表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
62/217

ヒカルしっかりしなさい

 「……ただいま」

「あ! お帰り~!」


 重い足取りで、やっと家に帰ってきて、ドアを開けた俺を、ハル姉ちゃんの脳天気な声が迎えた。

 ドタドタと足音を立てて、勢いよくリビングの方から半身を出したハル姉ちゃんが、期待に目を輝かせながら、俺に訊いてきた。


「意外と早かったねえ。――で、首尾はどうだったのかい?」

「……何だよ、首尾(・・)って……」


 俺は、ジト目を姉に向けると、手を洗いに洗面所へ向かった。

 ハル姉ちゃんは、その後をついてきながら言う。


「そりゃあね……スミちゃんとどうだったのかなぁ~、ってさぁ」

「別に……何にも無えよ」


 俺は、蛇口を捻りながら、ぶっきらぼうに答えた。


「なぁんだ、つまんないの~」

「……何を期待してたんだよ、全く……」


 俺は、眉を顰めながら、鏡に映るハル姉ちゃんの顔を睨んだ。と、ハル姉ちゃんの口元が、三日月の形になる。


「うふふ、そりゃあね……。ウチの可愛い弟が、オトナの階段を昇っちゃう的な……ねえ」

「あら! 昇っちゃったの! ちょっと、ハルカ! すぐにお父さんにメールしないと! 『諦めてた内孫が見られそうよ!』って!」

「昇ってねえよッ! ……つか、諦めんの早すぎだろ、内孫ォッ!」

「え? 冗談抜きに期待しちゃって良いの、内孫?」

「……善処します」


 話があらぬ方向に逸れ、俺は辟易しながら、はしゃぐ母さんとハル姉ちゃんを押し退けると、大股でリビングに向かう。

 と、晩ご飯が並んだテーブルの前に座った羽海が、上目遣いでおずおずと声をかけてきた。


「ぐ……愚兄! あ……アンタ、あのネクラ女とそういう関係に――!」

「だーっ! 羽海(おまえ)もかよ!」


 俺は、女三人の質問波状攻撃ジェットストリームアタックに、思わず声を荒げる。


「だーかーらっ! 俺と諏訪先輩の間には、そういうアレは無いっつってんだろうが! あと、“ネクラ女”は、いくら何でも失礼だぞ、羽海!」

「――ッ!」


 俺が怒鳴ったのが意外だったのか、羽海はその目を大きく見開き、金魚のように口をパクパクさせていたが、言い返す言葉が見つからなかったのか、ぷうと頬を膨らませて黙り込んだ。

 と、俺に続いてリビングに入ってきたハル姉ちゃんが、会話に割り込んでくる。


「――でもさ、正直、どうなのよ?」

「あ? 何がだよ?」


 殊更に不機嫌さを露わにして、訊き返す俺に、にやりと笑いかけて、ハル姉ちゃんは言う。


「イメチェンした後のスミちゃんを見て、ひーちゃんはどう思った?」

「ど……どう思った……って……」


 ハル姉ちゃんのド直球な問いに、俺は言葉を詰まらせる。


「そりゃ、物凄く変わったなぁ、って――」

「それだけぇ? 『可愛いなぁ』とかは思わなかったのぉ?」

「か! ……可愛いというか、綺麗だなぁとは……」

「はい! ひーちゃんの『綺麗だなぁ』頂きましたぁ~!」


 俺の答えに、まるで自分の事のように表情を輝かせるハル姉ちゃん。俺は、顔を真っ赤にする。


「ちょ! な、何だよっ! そんな大袈裟な……!」

「えー、全然大袈裟じゃないよぉ」


 俺の言葉に、ハル姉ちゃんは、立てた人差し指を振って、「チッチッ」と舌を打つ。……腹立つなぁ。英国紳士かよ、その仕草……。


「女の子に対して、ひーちゃんからそういうカンタン詞が出てくる事自体、画期的な事なのよ。あなたにも、ようやく人並みの感情が芽生えてきたのね……お姉ちゃん、嬉しいよ~」

「弟を、人の心を知らない、哀しきロボットや人造人間みたいに言うんじゃねえ」


 俺は、ムッとしながら呟いた。

 と、ハル姉ちゃんは、俺に重ねて訊いてきた。


「――で、それは、ちゃんとスミちゃんに言ってあげたのよね?」

「え……?」


 俺はドキリとして、さっきまでの事を思い出し――首を横に振った。


「……い、言ってない……けど……」

「マジでぇ~ッ?」


 俺の言葉に、ハル姉ちゃんは大袈裟に仰け反った。

 そして、心底呆れたとばかりに、クソでかい溜息を吐きながら、フルフルと(かぶり)を振った。


「うわ、かわいそう~! それは、スミちゃんかわいそうだわぁ~! いや、ヒくわぁ。自分の弟ながら、ヒくわぁ~ッ!」


 そう大袈裟に嘆くと、廊下の母さんに向けて叫んだ。


「ちょっと、聞いた~? お母さぁん、ダメだよぉ。ひーちゃん、女心がまるで全然分かってなぁい! やっぱり、内孫とか、諦めといた方がいいかも~」

「えー、そうなの? もう、お父さんにメール送っちゃったわよ~」

「い……」


 いや、そこまで言わなくてもいいだろうが! つか、メール送るの早いなオイ!

 ムッとした俺は、ハル姉ちゃんに言い返そうとするが、上手い言葉が見つからない。

 ……いや、違うな。

 多分、俺は、心の奥ではハル姉ちゃんの言葉に同意してるんだ。だから、言い返したくても言い返せない……そういう事なんだろう。

 確かに、一言でもいいから、きちんとした感想を、諏訪先輩にかけてあげるべきだった。渋谷まで行って、あんなに気合の入った格好をして――。


「……て、そういえば……」


 そこまで考えて、俺の頭に素朴な疑問が浮かんだ。


「なあ……ハル姉ちゃん……」


 俺は、浮かんだ疑問を、ハル姉ちゃんにぶつけてみる。


「諏訪先輩、物凄いイメチェンっぷりだったけどさ……。そのお金ってどうしたの? 美容院代とか、服代とか、化粧品代とか……結構バカになんなかっただろ?」

「あー、それね」


 俺の問いに、ハル姉ちゃんは、小さく頷いて答える。


「そうねえ、確かに結構かかったわよ。大体、トータルで五万円くらいかなぁ」

「ご……五万んっ? ね……ハル姉ちゃんが出したの、そんな大金?」


 俺は仰天して、思わず声を上ずらせるが、ハル姉ちゃんは、笑顔で首を横に振った。


「ううん。私じゃないよぉ。あ、モチロン、ちょっとは出したけどね」

「じゃ、じゃあ……諏訪先輩が――?」

「ううん。違うよぉ」

「へ……?」


 ハル姉ちゃんの答えに、俺は当惑して首を傾げた。

 ――と、ハル姉ちゃんは、ニヤリと悪い笑みを浮かべた。


「お金はねぇ……お母さんに頼んで、ひーちゃんのお年玉口座から引き落としてもらった分で払ったんだよ」

「は……はぁ……? ……ん? ――は? はあああああああッ?」


 ハル姉ちゃんの言葉の意味を、脳内で咀嚼し、15秒かけて漸く理解した俺は、目を飛びださんばかりに見開いて絶叫した。

 俺は、激しく取り乱しながら、素知らぬ顔で夕食の準備に戻ろうとする母さんに食ってかかった。


「ちょ! な……何で! 何で諏訪先輩のイメチェンの為に、俺のお年玉口座の金を下ろすねんッ!」

「え……えと……それは……」


 俺の、仁王も斯くやという形相を前に、母さんは顔を引き攣らせながら答える。


「あれは……ヒカルの将来の為に積み立ててた貯金なので……。『絶対に、ひーちゃんの将来の為になるから』って、ハルカが言うから……」

「何じゃそりゃぁあ~っ!」


 母さんの話を聞いた俺は、目を剥くと、今度はハル姉ちゃんの方を向いた。


「な……何で! 何で、諏訪先輩のイメチェンが、俺の将来の為になるっていうんだよ!」

「そりゃあ、モチロン……ねえ」


 ハル姉ちゃんは、俺の剣幕にも怯む事なく、ニヤニヤ笑いを浮かべたまま答える。


「ゆくゆくは、ひーちゃんとスミちゃんが――」


 ♪ピロポロピ ピロポロピ……


 ハル姉ちゃんの言葉は、突然鳴り出した固定電話の着信音に遮られた。


「あー、はいはーい!」


 俺の追及から逃れるチャンスだとばかりに、母さんが小走りで電話の元に駈け寄り、受話器を取った。


「もしもし、高坂でございます。……あ、どうもどうもー! こちらこそお世話になってます~。……いえいえぇ! 今回は大変でしたねえ。…………いーえぇ! それは全然お気遣いなく~。……え? あら、そうなんですかぁ。……」


 リビングに、電話用に1オクターブ高くなった、母さんの声が包む。

 さすがに、電話の着信中に口喧嘩をする訳にもいかないので、俺は憮然とした顔のままで黙り込む。

 ――母さんの声は続く。


「……まぁ、それは良かったですねぇ。…………ああ、明日の2時ですか? ……ええ、あ、丁度三人とも居るんで、聞いてみますねえ。……ああ、これからごはん食べるところだったんですけど……いいえ~、全然大丈夫ですよ~。ちょっと待ってて下さいねえ」


 そう言うと、母さんは、受話器を耳から離し、送話部を掌で覆いながら振り返った。

 そして、俺たち三人の顔を見回しながら、嬉しそうに尋ねる。


「ねえ。みんな、明日の予定は空いてる?」


 唐突な質問に、俺たちは戸惑いながら、互いの顔を見合わせた。

 羽海が、俺たちを代表して母さんに訊き返す。


「明日……? 何かあるの?」

「そうなのよ!」


 母さんは、羽海の問いに嬉しそうに答えると、手に持った受話器を指さしながら言った。


「今ね、シュウ君のお母さんから電話がかかってるんだけどね。――シュウ君、明日退院するんだって! それで、『良かったら明日の退院に立ち会ってくれませんか?』って誘われてるけど……あなた達、どうする?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ