妹は反抗期?
そして、週末――土曜日がやって来た。
ハル姉ちゃんが指定していた午前十時のきっちり五分前に、玄関のチャイムが鳴る。
「おはよう……ございます」
「あ……お、おはようございます、諏訪先輩……」
ぎこちなく挨拶する諏訪先輩に、俺もつられて緊張しながら頭を下げた。
――この前、見舞に来てくれた時は制服姿だったので、諏訪先輩の私服姿を目にするのは、何気に初めてである。
先輩は、茶色の白いブラウスの上にクリーム色のカーディガンを着て、茶色のボワッと膨らんだロングスカート、足元は少しへたったスニーカーを履いていた。
……うぅん、正直、パッとしない。
早瀬のブッ飛んだセンスのコーディネートを見た時のようなインパクトは無いが、逆に、地味すぎて印象が薄く感じる。――まあ、元々影が薄くて目立たない、諏訪先輩らしい格好と言えばそうなのだが……。
「あー! いらっしゃーい、スミちゃぁん!」
俺の後ろから、黄色い声で諏訪先輩を迎えたのはハル姉ちゃんだ。
「って、五分前じゃない! 偉いなぁ~、私なんて、頑張っても三十分後集合だよぉ」
「……いや、それはイカンだろ」
サラリと問題発言をかました姉をジト目で睨む俺。
ハル姉ちゃんは、そんな俺の視線を華麗にスルーし、ニコニコと微笑みながら、諏訪先輩に言った。
「あ、でも、ごめんねぇ。まだ、お化粧が途中だから、上がって待っててぇ。『殿様のクリンチ』でも観ながら、ね♪」
そう言って、洗面所へと向かうハル姉ちゃんの背中に、オロオロとした様子で、諏訪先輩が声をかける。
「あ……いえ……私は、ここで――」
「遠慮しないでいいのよー」
……ああ、ハル姉ちゃんが行ったと思ったら、今度はコッチか……。俺は、リビングの方からかけられた声を耳にして、頭を抱える。
「あらあらあらあらぁ! ようこそいらっしゃい。ヒカルの先輩さん……でしたっけ? ウチの子がお世話になってます」
エプロンで濡れた手を拭きながら、リビングのドアを開けて出てきたのは、母さんだ。
母さんの姿を見た諏訪先輩は、慌ててペコリと頭を下げた。
「あ――お、おはようございます……あと、初めまして。す――諏訪香澄と申します」
「あらぁ、落ち着いたお嬢さんじゃない。て、ウチのヒカルが迷惑かけてるでしょ? ごめんなさいね」
「――て、迷惑なんてかけてねえよ! ……そんなには」
母さんの発言に、慌てて反論する俺だったが――よくよく考えたら、早瀬関連で、大分迷惑をかけた事を思い出し、その言葉は大幅にグレードダウンする。
だが、諏訪先輩は、目を丸くすると、ブンブンと大きく頭を振った。
「め――迷惑だなんて……そんな、全然です。……寧ろ、高坂くんには、色々と助けられていて……」
「――あらぁ、そうなの? ……やるじゃない、ヒカルぅ!」
「あぁ~、もう、うるさいなぁ!」
俺は、ニヤニヤ笑いながら肘で小突いてくる母さんに怒りながら、諏訪先輩に手招きをする。
「――とりあえず、上がって下さい、先輩。これ以上ここにいたら、暇に飽きた中年専業主婦の餌食にされるだけです」
「ちょ、ちょっと、ヒカルっ? 中年専業主婦って酷くない? せめてそこは、美魔女専業主婦で――」
「はいはい。そういう事は、体重計に乗ってきてから言ってどうぞ~」
俺は、そう言い捨てると、「ちょ、酷くない? これでも痩せたのよ……500グラムくらい!」などと、ぶーぶー文句を言う母さんを無視して、諏訪先輩をリビングへと招き入れた。
――本当は、自室の方がいいのかもしれないが、家族でもない女の人を入れるのは色々と憚りがあったし、客を入れられるような状態でもなし……。
――と、リビングのソファには、心なしか頬を膨らませた羽海が、アニメが流れるテレビを無言で観ていた。
諏訪先輩が、ペコリと頭を下げて挨拶する。
「あ……お、おはよう……えと……」
「ああ……コイツは、妹の羽海です」
「あ、……羽海ちゃん、おはよ――」
「…………気安く名前を呼んでほしくねーんですけどっ!」
と、羽海は、突然勢いよく立ち上がると、敵意に満ちた目を諏訪先輩に向けて喚いた。
「……何だよお前! そのイモ臭い格好はよ! 商店街のおばちゃんかよっ!」
「――!」
「お――おい、羽海! な……何をいきなり――!」
俺は慌てて、いきなり暴言を吐き出した羽海を咎めたが、それは火に油を注ぐ事になってしまったようだ。
羽海は、眉を吊り上げ、諏訪先輩と俺を睨みつけると、
「……フンッ! 大っ嫌いッ!」
と、捨て台詞のように叫ぶと、大股で部屋を出て行った。……何でか知らんが、その目の端には、大きな涙の粒が溜まっていた様に見えたのだが――。
「……悪い事しちゃったわね、私」
「――え?」
諏訪先輩の呟きに、俺は思わず聞き返した。
「悪い事……って、何ですか?」
「え……解らない?」
俺が尋ねた事に、驚いた顔をする諏訪先輩。小首を傾げて、小さな溜息を吐くと、呆れたように言った。
「……大変ねえ」
「へ? 俺がっすか?」
「妹さんがよ」
俺の事をジト目で見つつ、今度は大きな溜息を吐いた諏訪先輩を前に、俺は頭の上に大きな「?」を浮かべながら首を傾げる。
――その時、
「スミちゃあん、おっ待たせぇ~!」
脳天気な声を出しながら、ハル姉ちゃんが戻ってきた。
「ごめんねぇ。ちょっと、化粧のノリが悪くて、時間がかかっちゃった~」
「あ……いいえ……大丈夫です――」
「本当だよ、人を呼びつけておいて待たせんな……って! な、ななななっ?」
振り返って、ハル姉ちゃんを見た俺は驚いた。
ハル姉ちゃんが、メチャクチャ気合が入ったフルメイクの上、一部の隙も無いコーディネートで身を固めていたからだ。
「な……何だよ、その格好? まるでデートにでも行くみたいな……」
「そりゃあ、当然でしょ? デートに行くんだもん、スミちゃんとね!」
「え……え――?」
ハル姉ちゃんの言葉に、諏訪先輩は目をまん丸くして驚く。
そんな彼女を見て、クスクスと笑いながら、ハル姉ちゃんは悪戯っぽく目を輝かせながら言った。
「――って事で、これから、女水入らずで出掛けてくるから、ひーちゃんはお家で留守番しててねぇ」
「え――?」
再び目を大きく見開いた諏訪先輩は、慌てた様子でハル姉ちゃんに訴える。
「あ……あの……、こ、高坂くんは一緒に来ないんですか……?」
「ん~? あら、ひょっとして……スミちゃん、ウチのひーちゃんと一緒にお出掛けしたかったのかしら?」
「あ……! い、いえ! そういう訳では無くて!」
ニヤリとほくそ笑みながらのハル姉ちゃんの言葉に、大きく首を横に振って、全力で否定する諏訪先輩。
……つうか、そんなに必死に否定しなくてもいいじゃん……ちょっと傷つく。
「そ……その……、私はまだ、ハルちゃんさんの事をあまり知らないので、ちょっと緊張するというか……」
「大丈夫よぉ、リラックスリラックスぅ♪」
不安そうな諏訪先輩に対し、ハル姉ちゃんは彼女の肩に軽く手を乗せ、柔和な笑みを向けた。
「別に取って食べちゃおうって訳じゃないし、安心して、ね」
「……で、でも――そもそも、何をしに出掛けるのかが、私ハッキリ分かってなくて……」
「うふふ……そういえば、ハッキリ言ってなかったわね。ごめんね~」
そう言うと、ハル姉ちゃんは、諏訪先輩に向かってウインクをしてみせ、言葉を継いだ。
「私が、あなたに、新しい扉を開けさせてあげる……その為の、お・で・か・け――よ♪」