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今夜月の見える帰途に

 その後、うちの母さんとハル姉ちゃんから、しつこく夕食に誘われた諏訪先輩だったが、彼女は「家族が心配してしまうので」の一点張りで、ふたりの誘いを頑なに固辞した。

 そして、ひとりで帰ろうとした諏訪先輩だったが、ハル姉ちゃんが、「女の子ひとりっきりで夜道を歩かせるつもりなの?」と俺にプレッシャーをかけてきた。

 ――そういう時(・・・・・)のハル姉ちゃんの圧に、俺ごときが抗えるはずも無い。まあ……正直、今の姿の諏訪先輩なら、ハル姉ちゃんの懸念も、あながち間違ってはいないと思う。


 ――という訳で、街灯がポツポツと灯る夜道を、駅に向かって、俺と先輩は歩いていた。


「……高坂くん、もう大丈夫よ……?」

「あ……いえ。途中で別れたとか言ったら、ウチの母さんとハル姉ちゃんに何言われるか分からないんで……」


 気を遣った諏訪先輩の言葉に、俺は苦笑を浮かべながら首を横に振った。


「なので、俺を助けると思って、駅までは見送りさせて下さい」

「あ……うん。ごめんね」


 そう答えると諏訪先輩はニコリと微笑み、俺はその笑顔にドキリとしてしまう。

 俺は慌てて、諏訪先輩の顔から目を逸らすと、星の瞬く晩秋の空を仰いだ。

 おかしい……どうも、調子が狂う。

 ――まあ、原因はハッキリしているんだが……。

 俺は、横目でちらりと、傍らを歩く諏訪先輩を盗み見る。

 やや俯き気味で、コツコツとショートブーツの靴音を立てながら歩く彼女は、今日の昼までとは見違えていた。

 ただ、髪を切って染めて、服を替え、薄いメイクをしただけで、ここまで変わるものなのか――?


「……女って、凄いな……」

「……? 何か言った?」

「あ――! い……いや、その……」


 思わず口の端から漏れた呟きを、諏訪先輩に聴き留められてしまった俺は、焦って目を白黒させる。


「そ、その……今のはですね――ええと……」


 と、俺は、諏訪先輩の抱える大きな紙袋に気が付いた。オサレなイラストがプリントされた大きな紙袋は、パンパンに膨らみ、いかにも重そうだった。

 ――丁度良い。あの紙袋で、話を逸らそう。

 咄嗟にそう考えた俺は、紙袋を指さし、諏訪先輩に言った。


「……あ! す、諏訪先輩! その袋、重そうですね。駅まで俺が持ちますよ!」


 そう叫んで、紙袋に手を伸ばそうとするが、


「――ダメッ!」

「あ――」


 思いの外、激しい拒絶に遭い、俺の手は空を切った。

 諏訪先輩は、顔を真っ赤にして、紙袋を隠すように身を屈めたが、上目遣いで俺を見て、小さな声で謝ってきた。


「あの……ごめんなさい。気遣ってくれて嬉しいんだけど……この中には、来る時に着てた下着とかも入ってるから……」

「ふぁっ! し……した――」


 そういえば……ハル姉ちゃんが、『下着も全部取っ替えた』みたいな事を言ってた……。


「あ! お……俺こそスミマセンッ! デリカシー無くって!」


 顔から炎が噴き出るのを感じながら、ブンブンブンブンと、デスメタルバンドのヘッドバンキングもかくやとばかりに、激しく上下に頭を振った。……多分、今の俺は、先輩と負けないくらいに顔を真っ赤にしているんだと思う。

 ――すると、


「う、ううん! 私もごめん! 高坂くんが、私相手にそんな事を考えてる訳が無いっていうのは分かってるんだけど……反射的に――」


 諏訪先輩も、俺と同じように、ペコリペコリと頭を下げ返す。そして暫くの間、俺と諏訪先輩は歩道の真ん中で、まるで何かの競争をしているかのように、頭を下げ合っていた。

 5分くらい、そうしていただろうか……。


「……先輩……もう止めましょう……」


 通りかかったチャリのおっさんがすれ違いざまに、俺たちの方を三度見して、電柱に衝突したのを見た俺が切り出し、ようやく“頭の下げ合い競争”はゲームセットとなった。勝者は……んなモン知らねえよ。


「……行こっか」

「……はい」


 俺たちは、無駄な疲労感と、何とも言えない虚しさを得て、言葉少なに、再び駅に向かって歩き出した。


「……」

「……」

「…………」

「…………」


 ……き、気まずい――。

 ただ黙々と駅に向かって歩を進めるだけの空気に、俺は耐えられなくなった。

 いつもの諏訪先輩相手だったら、部活の事や、のべらぶの“星鳴ソラ”作品の事などで、いくらでも話題を捻り出せるのだが……、今の“諏訪先輩・改”を前にすると、何故か思考がロックされたようになってしまって、言葉が口から出てこないのだ。


 ――この感覚には、覚えがある。


 ……そう、早瀬と会った時も、こんなもどかしい思いを抱いていた。顔を見る――いや、傍らに気配を感じるだけで、まるで脳味噌が金縛りに遭ってしまったように働かなくなる……。

 これは一体……何なのだろうか……?


「あ……あのっ!」


 とにかく、沈黙したままなのは憚られたので、俺は無理矢理に声をひり出した。

 俺の声を耳にした諏訪先輩は、俺の方に顔を向け、微かに首を傾げる。


「……なに、高坂くん?」

「あ……え、……えーと……その……」


 声を出したはいいが、その先の話題をまるで考えていなかった俺は、当然のように言葉に詰まった。


「え……えとですね――あはは……え――」


 俺は、しどろもどろになりながら、何とか会話のネタになるものがないかと、目をキョロキョロと目まぐるしく動かす。

 ――と、

 暗闇に沈む鉄塔の横に煌々と輝く満月が目に入った俺は、反射的に指さし、大声で言った。


「――あ、ほ、ほら! 見て下さい! 月が綺麗ですよ!」

「――えっ?」


 ……あれ?

 諏訪先輩の、ひどく戸惑い、驚いた様子の声を耳にした俺は、奇妙な既視感を覚えて、目をパチクリさせた。

 そして、何とも言えない“やっちまった感”をじんわりと感じつつ、恐る恐る、今発した己の発言を思い返してみる。


『――あ、ほ、ほら! 見て下さい! 月が綺麗ですよ!』

『――見て下さい! 月が綺麗ですよ!』

『――月が綺麗ですよ!』

『月が綺麗』

「……あ」

『“月は、出ているか”ぁ――――ッ!』

「あ……ああああああああああああ――っ!」


 いきなり、脳内ビジョンにシュウが現れ、次の瞬間、あの時(・・・)の場面が鮮やかにリバイバル再生された。――俺は思わず恐慌の叫びを上げる。


「こ――高坂くんっ? だ……大丈夫……?」

「ああああ! い、いや、ち、違うんです、今のはアアア!」


 突然叫びだした俺を案じて近付いた諏訪先輩に、俺は慌てて釈明した。


「あ……あの! 『月が綺麗』っていうのは、あくまでも、あそこで光ってる本物の月に対する感想であって……。け、決して、夏目漱石がナンチャラカンチャラとかいう、そういう遠回しな……比喩的な意味でのアレでは無くってですね――!」

「……ぷ、うふふふ……」

「……へ?」


 キョドりまくって、アタフタと言い訳する俺を前に、口元を手の甲で押さえながら、クスクスと笑い出す諏訪先輩。

 俺は、当惑して、目を(しばた)かせる。


「ふふ……大丈夫よ、高坂くん。私は別に、さっきの『月が綺麗』を、そんな意味には取ってないわよ」

「あ……」

「……だって、私は、あなたにちゃんと好きな人が居るって知ってるし……。誤解なんて……しないわよ」

「……」


 ……何でだろう? 微笑みながら話す諏訪先輩の様子は、その表情や口ぶりとは裏腹に、ひどく寂しそうに見えたのだ。

 と――、


「……高坂くん、ありがとう。お見送りは、ここまででいいわ」

「え――?」


 突然、諏訪先輩がそう言って、俺に向かって手を振った。

 俺は一瞬呆気に取られ、慌てて彼女に言う。


「あ……いえ。駅まで――」

大丈夫(・・・)

「――!」


 俺の申し出を途中で遮った諏訪先輩の言葉の中に、断固とした拒否の意志が潜んでいるのを感じ取り、俺は二の句が継げなくなった。

 先輩は、困り笑いといった感じの表情を浮かべると、


「……ハルちゃんさんに、私がありがとうございましたって言ってた……って伝えてね、高坂くん」


 と、俺に向かって言った。

 そして、俺が呆然としながらも頷いたのを見た諏訪先輩は、「よろしく」とニコリと微笑むと、


「……じゃあね、また明後日。学校でね……」


 そう告げ、背を向けて、それっきり振り返らずに、スタスタと駅に向かって歩き出す。


「…………」


 そして俺は、諏訪先輩の背中が小さくなっていくのを、歩道の片隅で立ち竦んだまま、ただただ見送るだけだった――。

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