるのに気が付き、俺はさっきとは違う意味で青ざめた。
「あ……その……ご、ごめんなさ……」
「よし、分かった、ヒカル!」
すっかり狼狽して、ドン引きしている周囲の客達に頭を下げようとした寸前、シュウが勢いよく立ち上がり、俺の声を遮った。
「実は、丁度俺も行きたいと思ってたところだったんだ! ヒカル、一緒に行こうぜ、連れションに!」
「――!」
殊更に“連れション”を強調したシュウの声に、再び周囲が凍りついたが、シュウはそれを屁とも思わない様子で、俺の二の腕を掴んだ。そして、俺を引きずる様にして、店の奥――トイレの方へズカズカと歩いていく。
その途中、声を顰めて、俺にだけ聞こえる様にして言った。
「――まったく。ふたりきりで話がしたいんだったら、はじめっからそう言えよ、ヒカル」
「……ごめん」
シュウの紛う事なき正論の前に、俺はペコペコと頭を下げ続けるしかなかった……。




