パシれヒカル
90分の食べ放題制限時間も半ばを過ぎた頃――、
「あ、私、ちょっと、ごはんのおかわりしてくるね」
そう言って、空になった茶碗を持った早瀬が席を立った。
「あ……、う、うん。行ってらっしゃい」
俺が、少しキョドりながらそう言うと、早瀬はニコリと微笑み、頷いた。
「うん! 行ってきまーす」
……うわぁ。
何だこの多幸感……。実に自然なやり取りじゃあないか?
――まるで、出掛けようとする早瀬を、玄関で見送るみたいな……!
「……愚兄、キモい」
テーブルの向こう側で、眉間に皺を寄せた羽海が、嫌悪感に満ちた視線を、俺に向けていた。
「……」
妹のジト目に気まずさを感じた俺は、目を逸らしてごまだれに浸した肉を頬張る。
と、
「――ヒカル。カレー、おかわり!」
「……はぁ?」
満面の笑みで、空になったカレー皿を俺に突き出したシュウの顔を、眉を顰めた俺は睨んだ。
「やだよ……何で俺が、お前のおかわりを取ってきてやんなきゃなんねーんだよ。カレー食いたきゃ、自分で取ってこ――」
そう捲し立てた俺だったが、シュウが思わせぶりに目配せをするのに気付いて、口を閉ざす。
シュウの目配せる先に目を遣ると――ほくほく顔で、サラダバーコーナーの横にある炊飯器の蓋を開ける早瀬が居た。
「……そういう事かよ」
俺は、シュウの意図を察して小さく息を吐き、シュウの手からしぶしぶ皿を受け取る。
「分かった。大盛りごはんにごまだれぶっかけてきてやるよ」
「ええ~、ひでえなぁ。そんな意地悪しないでよぉ、ヒカル~」
「……あー、はいはい、ごめんなさいねえ。じゃあ、ごまだれじゃなくてポン酢にしてやるからな」
俺の言葉にヘラヘラと笑うシュウを冷たい目で睨むと、俺は腰を浮かせる。
と、
「あ、ひーちゃん! ついでに、パリパリサラダもお願ーい」
「……愚兄! カルピスソーダ持ってきて!」
「行くんだったら、ポン酢だれを頼むよ、晄」
「じゃあ、いっしょに春菊とか白菜とかもお願いね、ヒカル!」
ここぞとばかりに、俺にリクエストをしてくる高坂家一同。
「だーっ、何だよ! みんなして俺をパシリにしやがって!」
俺はさすがにムカッとして、頬を膨らませる。
すると、一斉に放たれる、家族達の猛反撃。
「え……? 違うの? へぇ~、お姉ちゃん初耳だわぁ。……ドレッシングはシーザーでね♪」
「愚兄は愚兄らしく、大人しくカルピスソーダ持ってこいっ! あ、氷は三つで!」
「何だよ、たかがポン酢ひとつでぶーぶーと。父さんは、お前をそんな小さい男に育てた覚えは無いぞ! ……そうだ。ポン酢に、もみじおろしも忘れるなよ!」
「そうよ。ここは快く引き受けるくらいじゃないと、昨日の子に呆れられちゃうわよ。――あ、お豆腐もお願いね」
「あ――もう! 分かったよ! ……つか、最後! 諏訪先輩は関係無いでしょうが!」
俺は、家族からの容赦ない言葉に、辟易しながら叫ぶ。……つかコイツら、どさくさ紛れに、ちゃっかり注文のグレードを上げやがった……。
と――、
「あ――晄くん」
席の一番奥から、おばさんが気の毒そうに声をかけてきた。
「……大丈夫? 大変そうだけど……」
「……おばさん」
血も涙もない自分の家族どもとは違って、俺に労りの言葉をかけてくれたおばさんの優しさに、思わず感動を覚えた。
俺は、ニッコリと笑うと大きく頷いて答えた。
「いえ、ゼンゼン大丈夫っす! ありがとうございます。……おばさんだけっすよ、心配して――」
「あ、大丈夫なら、私にも五目ごはんのおかわりをお願いしてもいいかしら? 出来れば、おこげのところで……」
「…………はい喜んで――!」
……引き攣った笑顔で、おばさんの手から茶碗を受け取りながら、俺は二度とぬか喜びはしまいと、心に固く誓ったのであった。
◆ ◆ ◆ ◆
「あれ? 高坂くんもおかわりしに来たの?」
両手にカレー皿と茶碗とグラスを持って、虚ろな表情でサラダバーにやって来た俺を見た早瀬は、しゃもじでごはんをよそいながら、ニコリと微笑んだ。
その目映い笑顔に、俺の顔も思わず緩む。
「あ~、うんまあ……そんなトコ。とは言っても、九割方はアイツらのパシリだけどね……」
そう言って、テーブルの方に顎をしゃくってみせる。
「あー、そうなんだ。大変だねえ……」
俺の困り顔で事情を察したらしい早瀬は、気の毒顔をしたかと思ったら、左手を口に添えて、くすくすと笑い出した。
俺は思わず憮然とする。
「何だよ、ひどいなぁ……そんなに笑う事も無いじゃないかよ……」
「ふふ……ごめんごめん」
早瀬は、そう言いながらも、愉快そうに笑い続ける。
「何か……羨ましいなぁって思って」
「う……羨ましい? どこが……?」
早瀬から出た意外な言葉に、俺は戸惑いを覚えて、思わず訊き返した。
彼女は、「うん、羨ましい」と言って、コクンと頷き、言葉を続ける。
「……私は一人っ子だから、兄弟とか居ないんだよねぇ。親も共働きで忙しいから、あんまり顔を合わせる時間も無いし」
「あ……そうなんだ……」
「うん」
初めて聞く、早瀬の家庭の話に目を丸くした俺に、彼女はもう一度頷いた。
「……だから、今みたいに、みんなで集まってわいわい言いながら一緒にごはんを食べるのが珍しくてさ。……楽しいなぁって、本当に思って……だから、羨ましいなぁって」
「あ……そ、そうか……なあ?」
早瀬の言葉に、俺は複雑な表情になる。
「でも……は、早瀬さんはそう思うかもだけど……姉妹がいるっていうのは、そんなにいいものでも無いよ。上からは、事あるごとにからかわれたりおちょくられたりするし、反抗期まっただ中の下からは、愚兄だ何だと罵倒されるわ、容赦なくプロレス技をかけられるわ……」
「それは、高坂くんがひとりになった事がないからだよ」
そう言うと、早瀬は穏やかな笑みを浮かべた。そして、首を廻らし、相変わらずハル姉ちゃんと羽海に絡まれているシュウを見た。
「……多分、工藤くんも、私と同じだと思うよ。居心地がいいんだよ。高坂くんの家族のみんなと――高坂くんの隣が……ね」
「……早瀬……さん?」
「――何言ってんだろ、私……」
早瀬は、ハッとした顔をすると、照れ隠しのように頭を掻いた。
そして、俺に向かってペコリと頭を下げる。
「と……ごめん、高坂くん。――私、高坂くんのサポートするって言っておきながら、今日は全然サポートできてないよね」
「……へ? さ……サポート……?」
「そ。工藤くんとの仲を――ってやつ」
「あ……ああ~……」
今度は、俺が苦笑いする番だった。
「あのぉ……その件は……」
「本当にごめんね! 工藤くんの隣に居る、高坂くんのお姉さんと妹ちゃんの間に入り込む隙が無くて……! 今から頑張って、高坂くんと工藤くんが二人っきりになれるようなお膳立てをするから、高坂くんも頑張るんだよ!」
「え……ええと……その……」
熱を帯びた声で熱弁する早瀬を前に、口ごもる俺だったが、
「がんばろー!」
「う……うん! がんばろーっ!」
彼女の熱意には逆らいがたく、顔を引き攣らせながら、サラダバーの真ん中で早瀬と一緒に気勢を上げるのだった……。




