Don't Think! Fall!
「ちょ! 愚兄、何をモタモタしてるんだよッ! アタシ、先に下りてるからね!」
「ちょ……ちょい待てって……。パジャマのまんまじゃさすがに……!」
閉めたドアの向こうから急かす羽海の声に、俺は、慌ててタンスから服を引っ張り出しながら叫び返した。
「もう! 別にいいじゃん! 見られても減るモンじゃないんだから……」
減るんだよ! 俺の数少ないプラスポイントが!
俺は、心の中で毒づきながら、ケミカルウォッシュのジーパンに足を通す――が、ブンブンと首を振ってジーパンを放り出すと、この前早瀬と会った時に穿いていった、黒のスキニージーンズを手に取る。
俺のタンスに入っている“モテ服”の中で、最高の“レアリティ”を誇るのが、このスキニージーンズだった。
というか……他が全て、たびびとのふくレベルのクソ装備ばかりだ、という方が正しいのだが……。
「ええい! ドントスィンク! フィ――――ル!」
俺は、某カンフー映画の名台詞を叫んで迷いを振り切ると、無心でキツいスキニーに脚を通し、上には灰色のパーカーを羽織り、チャックを上げた。
……よし、これで何とか見栄えは――!
出来れば、一階に下りる前に、姿見鏡でファッションチェックをしたいところだったが、陰キャの非モテ高校一年生の部屋に、そんなシャレオツなアイテムが転がっているはずもない。
俺は自分の格好に一抹の不安を覚えながらも、ドアを開けて階段へと向かった。
「……でも、何だって……早瀬が……ウチに?」
俺は、急な階段を一段飛ばしで下りながら、ふと考えたが、
「……まあ、どうせ、LANEIDの時みたいに、シュウが早瀬に教えたんだろうな……多分」
と、思いつき、納得した。
……でも、今考えてみれば、俺の事をす……好きなアイツにとって、俺が想いを寄せている早瀬は恋敵に当たる訳だ。そんな娘に対して、まるで『敵に塩を送る』の上杉謙信のように、俺の情報を快く渡してくれるなんて――。
「……本当に良いヤツだよな、アイツ……」
――そう呟いたら、不意にアイツの笑顔が、俺の脳裏に浮かび、
「……う、うわぁっ!」
思わず動転した俺は、派手に階段を踏み外した。
ドタドタバッタンとけたたましい音を立てながら、俺は転がり落ち、一階の床に腰を強かに打ちつけてしまう。
「い……いちちちちち……!」
「……何やってんの、愚兄……」
獲れたての鰹の様に、床の上で悶絶する俺に向けて、羽海の白けきった声が、容赦なくかけられ――、
「だ……大丈夫? 高坂くん……」
もうひとり、女の子の声が、俺の鼓膜を揺らした。
その声を聞いた瞬間、俺は痛みも忘れて跳ね起き、
「あ! は……早瀬……さ――!」
慌てて玄関に顔を向けると――驚きで目をまん丸くした。
「……じゃなくて――す、す……?」
「……早瀬さんじゃなくて、ごめんなさいね。高坂くん……」
玄関には……ムッとした顔をして、眼鏡の奥から冷たいジト目を俺に向ける諏訪先輩が立っていた――。
◆ ◆ ◆ ◆
「……ど、どうぞ、諏訪先輩。――そ、粗茶ならぬ、粗コーヒーですが……」
と、俺は震える手で、湯気を立てるマグカップを、彼女の前に置いた。
「……ありがとう」
と、諏訪先輩はジロリと俺を睨み、マグカップに手を伸ばす。
俺も、自分のマグカップを手にして、彼女が座る向かい側の椅子に腰を下ろした。
「す……すみませんね。こ……こんなリビングのテーブルで……」
俺は、おずおずと諏訪先輩に言った。
それを聞いた先輩は、湯気で曇った眼鏡の奥から、鋭い視線を俺に向け、
「……別にいいわよ。アポも無しに、急に押しかけてきたのは、私なんだし」
と、ぶっきらぼうに答える。
……アカン。
俺の背中を冷たい汗が伝う。
今日の先輩、メッチャ機嫌が悪い……。
「い……いやぁ~、ビックリしましたよ! ま……まさか先輩が、俺ん家にいらっしゃるとは……あはは」
俺は、重苦しい空気を何とか和らげようと、殊更に明るい声を上げて、笑い声を上げてみせる。
――と、諏訪先輩は、ブレザーのポケットから取り出した布で、湯気で曇った眼鏡のレンズを拭きながら、ボソリと言う。
「……迷惑、だったわよね。……ごめんなさい」
「へ……あ、いやいや! 迷惑だなんて、そんな――!」
あ、あれ……? 機嫌が悪いんじゃなくて、落ち込んでるっぽいぞ?
不穏な気配を察知した俺は、慌てて口を動かす。
「う……嬉しいです! わざわざ、俺の家まで見舞いに来てくれるなんて」
――ふと、俺の心に素朴な疑問が浮かんだ。
「……でも、何で分かったんですか? 俺の家……」
「う……。そ……それは――」
その俺の問いに、先輩は微かに頬を赤らめると、テーブルの上に目線を落としながら、ボソボソと答える。
「……い、一応、私、文芸部の副部長だから……顧問の岳田先生に、高坂くんの住所を聞いて……それで――」
「あ……ああ~、成程ぉ! 顧問に訊いたんですか! それでねえ……」
俺は、うんうんと大げさに頷きながらも、心中では、高校教師の個人情報管理意識の杜撰さに呆れた。……いくら、副部長が尋ねたにしても、ホイホイ生徒の個人情報を漏らしすぎだろう――と。
「……でも、何でそこまでして、俺の家に……」
「……そ……それは……」
諏訪先輩は、俺の言葉に対して、何故か言葉を詰まらせる。
そして、顔をテーブルに伏せたまま、ポツポツと口を開いた。
「み……三日も、あの部室で……高坂くんが居ないのが、ちょっと寂しく……」
「え……?」
「あ! い……いえ! そ、そうじゃなくって――!」
思わず訊き返した俺に向けて、真っ赤な顔でブンブンと頭を振った。
「そ……そういう意味じゃなくてね! その――か、からかう相手が居なくて、つまらないなぁって! そ……そういう意味ですッ!」
「……あ、はあ……そうっすか」
何故だかえらく必死に弁解をする先輩の様子に、俺は怪訝な表情を浮かべつつ、取り敢えず頷いてみせる。
――と、諏訪先輩は、ホッと息を吐き、俺の顔をみて微笑んだ。
「……でも、意外と元気そうで安心したわ」
「あ……ああ、はい……」
いつもの調子に戻った諏訪先輩の言葉に、俺も安堵の息を吐き、小首を傾げつつ頷いた。
「……大分熱は下がったんで、もう大丈夫かな、と。多分、明日には学校に行けそうです」
「そう……」
諏訪先輩は、そう呟くと、椅子を引いて立ち上がった。
「なにはともあれ、高坂くんが無事そうで良かったわ。……じゃあ、あんまり長居するのもあれだし、私帰るね」
「あ……も、もう――あ、いや……分かりました」
一瞬、『もう帰っちゃうんですか?』と口走りそうになって、俺は慌てて言葉を換えた。……どうしてかは、自分でも分からなかったが……。
諏訪先輩は、一瞬複雑な表情を浮かべたが、すぐに微笑んで、コクリと頷いた。
「うん。じゃあ、また明日。部室でね。――今日は早く寝るのよ」
「あ、何か今の、まるで……あ、いや、何でもないです」
一瞬、『まるでおかんみたいっすね』と口走りかけたが、慌てて口を噤む。今度は、どうしてなのかハッキリと理解できた。
だが、先輩はギロリと俺の事を睨みつける。
「何か……妙に引っかかるけど……まあ、いいわ」
そう言って溜息を吐くと、諏訪先輩は、傍らに置いていた鞄を肩にかけて、玄関に向かおうとする。
「――じゃあね」
「あ! 玄関まで見送りま――」
「――ちょぉぉぉぉぉっと待ってええええええぇぇっ!」
俺の言葉を遮って、突然、絶叫と共に玄関のドアが勢いよく開かれた。
「え……?」
「ふぁ……ファッ?」
唐突な叫び声に、俺と諏訪先輩は、思わず硬直し――
玄関で靴を無造作に脱ぎ散らかす音がしたかと思ったら、バタバタと荒い足音がこちらに近付いてきて――玄関と同じように、乱暴に叩き開けられた。
「きゃ……キャッ!」
「な――何だ……っ!」
身を縮こまらせて驚く俺と諏訪先輩。
――と、
「ハアハア……う、うーちゃんから……聞いたわよ……ハアハア……!」
息を弾ませ、長い黒髪を乱れさせながら、扉の前で仁王立ちしていたのは――、
「ひ、ひーちゃんに、生まれて初めて、女の子のお客様が訪ねて来たってねぇ!」
その目を爛々と輝かせた、ハル姉ちゃんだった――。
今回のサブタイトル『Don't Think! Fall!』は、伝説のカンフー映画『燃えよドラゴン』の名言「Don't Think! Feel!」から取りました。
ヒカルが劇中で言ってますね。
直訳すれば、「考えるな! 感じろ!」です。