シャブシャブ★ラ★バンバ
晴れて退院したシュウとおばさんと俺たち高坂家、それに早瀬を加えた八人は、二台の車に分乗して、父さんが昼食の予約を取っているという、『しゃぶしゃぶバイキング しゃぶ華』へと向かった。
『しゃぶしゃぶバイキング しゃぶ華』は、駅前通り沿いにある、しゃぶしゃぶチェーン店である。
建物の作りは典型的なファミレスのそれだが、外観や内装は、シックな和風のデザインとなっている。
このチェーン店の、他のファミレスとは一線を画する特徴は、店名からも分かる通り、定額でしゃぶしゃぶ食べ放題だという事だ。
更に、各種ドリンクバーやスープバーにサラダバー、果てはカレーやソフトクリームメーカー、それにかき氷器まで完備してあり、90分の時間内であればいくらでも取り放題・食べ放題なのである。
「はい、シュウちゃん! お肉どうぞ~」
「このお豆腐も良く味が染みてるわよ。……お肉だけじゃ、バランスが悪いからね~」
「何よ、お姉ちゃん! 邪魔しないでよッ! アタシやシュウちゃんは育ち盛りだから、肉ばっかりでもいいんだよー。お姉ちゃんとは違ってね!」
「ふ……ふええ~! シュウくぅん、うーちゃんがひどいよぉ~! 実のお姉ちゃんの事を、年増だっていぢめるよぉ……」
「あ……お、おのれお姉ちゃんめ! アタシの挑発を逆手にとって、泣き崩れるフリをしてシュウくんにくっつくとは……! ――負けるかぁっ!」
「え……ええと、食べ辛いんすけど。悪いんだけどさ……」
ウチのバカ姉妹に、両脇からがっしりとしがみつかれ、シュウは困惑しながらも、モリモリと肉と野菜を口に運び続ける。
そして、満面の笑みを浮かべて叫んだ。
「あ――ッ! 美味えなぁ、オイ! ずーっと薄味の病院食ばっかりで飽き飽きしてたんだよ、オレ~! 肉サイコー! 豆腐もカレーもサイコー! 五臓六腑に染み渡らぁ!」
「うふふ。そうだと思って、しゃぶしゃぶにして良かったわ。時間内食べ放題だから、どんどん食べてね、シュウ君!」
シュウの前でグツグツと湯気を立てるしゃぶしゃぶ鍋に、流し込むように真っ赤な牛肉を投入しながら、母さんが満面の笑みを浮かべる。
「そうそう! 今日は君の退院祝いだ。好きなだけ食べなさい、秀君! ……ただし、時間内でな」
父さんも、山盛りにしたカレーを頬張りながら言った。
そんなウチの両親に、おばさんが恐縮した顔で頭を下げる。
「本当にすみません。……ウチの子の為に、わざわざこんな事までして頂いて……」
「はっはっはっ! 工藤さん、どうかお気になさらず! 秀君には、ウチの息子が一方ならぬ世話になっていますからな! これくらいはさせて下さい」
「そうですよぉ。もう、シュウ君は、半分以上、我が家の一員ですからねぇ。うふふ……」
と、父さんと母さんが、ペコペコと頭を下げるおばさんに言うと、何故か、ウチの姉妹が揃って顔を赤らめる。
「まあ……母さんったら! シュウくんが家族の一員だなんて、まだ気が早いわよぉ……二年くらい、キャッ!」
「……え? あと六年の間違いでしょ、お姉ちゃん? ――だって、アタシまだ十二歳だもん」
頬に手を当て、クネクネと科を作りながら顔を赤らめるハル姉ちゃんに、羽海は眉間に皺を寄せながら訂正を促す。
「……あァ?」
「あァ?」
と、剣呑な雰囲気を醸し出しながら、シュウを挟んでメンチを切り合い始める姉と妹。
だが、話題的にも位置的にも渦中にあるシュウは、両脇でメラメラと燃え盛りぶつかり合う女の情念にはまるで気付かぬ体で、一心不乱に肉を頬張り続けていた――。
「……」
俺は、頬を引き攣らせながら、テーブルの対面の修羅場を傍観していたが、
「……高坂くん、お腹空いてないの? 箸が止まっちゃってるよ?」
「! ひゃ、ひゃいっ!」
傍らからかけられた声に、激しく身体をびくつかせた。
「大丈夫? お肉取ってあげようか?」
心配げな表情で、横から俺の顔を覗き込んでくる早瀬。その顔の近さに、俺は激しくドギマギしながら、ぎこちなく頭を上下に振る。
「あ……! い、いえ! だだだ大丈夫ッ! 食べてます美味しいですおかわりしますハイッ!」
「そっか……。なら、いいんだけど……」
彼女は、不審すぎる俺の様子に、訝しげに小首を傾げながら、透明な澱粉麺を啜った。
俺は、早瀬に言われてしまったので、とりあえず、置いたままにしていた箸を手に取ったが、その箸の先は所在なげに、宙に漂うままだった。
――丁度昼飯時、腹が減っていないと言えば嘘になる。目の前に並ぶ牛肉の鮮やかな赤身も如何にも魅惑的だし、煮えたぎる鍋の中でユラユラと踊る肉や野菜達も絶対に美味いに違いない。
が……全く食欲が湧かない。
だって……そりゃそうだろう?
目の前には、俺が好きだと言いながら、俺が好きな娘を招いてくるという、矛盾に満ちた行動を取り、何事もなかったかのようにしゃぶしゃぶを満喫している男が座り――、
俺の左隣には、そいつと俺の恋を成就させようとする気満々の、俺の憧れの人が座っているのだ。
――到底、落ち着いて飯など食える環境ではない。
と、
「――はい、どうぞ~」
「……へ――?」
突然、声をかけられて、俺はハッと我に返った。……いつの間にか、また難しい顔をして考え込んでしまっていたらしい。
――ん? どうぞ……? って、何が――?
俺は、咄嗟に目を手元に落とし、薄茶色のごまだれしか入っていなかった筈の椀の中に、こんもりと肉と野菜が盛られているのに気が付いた。
……ん? と、いう事は――!
俺はカッと目を見開くと、顔を左に向ける。
――そこには、はにかみ笑いを浮かべた早瀬の顔があった。
「ほらぁ、また箸が止まってるよ、高坂くん。男の子なんだから、いっぱい食べて、ね~」
「え! は? 早瀬さん? 早瀬さんが……これ……」
「……だって、放っておいたら、いつまで経っても食べそうになかったんだもん」
そう言うと、早瀬はちょこんと首を傾げて、上目遣いで俺の顔を覗き込む。
「……さっきから、高坂くん、元気ないから。ちょっと心配で……」
「し――し、心配ぃっ?」
――早瀬が、俺の事を、し……し……心配してくれている――だとッ?
俺の心に、何とも言えない熱いものがこみ上げる。
と、俺の表情を見ていた早瀬の表情が強張った。
「……高坂くん? やっぱり、具合が悪い――」
……どうやら、感極まった俺の表情が、物凄く不気味に見えたらしい。本気で心配した早瀬の声色に、俺は慌てて首を横に振った。
「え! い、いいや! 全然! ゼンゼンへーキだからッ! いや~、美味しそうだなぁ! いただきまぁぁあす!」
そう叫んで、俺は、お椀の中の肉と野菜を、一気に口の中に掻き込み――、
「……ん! んんッ? 熱ぢぢぢ!」
――煮立ったお湯の中からよそわれたばかりの熱々の肉と野菜で、口の中を火傷した。
「あ! こ、高坂くん! 大丈夫っ?」
「……ふぁ、ふぁふぃふぁふぉう、ふぁやふぇふぁ――熱ぢぢぢぢぢぢぢぃぃぃぃい!」
口を押さえてのたうち回る俺の様子に、すっかり狼狽した早瀬から渡された、熱々のお茶を一気飲みして、更に悶絶しながらも――俺の心は、至上の幸福に満たされるのだった……。




