煉獄への扉
「え……デー……?」
「は……ハル姉ちゃんンン?」
突然、とんでもない事を口走ったハル姉ちゃんに、俺は声を裏返した。
つか、いきなり何つー爆弾を炸裂させるねん、我ェッ!
「「で、デートォッ?」」
……ほら、食いついた。そういう話が気になってしょうがないふたりが……。
「あらあらあらぁ! じゃあ、あなたが、あの時の話で出てきた、ヒカルが一緒に出掛けるって言ってた女の子なのねぇ。あらまぁ、可愛らしいお嬢さ……ん……?」
「お……お前が、ウチの愚兄を色仕掛けでたらし込もうとしているっていう、ハヤセとかいう女なのかよ! ふ……フン! 確かに、可愛い……ん……?」
母さんの満面の笑みと、羽海の眉を吊り上げた顔が、同じタイミングで凍りついた。
ふたりの視線は、彼女の身体に吸い寄せられている。
俺もつられて、早瀬の格好を改めて見直し、二人の表情が固まった原因を悟った。
――今日の早瀬は、ピンクのトレーナーに、膝にハートのアップリケが付いた七分丈のジーンズ姿だった。まあ、一言で言うと……安定のダサさである。
とはいえ、前々回の臓物柄Tシャツや、前回の厨二感満載のファー付きロングコートよりはマシである(当社比)。――と思ったのも、彼女の胸元に注目――あ、いや、決してそういう意図では無く、ね――するまでの短い一瞬の間であった。
彼女のピンクのトレーナーにプリントされていたのは、鎌を持って、頭から黒いフードを被った――どこからどう見ても、紛う事なき死神の格好をしたイケメンのイラストと、それを囲うように意匠された『Knockin' On Heaven's Door!』というアルファベットの羅列……。
――死神の絵に、『天国への扉』という英文……。もしかしなくても、病院には相応しくなさ過ぎる。
一瞬、時が止まったかのような静寂が、病室を包み込んだ。
そして、引き攣った笑いを浮かべた母さんが、おずおずと早瀬に尋ねる。
「ええと……か、カッコいいトレーナーね、それ。それって――」
「あ! 分かりますか? これは、エンゲツさんていう、『Death-TINY』っていうBえ――」
「あーっ! そ、そんな事はどうでもいいからぁ~っ!」
俺は慌てて声を張り上げ、すんでの所で、早瀬の口から『BL』という禁断の言葉が出るのを食い止めた。
すると、
「そうそう! そんな事よりさぁ!」
意外にも、ハル姉ちゃんが、俺の言葉に賛同した。
だが、(助かった……)と安堵したのも束の間、
「でさ、さっきの続きなんだけどね! あなたとひーちゃんって、どういう関係なのかしらぁ?」
「が――ッ?」
自分がまったく助かっていない事を思い知らされる。
「な……なななななに言ってんの、ハル姉ちゃん! お……俺と早瀬は、そんな――」
「あ、ごめーん、ひーちゃん。今はひーちゃんにじゃなくて、早瀬さんに訊いてるのぉ」
「ぐ……!」
早瀬とハル姉ちゃんの間に挟まり込もうとしたが、ハル姉ちゃんが俺に向けてきた威圧満々の笑顔を前に、その身体と舌は、金縛りに遭ったかのように動かなくなってしまう。
一方、
「えっと……高坂くんと、私の関係ですか?」
目をパチクリさせながら、早瀬が首を傾げた。
「ええと……普通のお友達ですけど……」
「……」
当たり前と言えば当たり前の答えに、当たり前のように俺の心は沈む。
一方のハル姉ちゃんは、訝しげに眉根を寄せた。
「え~、隠さなくっていいよぉ。ホントは付き合ってるんでしょ~?」
「……付き合う?」
早瀬は、ハル姉ちゃんの言葉に、その大きな目をパチクリさせた後、クスクスと笑いながら、フルフルと首を横に振る。
「えへへ、違いますよ~。だって、高坂くんには、ちゃあんと他に好きな人が居るんですから――ね!」
そう言うと、早瀬は俺の方を横目で見て、片目を瞑ってみせた。
「ふ――ファッ?」
早瀬の言葉に愕然とした俺は、顎が外れたように言葉を喪う。
「え? ……あ、ああ~、成程ねえ~!」
そして、この場に居合わせた女性陣は、早瀬の言葉に、それぞれ黄色い声を上げた。
「あらまぁ。あの晄くんも、もうそんな年齢になったのねぇ……。おばさん、歳を感じちゃうなぁ……」
と、早瀬の言う『俺の好きな人』が、よもや自分の息子だとは思いも付かないおばさんは、脳天気な感慨に耽り、
「なあんだ。昨日は、あんな事を言ってた癖に、やっぱり、そういう事だったのねぇ……」
「なかなか隅に置けないわねぇ、ウチの子も……ふふふ」
ハル姉ちゃんと母さんは、勝手に納得してほくそ笑み、
「ちょ、ちょっ、愚兄ッ! う……ウソでしょ? アンタに……お兄ちゃんに好きな人がいるなんて……!」
羽海は、何故か涙ぐみながら、俺の胸をポカポカと力無く叩いてくる。
「……はぁ」
俺は、そんなカオスな渦の中心で立ち尽くしながら、乾いた半笑いを浮かべるしかなかった……。
と、その時、
「……おお~い、まだか? ずっと待ってるんだけど……」
すっかり焦れた顔をした父さんが、入り口からひょこりと顔を出した。
「そろそろ予約の時間だから、ボチボチ出ないと間に合わないぞ」
そう言って、腕時計に目を落とす。
その言葉に、母さん達はハッとした顔をして、慌て始める。
「あ、そういえば! ウッカリしてたぁ~!」
「どうしよう! あと一時間も無いじゃん! ……っていうか、この人どうするの? 予約って、七人で取ってるんでしょ?」
そう言って、羽海が早瀬を指さすが、ハル姉ちゃんが妹を安心させようとするかのように、ニコリと微笑って言った。
「うーん、まあ、大丈夫でしょ、多分。……いざとなったら、今回お父さんには遠慮してもらって――」
「は――はあ? ちょ、待て遙佳! そもそも、あそこの予約を押さえたのは父さんだぞ! いくら何でも、それは無い……」
「いざとなったら、よ! 大丈夫だって……多分!」
「多分って、そんな適当な……って、その娘さんは誰だ? ――ひょっとして、秀くんの彼女さんか!」
「あ……違うっすよ、おじさん。その子は、早瀬って言って――」
「ああもう! そんな事を説明している時間は無いっていうの! 後はお店に着いてからっ!」
混乱の坩堝にあった場を、母さんが締めた。皆はその声に弾かれるように、早足で続々と部屋から出ていく。
「……ちょ、待てよ、シュウ!」
俺は、膨らんだバッグを右肩に担いで、出口に向かおうとしていたシュウを呼び止める。
シュウは足を止めると、ゆっくりと俺の方に顔を向けた。
「ん? 何だヒカル?」
「……何だじゃねえよ!」
屈託の無い笑顔を浮かべたシュウに、俺は声を押し殺しながら囁いた。
「……どういうつもりだよ? 早瀬を呼んだりして……!」
「……そりゃモチロン、お前の為だよ」
「お――俺の……?」
一瞬だけ間を置いて紡がれたシュウの言葉に、俺は戸惑いの声を上げる。
そんな俺に向けて、シュウは複雑なものが混ざった笑みを見せる。
「いや……お前の為と言うよりは、オレの為だな……」
「え……?」
「――せっかく、このオレがチャンスを作ってやったんだ。ビシッと決めろよ、色男」
「シュウ――」
「頑張れよ」
俺が言いかけた言葉も聞かずに、シュウは俺の胸を軽く小突くと、大股で部屋を出ていく。
その背中を呆然と見送るしかなかった俺は、口をへの字に曲げるしかなかった。
「……何だよ、アイツ。……一体、何を頑張れって――」
「――高坂くん!」
「ひゃ、ヒャイッ!」
完全に油断していたところに、突然背後から声をかけられた俺は、魂消て声を裏返らせる。
慌てて振り返ると、ニッコリ笑った早瀬の顔が、目の前にあった。
「は――早瀬……さんっ? ま、まだ、部屋に――」
「高坂くん……私、頑張るから!」
「……は、はい?」
熱く意気込みを語る早瀬の顔を凝視しつつ、気圧された俺はたじろいだ。
早瀬は、目を白黒させている俺にはお構いなしに、その猫のように大きな瞳を輝かせながら言葉を継ぐ。
「私……この絶好のチャンスに、高坂くんの気持ちが工藤くんにちゃんと届くよう、精一杯頑張ってサポートするから! 高坂くんも一緒に頑張ろッ!」
「あ……ああぁ~……」
早瀬の言葉を聞いた俺は、思わず天井を仰いだ。
……そうだった。こっちは変わらず、そういう設定のままだった――。
「おぉ~い、どうしたのぉ? 行っちゃうよ~」
「――あ、はーい! 今行きまーす」
廊下からかけられた声に返事をして、早瀬は俺を手招きした。
「ほら、高坂くん、急ご!」
「あ……うん。はい……」
俺は、顔を引き攣らせながら早瀬に向かって頷くと、鉛のように重い脚を引きずるようにして歩き出す。
俺とは打って変わった、軽やかな足取りで先を行く早瀬の背中を見ながら、俺は長い長い溜息を吐いた。
――俺が好きなのは早瀬で、
――早瀬は、俺が好きなのはシュウだと勘違いしていて、俺の恋を成就させようと頑張る気満々で、
――シュウは、俺が早瀬を好きなのを知ってて、俺にチャンスを与える為にお膳立てして、
――でも、シュウは俺の事が好き。
俺は、両手で髪をくしゃくしゃにかき混ぜながら、もう一度天を仰いだ。
「はぁ~……。こんなん、俺に一体どうしろって言うんだよ……神様さぁ……!」
サブタイトルは、当初『Knockin' On Hell's Door』にしようとしたんですが、もう既に、複数の同名の曲があったので、泣く泣く和訳の『煉獄への扉』に変更しました。
……みんな、考える事は同じなのね(笑)。




